千早

いつもぼーっとしている父親が、自分をみて何かしら考えていた。むー…と自分をみつめるが、気にはならない。放っておけば、そのうち飽きるだろう。ちらりと視線を投げると、いつものように姉の後ろをくっついて回った。
世界で一番好きなのは、母親。その次に好きなのは、姉。いるのかいないのかよくわからない(留守が多い)いてもぼーっとして、母親にくっついてまわる父親は、正直、どうでも良い存在だった。むしろ、父親がいると母親は彼ばかりをかまい、姉もまとわりついていくために、自分としては面白くない。正直にいえば、邪魔なのだ。向こうも、案外、そう思っているのかもしれない。思い出してみても、父親と自分の接点は少ないので。
ずっと自分を観察していた父親が、ようやく飽きたのか、また母親にくっついていた。べたべたと触りたがる父親を、やんわりと押しとどめる母親という、まあ見慣れた光景が繰り広げられていたのだが。その日は、想像もしていなかったことがおきた。
ぼーっとしている父親が、ぼそぼそと何事かを母親に囁いたとき。
「…そんな…!どうして、どうしてそんな事、言うんですか…!」
母親が真っ青になり、次の瞬間、わっと泣き伏していた。
「母様、どうしたの!」
「………!」
一緒に遊んでいた姉が、泣き崩れる母親にかけよる。自分も、一緒に駆け寄った。いつも笑顔を絶やさなかった母親が、ぼろぼろと泣いている。つられて姉も泣き出してしまった。父親は、そんな二人を呆然とみている。
二人を泣かせたのは、間違いなくこいつだ。そう思って、父親を睨み付けた。自分の視線に気づいたのか、父親も自分を見つめる。琥珀色の感情を感じさせない瞳が、自分をみる。自分の目と同じ色だと思うと、不快感もいっそうましてくる。
「…母様とさやを、泣かすな」
そう言うと、父親は困ったように首をかしげた。
「でも、ゆやとさやが泣いてるのは、お前のせいだとおもう」
は…?何を言っているのか、このボケは。どうして二人が泣いてるのが、自分のせいなのか。自分の責任を子供になすりつけるとは…!と、頭に血が上りそうになったとき。
「どうしたの、ゆやさんっ!」
「ねぇちゃん、大丈夫かっ!」
…隣の部屋の襖があくと、赤の他人が2人ばかり現れていた。…この2人がいるということは、周囲にあと9人はいるのだろう。この山の中の庵は、うちの家族四人のモンなんだけど。いつのまにか赤の他人がちゃっかりいたりすることがある…昔から、謎だ…。
「…幸村さん、サスケくん…!」
母親が泣き濡れた顔をあげる。目がウサギみたいに赤くなってて、痛々しい。いつもなら、突然現れる客人に注意しているのだが、今はそんな余裕もないらしい。ただただ、ぼろぼろと涙をこぼしている。
「ほたるさんが…」
それだけいうと、後は声にならないらしく、嗚咽をこらえている。そんな母親の姿に、姉がわんわんと泣き出していた。サスケが、慌てて姉をあやしている。自分も泣いてしまいたかったが、ぐっとこらえて父親を睨み付けた。
「……ほたるさん。どーしてゆやさんが泣いてるのかな…?」
幸村が父親を冷たい目で見ていた。いつもへらへらと笑っている姿しか見てなかったけど、こうして見ると何だか怖かった。だが父親は、相変わらず困ったように首をかしげながら、淡々と口にする。
「…何でかな…?ちょっと聞いただけなんだけど…」
「何を聞いたんだよ?」
しっかりと姉を抱いたサスケの目も怖い。父親は、娘に触るサスケに胡乱な視線を投げながらも答えていた。
「…ちはやは、ホントに俺の子?って」
世界中の音が、全部聞こえないような気がした。…父親は、何をいったのだろう。
「ほたるさんっ!」
「父様、ひどいっ!」
母親と姉の悲鳴が聞こえる。でも、そっちを見ることもできない。瞬きも忘れて、目の前にいる父親を見ていた。自分を見つめる父親は、不思議そうな顔をして言った。
「どうして、ちはやが泣くの?」
「「「フツー泣くだろーがっっ!」」」
大合唱のツッコミをよそに、自分が泣いてるのに気づかなかった。見開いた目から、滝のように溢れるものが涙だった。母親が飛んできて、自分をぎゅっと抱きしめてくれる。そうしたら、何かが切れたように喉の奥からこみ上げてきた。声を上げてなくだなんて…初めてだった。
「お前、それでも父親かーーっ!」
「…やっぱり、死んで貰おう」
切れた甚八がとびだすと、幸村が冷静に告げる。すると控えていた十勇士が次々に姿をあらわしていた。主の幸村もいつのまにか刀を抜いている。つぎつぎにくりだされる攻撃が父親を襲うが、憎らしいほどあっさりと全ての攻撃はかわされていく。
「…これから死合うの?別にいいけど…」
飄々と言ってのける姿は、怖いくらいに魅力的だった。完全に目の据わったサスケが泣きじゃくる姉を小助にあずけて、刀をぬこうとしたとき。
「くぉんの、バカ弟子がーーっ!」
突如現れたゆんゆんの踵落としが、父親の後頭部に炸裂していた。
「話は全部聞かせて貰ったぜ」
父親を床にめり込ませて、腕をくんだゆんゆんが颯爽と宣言する。…ゆんゆん、相変わらずウチのストーキングを続けてるのか…母親の腕の中から、泣くのも忘れて思わずまじまじと見つめてしまった。父親の自称師匠である遊庵ことゆんゆん。どっかの偉いさんらしいけど、しょっちゅうウチに出入りしていて、ストーカーのように家庭内の出来事に通じてる。そして今みたいに、どこからともなく現れるのだ。
「…遊庵さん。太四老が、何してるんですか」
「うるせーぞ、幸村。てめーだって幽閉中だろーが」
毒気をぬかれた幸村が、額を抑えながら言った。でも、ゆんゆんは気にしてないみたいだった。
「おい、こら螢惑」
「…ほたるだって、昔からいってるのに…」
床からむくっと起きあがった父親が、不機嫌そうに答える。…なんか血まみれになっていた。ゆんゆんって、結構凄いのかも知れない。
「てめーには、ほとほと愛想がつきたぜ。自分の細胞分裂みてーなガキを産ませといて、父親を疑うってのは、どーゆー神経をしてやがる!」
…細胞分裂みたいなガキ…というのは、自分のことなんだろーか?幸村もサスケも、その他の十勇士も、皆うんうんと頷いている。第三者からみると、そんなにも自分と父親は似ているらしい。何だか複雑な気分だった。
口々に責められても父親に反省の色はない。それどころか、拗ねたようにむーっとしている。
「…だって」
ようやく父親が、口をひらいたとき。
「…なんだ、この騒ぎは」
父親の声をさえぎり、室内の惨状に驚いた声をだした主は、叔父だった。しばしば尋ねてくる叔父は、真面目で誠実で嫌いじゃない。
「幸村と配下と……遊庵さま…?いったい何を…」
「お前こそ何をしてるんだ、辰伶」
「そうそう」
「義妹と甥と姪の様子を見に来ているだけです」
「俺は弟子の家族の様子見だ!」
「ボクは、仕事仲間の家族の安全保障さ♪」
…みんなそれなりの理由があったらしい。幸村と父親が仕事仲間だとは知らなかった。そうだったのか。
「それでこれは?」
叔父はあたりをざっと見回して、ふてくされている父親をまっすぐに見つめた。父親と叔父は、何だか仲が悪い。どうして仲良くできないのだろう。
「…お前のせいか。妻と子供を泣かすとは、何事だ」
「…辰伶にも、関係あるのに」
「なに?」
叔父が不審な顔をする。それはそうだろう。いきなり来たばっかりで、何が何だかわからないに違いない。ゆんゆんと違ってストーキングなんてしない真面目さが、今回は仇になってるみたいだった。
「ちはやに…水龍の使い方、教えたでしょ」
「ああ。才があるようだからな」
何でもないことのように叔父は答えるが、居合わせた連中は寝耳に水だったらしい。母親でさえ驚いた表情をしていた。視線の集中をあびながら、叔父は不思議そうだった。
「いけなかったか?才能があるなら、伸ばしてやるべきだろう」
父親は不満そうに、ぼそぼそと呟いていた。
「………だから、ちょっと気になって……聞いただけ」
「何をだ?」
「ちはやは、ホントに俺の…」
「水魔爆龍旋っ!」
…父親が言い終えるよりも先に、叔父の必殺技が繰り出されていた。
「魔皇焔」
防御するために、父親も必殺技をだす。さやをサスケが、母親と自分はゆんゆんが抱えてその場から避難できた。…庵の半壊は確実だった。
父親と叔父は、激しい剣戟を交わしながら口喧嘩を続けている。ある意味、とても器用だった。
「貴様はバカかっ!」
「辰伶に言われたくない」
「仮にも自分の妻を疑うとは、情けないっ!」
「別に、疑ってないし」
「疑わずして、そんな疑問がでるのかっ!」
「ゆやは俺が好きだし、俺はゆやが好きだから、大丈夫」
「だったら聞くなっ!」
「でも俺は、炎使いなのに」
「我々の父親は、水使いだ!お前にも表にでなかっただけで、その血は流れていた。ちはやの才は、それを証明しているだけだっ!」
「あ。そっか…忘れてた」
「忘れるなーーっ!」
叔父の絶叫を余所に、父親はぴたりと戦闘をやめると、すたすたと母親と自分のもとに近づいてきた。それから相変わらず目に涙をうかべている母親をぎゅっと抱きしめる。母親に抱かれている自分も、いっしょに抱きしめられていた。
「…へんなこと聞いて、ごめん」
「いいです…ほたるさんに悪気はなかったって解りましたから。でも、すごく哀しかったんです…」
「ごめん…ホントにごめんね…」
自分を挟んで抱き合う二人は、万年新婚のバカップルだった。しょーがないなぁ…と思いながらも、今回の騒動を振り返ってみる。どうも自分の水を操る才能が、バカでボケた父親を困惑させていただけらしい。
…やっぱり父親が好きになれない自分は、どっか間違っているのだろうか?
あとでゆんゆんや幸村、サスケに相談してみようと周囲をみまわしながら、ちはやは幼心に思うのだった。