運針

「アキラさん!」
旅籠についたとき、ゆやはアキラを呼んだ。
荷物を降ろしていた青年が、怪訝そうに振り返る。ゆやは、アキラの着物の袖を握って、告げた。
「ここ、綻んでますよ?」
「え…?ああ、そのようですね」
示された箇所を触って、アキラは答えた。呼ばれた用向きはそれだけかと思いきや、ゆやは尚もつづける。
「繕いますから」
にこやかに言われて、アキラは返事に詰まった。
「え…っと…」
「こう見えても、針仕事は得意なんですよ?だから、脱いで下さい」
にこにこと嬉しそうにゆやは口にする。そう言われて、悪い気はしない。むしろ、かなり嬉しいのだが…場所が悪かった。
旅籠の部屋は、いつものように大部屋だった。ゆやは別に部屋を取っているが、今は大部屋にいる。すなわち、二人の周囲には旅の道連れであるその他の面々がいた。
彼らの注意が、ゆやと自分の会話に集中しているのは間違いない。ざくざくと殺気のこもった視線も、突き刺さってくる。
「…………」
返事に窮してみても、上機嫌の少女は気づかない。
「他にもほつれてるかもしれないし。脱いでもらったほうが、助かるんですけど…」
「あ、そうですね…後でゆやさんの部屋に、脱いだ着物を持って行きますよ」
「そうですか?じゃ、待ってますから」
そういうと、笑顔を残してゆやは大部屋を後にする。
残されたアキラは、嬉しい反面、複雑な気分だった。ゆやが自分のことを気にかけてくれるのは、とても心地よくて嬉しい。だが同時に、その他の面々から目の敵にされるのは、少々いただけない。今回も、しょうがないか、と諦め半分だったのだが。
何故か、灯の嫌味も紅虎の負け犬の遠吠えもなかった。狂の痛い視線もない。おかしなコトもあるな、と首をかしげつつ荷物を片づけ、替えの着物に着替えると、ほつれた着物をもってゆやの部屋へと向かった。
途中、何故か言い争っている主従コンビがいた。
「…幸村さまのお世話は、この私がっ!」
「いいよ〜…才蔵にはいつも迷惑かけてるからさ〜♪」
へらへらと笑う幸村にすがりつくのは、忍のわりに出張っている才蔵だった。
「いえっ!是非是非やらせて頂きますっ!針仕事は、得意中の得意ですからっ!」
目の幅涙を流しながら訴える才蔵に、さすがの幸村の笑いも凍り付くしかない。
「…………」
笑顔のまま硬化した幸村の後ろをサスケがさっさと行こうとするが、才蔵に呼び止められている。
「サスケ、忍たるもの自分の着物は、自分で繕えっ!他人に迷惑をかけるなっ!」
「………わかった」
不服そうな顔のサスケだったが、しぶしぶ返事をしていた。
繰り広げられる光景に、アキラは、はっ!とした。どうりで、あの連中が大人しかったはずだ。慌てて目的の部屋へ急ぐ。
「ゆやさんっ!」
「はいっ!」
いささか乱暴に襖を開けられて、ゆやは驚いて返事をしていた。行灯の側に座る周囲には、数枚の着物が散乱している。当然、ゆやの着物ではない。
やはり…と思うと、思わずアキラは脱力してしまった。
「アキラさんっ、どうしたんですか?!」
「いえ、大丈夫です、ゆやさん…」
自分を気遣うゆやをおしとどめて、手近な着物を拾い上げる。袖のない改造着物は、バカトラのモノに間違いない。
思わずくしゃくしゃに丸めるアキラに、ゆやが申し訳なそうに言った。
「散らかってて、ごめんなさい。何だか、みんなして着物がほつれたって、持ってくるものだから…」
そういうゆやの手元にあるのは、狂の着物に違いない。狂は、まあ仕方ない気もするが、その他の連中は許し難い。灯の着物に梵天丸の着物、ほたるもちゃっかり着物を預けている。先ほど、才蔵が押しとどめなければ、これに幸村とサスケの着物も加わっていたのだろう。自分ばかりいい目を見るのが許せない…のは解るが、ゆやに負担をかけている事実に気づかないのだろうか?
丸めた紅虎の着物を、ぽいっと放り捨てるとアキラはゆやの隣に座った。
「ゆやさん、針と糸を貸してもらえますか?」
「アキラさん…?」
首をかしげるゆやに、アキラは告げた。
「簡単な縫い物でしたら、私にもできますので。手伝いますよ」
「え、そうだったんですか?あ、それじゃ、お節介だったのかな…っ」
自分の申し出を思い出して赤面するゆやに、アキラは柔らかく微笑んだ。
「とんでもない。とても嬉しい申し出でした。でも、この状況の責任の半分は、私のせいでしょうから」
そう言うと、近くの着物を引き寄せる。この大きさは、梵天丸のモノだろう。綻んだ箇所は、すぐに解った。昔から、酷使される箇所は同じなのだ。
馴れた手つきで着物を扱うアキラに、感心しながらゆやは針と糸を手渡す。
「すごいなぁ。アキラさんって、何でもできるんですね!」
「…まあ、いろいろやりましたから」
素直なゆやの賞賛は、嬉しい。だが自分が縫い物のスキルを身につけた状況を思い出すのは、嬉しくなかった。
アキラが縫い物を覚えたのは、必要に迫られてだった。狂と梵天丸と自分とほたるで、戦場を渡り歩いていた日々。…一番年下の自分は、連中の使いっぱだった。食事の支度やら洗濯やら、ありとあらゆる雑用を押しつけられていたのだ。その中には、もちろん繕いものも含まれており、アキラは見よう見まねで縫い物を覚えさせられたのだった…(灯加入後も、状況はかわらず)。
そういう過去があるためか、アキラの縫い目は荒っぽい。ざくざくと、ひっつけばいーんだと言わんばかりだった。横目でアキラの縫い目をみて、ゆやは苦笑をもらす。いかにも漢らしい縫い方だったので。しばらくアキラの手元を見ていたゆやは、あることに気づいた。
「あの、アキラさん…」
「なんですか?」
顔をあげたアキラに、ちょっと言いにくそうにゆやは言った。
「結び目を作るときは、針を返したほうがいいと思うんですけど…」
「……………」
アキラは答えられない。ゆやの指摘が不服なのではなく、意味がさっぱりわからなかったために。
「よ、余計なお世話かもしれませんが、そうした方が、縫い目が長持ちすると思うんです」
一方、ゆやは出しゃばりと思われたかと勘違いして、顔を真っ赤に染めていた。焦るゆやに、アキラは考えながら質問する。
「…針を返すって…どうするんですか?」
「え?!」
ゆやは、驚くがすぐに理解した。たぶん、見よう見まねで裁縫を覚えたアキラは、細かいコトをしらないのだと。
「えっと、縫い方にもいろいろあって、アキラさんの縫い方はぐし縫いっていうんです。それで返し縫いっていうのは、ぐし縫いよりも丈夫になる縫い方で…」
そこまで説明して、ゆやは考え込んだ。どう説明すればいいのか、上手い言葉が見つからない。自分が習ったときは、目の前にお手本を見せて貰ったから、すぐに理解できたが。アキラは視界を閉ざしている。
注意深くゆやの言葉を聞くアキラをしばしみつめて、ゆやはあることを思いつく。
「そうだ!アキラさん、ちょっといいですか?」
自分の縫い物を脇において、ゆやはアキラの隣に密着した。ゆやに急接近されたアキラは、内心焦ってしまう。頬に、ゆやの柔らかな髪が触れ、腕にはゆやの腕がからみついている。それに、なんというか…自分の肘に時々ふれる柔らかな感触は、ゆやの胸に間違いない。
突然、おいしい状況に放り込まれたアキラは、だらだらと汗びっしょりになりつつあった。
そんなアキラの状況を余所に、ゆやは針を握るアキラの手を握っていた。
「えっとですね、こうして縫ったあと…こうやって、縫い目を戻すんです」
自分で試して貰うのが一番だと結論したゆやは、アキラの手をとって返し縫いをする。アキラにとってわかりやすい説明だった。教えることに一生懸命なゆやは、自分がどれほどアキラと密着しているかまでは、気が回っていない。
(…美味しい…なんて美味しい状況なんだ…!)
ゆやの説明をうけながら、アキラはほわ〜っと幸せを満喫していた。襖の隙間から突き刺さる視線さえも、今は心地いい。廊下にいる連中は、アキラがゆやの部屋に行ったきり戻ってこないので偵察にきたらしいが、まさか、こんな状況を見ることになるとは夢にも思わなかっただろう。
(こういう状況になったのは、あの連中のせいだし)
大量の縫い物がなければ、アキラは手伝いを申し出なかった。今頃は地団駄を踏んでいる連中に、ザマーミロと告げたいアキラだった。
「わかりました?アキラさん…」
心配そうなゆやの声に、アキラははっ、と我にかえる。
「はい、ゆやさんの説明は解りやすいですから。これをこうして…こうですよね?」
「そうです!やっぱり、アキラさんてすごいなぁ」
子供のようにはしゃぐゆやをみていると、自分の下心が少々やましい気もする。でも、こんな風に二人きりですごす機会はそうそうあるわけではない。滅多にない機会を、手放す気はさらさらないアキラだった。
二人はたわいもない話をしながら、繕い物を片づけていく。廊下の気配も、いつしか消えていた。もう少しで終わろうとするとき、アキラの着物を繕いながらゆやは呟いていた。
「……アキラさんのお嫁さんになる人って…幸せですよね」
「…っ!」
しみじみとしたゆやの呟きに、アキラは動揺した。思わず、針を指に突き刺してしまう。
「アキラさん!大丈夫ですか!」
「これくらい、大したこと……わわっ!」
返事をしようとしたしたアキラの声が裏返る。針が刺さって血が丸くもりあがる指先を、ゆやがぱくっとくわえたのだ。
指先を熱い舌がなめる感触が伝わる。ちゅ、と軽く吸い上げてゆやが離れる頃には、アキラの顔は耳まで真っ赤になっていた。
アキラの顔をみて、ゆやは自分が何をしたか我にかえったらしい。ゆやの顔も、みるみる赤く染まっていく。
「ご、ごめんなさいっ!私ったら…つい…自分と同じことを……っ!」
ゆやは慌てながら、近くに置いてあった端切れでアキラの傷口を押さえた。アキラの指先を握りながら、ゆやは真っ赤になってうつむいてしまった。アキラはばくばくする心臓を落ち着かせようと、ゆっくり深呼吸する。それから、自分の指に触れているゆやの手を見つめた。
無骨な節くれ立った自分とは異なる、ゆやの白い繊手。それは恥じらい、震えながらも、離れようとはしない。
何故、と思うアキラの胸の内に、むくむくと期待がふくれあがる。期待してはいけない、と思いながらもどうしようもできない。
そっと、ゆやの手に、もう片方の自分の手を重ねた。ゆやは、びくっとしたが、離れたり…逃げたりはしなかった。
「どうして…私の妻になる人が幸せだと思うんですか?」
内心、怯えながらアキラは問いかけた。どうか、かわされませんように、と密かに願いながら。
「だ、だって……その、裁縫を手伝ってくれる漢の人って…いいなぁと思って…」
「誰でも、手伝う訳じゃありません。…ゆやさんだから、手伝いたいと思ったんです」
アキラがそう言うと、ゆやは顔を上げた。真っ赤に染まった顔と、高ぶった感情のせいで潤んだ瞳で、アキラをみつめる。
我慢の限界に近づいたアキラは、ぐっと手を引いた。ゆやの身体は、ゆっくりとかしぎ、とす、とアキラの胸に収まる。ゆやを抱きしめながら、アキラはささやいていた。
「…ゆやさんは、きっと良い妻になると思います」
「そうだと…嬉しいです…」
アキラの腕の中で、目を閉じながらゆやは答えていた。
具体的な言葉は、何一つない。それでも頬に触れる熱さと、腕に伝わるぬくもりは夢ではなくて。互いに確かめ合うように、二人は抱き合っていた。

結局、アキラはその夜、ゆやの部屋から大部屋へは戻ってこなかった…。
大部屋は、アキラ不在でも雰囲気は氷点下だったらしい。