子宝

「阿国さん、私、赤ちゃんができたみたいなんです♪」
幸せそうに笑顔を浮かべたゆやの、メガトン級爆弾発言だった。聞き手の阿国は口にしていたお茶に盛大にむせ、ついでに天井からも巨大なネズミがすっころんだような音がする。
「ゆ、ゆやさん…?」
「はい」
阿国を引きつらせた張本人は、きょとんとしていた。少し、寂しそうでもある。おそらく「おめでとう!」という言葉を期待していたのだろう。もちろん、阿国だって妊婦に「おめでとう!」というのはやぶさかでない。しかし、その妊婦がゆやであるとなると、話は別なのだ。
ばくばくと波打つ心臓を押さえながら深呼吸をして、阿国はゆやに問いかけた。
「あの、お相手は、誰なのかしら…?」
見聞屋としても巫女としても男女の機微に通じているという自負が、阿国にはあった。その阿国ですら、ゆやとそういう関係にある漢が思いつかない。ゆやに懸想している漢なら、すぐに思いつく。筆頭は狂、それにアキラ、ほたる、サスケが続く。幸村や梵天丸も憎からず思っているだろうが、仮にも一国を背負っているし、安易に手を出すとは思えない。灯も女友達に感覚が近く、紅虎にいたっては本命が別にいそうだ。とすると怪しいのは、先の四人。サスケは、可哀想だが外しても問題ないだろう。今のところ、弟の位置でしかない。それから狂も外せる。現在の身体で、ゆやを孕ませるとは考え難いのだ。消去法でいくと、残るは二人。
すばやく思考した阿国に、ゆやは本当に幸せそうに告げた。
「ふふ、ほたるさんです」
…あの天然ボケナス野郎がっっ!ゆやさんは、まだ16ですのよ?若いうちの妊娠出産は、母体の負担が大きいのに!それに臨時収入も持たないプー太郎、ゆやさんにたかるヒモの分際で、子供を作るだなんて言語道断!……その他もろもろ悪口雑言、盛大に阿国は心の中で罵っていた。見聞屋の自分が出し抜かれたという、矜持を傷つけれた個人的恨みも入っていたかもしれない。しかし、表面上は笑顔を浮かべていた…見ようによっては氷の微笑みを。幸せいっぱいのゆやは、幸いにも気づかなかったが。
「やっぱりお医者さんに見てもらってから、ほたるさんに言ったほうがいいんでしょうか?私は、間違いないと思うんですけど…」
「そうね…やっぱり、一度、お医者さんに見てもらってからの方がいいと思うわ。伝えてから間違いだったら、ほたるさんも残念に思うでしょう?明日にでも、一緒に行きましょうか」
「ほんとですか!よかった…私、ちょっと心細かったんです」
初めての経験に喜びととまどいの両方を抱え、我知らず困惑していた少女が、安心した笑顔を浮かべる。元気づけるように、阿国はゆやを抱きしめていた。
「私にまかせておけば、大丈夫ですわ、ゆやさん。気を遣わせるといけないから、他のみなさんには内緒にしておきましょう。今日は、もう寝たほうがいいですわね。身体は大事にしないと。ね?」
「はい…!」
優しく阿国に言われ、ゆやは素直に言うことをきいていた。
ゆやを部屋に寝かしつけると、阿国はすっくと立ち上がる。
明日の朝までに、やることがある。そのためには、まず協力者が必要だった。口惜しいことに、さすがの阿国もほたるには歯がたたない。万が一のため、保険となる実力者は必須なのだ。
「…ちょっと、才蔵さん」
小声で天井に話しかける。天井からは、何の気配もないが阿国は構わず続けた。
「あなたのご主人を、旅籠の裏の林に呼んで下さらないかしら。ゆやさんのことで、相談がしたいの。あなたも聞いてらしたでしょう?」
天井の巨大ねずみは返事もしなかったが、遠ざかる気配はあった。阿国は満足して、しばらくしてから自分も裏の林にむかう。時間を空けたのは、幸村に自分から説明したくなかったためだ。
思っていたとおり、林で阿国をまつ幸村は、苦虫を3万匹ほど噛み潰した表情をしていた。
「やあ、阿国さん。逢い引きのお誘い、ありがと」
「こちらこそ、答えてくださって嬉しいですわ」
ははは、ほほほと笑う二人は、談笑している大人の恋人同士にみえないこともない。にこやかに笑っている表情だけをみれば。しかし会話は、殺伐としたものだった。
「才蔵の言ったことって、ホント?」
「ゆやさんは、そう言いましたわ」
「……天然野郎のくせにねぇ」
「ほんと、殿方って後先考えなくって」
「ボクは責任をとるよ?」
「とらない漢は、生きてる価値もありませんわねぇ」
ふたりが寒い会話をしていると、がさごそと林にほたるがあらわれる。才蔵に、呼び出されたらしい。しかし理由がわからないらしく、どこか不機嫌な雰囲気をまとっている。実は、これから寝ようと思っていた矢先だったのだ。
「…俺をよんだの、あんた?死合でもするの?」
幸村にむかって、ぼそぼそと話しかける。傍らの阿国は、眼中にはいってなさそうだった。
「ほたるさんをお呼びしたのは、私です。ゆやさんのことで、お話がありますの」
ゆや、という言葉に、ほたるは敏感に反応した。あらためて、阿国に向き直る。話を聞くつもりはあるようだった。
「ゆやさん、妊娠してますの」
前置きもなく、単刀直入に阿国は言った。
さすがに、ほたるも驚いたらしい。一瞬、細い目が見開かれ、動きが止まる。思考回路も止まったかもしれない。
ようやく動きだしたのは、しばらくしてからだった。呼吸も止めてたらしく、はぁっと大きな息をして、ほたるは阿国に言った。
「誰の子?」
ぶちっと、何かがキレる音がした。
阿国の背後で暗雲がごごごっ…!とわき起こる。対照的に、幸村はにっこり笑って、言った。
「殺しましょうか、阿国さん」
「……お願いしますわ」
ふふふ…と不穏な笑みを浮かべたまま、幸村はすらりと刀をぬく。ほとばしる殺気を感じたほたるも、無言で手にしていた刀を構えた。
「なんで俺が、あんたに殺られるの」
「冥土の土産に渡せるのは、真田の六問銭だけだよ」
「……死合に理由はいらないか」
完全に臨戦態勢に入ったふたりを、阿国は止めようともしない。冷たい目でほたるを睨んでいる。
ほたるは、言ってはならないことを口にした。ゆやが聞いていなかったのが、幸いだ。ここでほたるが死んでくれれば、ゆやにとってはもっと幸せかもしれない…などと阿国は考えていた。ゆやは、身持ちの悪い女ではない。一度に、複数の漢の相手をするなどとは考えられないのだ。それすらも解らない漢の子供を、ゆやが孕んでいるとは。しかも、ゆやは漢を本当に好きなのだ。あの時の幸せそうな笑顔を見ればわかる。
「…まったく、ゆやさんも漢を見る目がないんだから」
幸村に集中していたほたるが、まじまじと阿国を見つめた。
「ゆやの漢って、誰?」
「胸に手をあてて、考えた方がいいんじゃない?」
ふわり、と幸村が動いた。何気ない動きと、激しい斬撃が連続する。ほたるは、かろうじて自分の刀で受け止める。すばやい幸村に懐に入られると刀の長いほたるは不利になる。有利な間合いが必要だった。
「…燃えて、なくなれ…灼爛炎帝!」
「甘いねっ…!」
ほたるの炎を、幸村の刀が切り裂く。どこか戸惑いのあるほたるにくらべ、幸村の刀には迷いがない。しかも、ほたるの技は、基本的に大技なのだ。全開にすれば、周囲に被害が及ぶ。他の人間など歯牙にもかけないほたるだが、傍らの旅籠にゆやが眠っていることはわかっていた。それを考えているのだろうか。ほたるは技を出しあぐねているようだった。
「…何やってんだ、出雲のおばさん」
「おねーさんですのよ?サスケくん」
「何の騒ぎやねん……幸村はんとほたるはんも騒いでるし」
「ほう、おもしれー死合じゃねーか」
「何をやっているんだか…」
「ちょっと、理由を教えてよ、阿国さん♪」
「……………」
これほどの騒ぎになれば、気づかれないわけがない。ゆやや他の人間が来ない程度ではあるが、この連中は別だった。殺気と剣戟にひかれて、わらわらと集っていた。しかし、止める気配もなく珍しい死合を面白そうに見物している。
「なんでほたると幸村が死合ってるのよ、ねぇ!」
灯が興味津々で、阿国に問いかける。瞳は好奇心でキラキラと輝いていた。他の連中も、阿国を見ていた。もう隠してはおけまい、と判断した阿国は、ゆっくりと口を開く。さっさと袋だたきにでもあって、ゆやが起きてくる前に、ほたるに死んで貰うつもりだった。
「ほたるさんが、ゆやさんを孕ませたくせに、責任放棄したからですわ」
発言の威力は、絶大だった。
アキラの氷よりも激しく、空気が凍り付く。ほたるの動きも凍り付いていた。
「それじゃ、後、ヨロシク」
幸村はあっさりと刀を納める。巻きぞえは嫌らしい。
「え…ちょっと……」
ほたるは、阿国の言葉に明らかにとまどっていたが……他の連中はものすごいことになっていた。
「一度、死んで貰おうか」
帯電する紫微垣をぬくサスケ。
「楽には殺さへんで…」
北洛師門をかまえる紅虎。
「漢の風上にもおけねーな」
ばきばきと指をならす梵天丸。
「ほたる…許さねぇ…っ!」
口調が変わり、双剣を引き抜いたアキラ。
「あほたるの分際で…」
しゃらんと錫杖を鳴り響かせる灯。
「…………下僕が」
鬼眼の漢は、すらりと天狼を抜きはなっていた。
一同の殺気が、ほたるに集中する。ついでにぎらぎらと刃も光っている。気の弱い者なら、それだけで心臓を止めてしまうだろう。しかし、焦点にいる漢は、それどころではなさそうだった。
「ゆやが…俺の子?……マジ?」
「あなたは、まだ、そんな事をゆーんですのっ!ゆやさん本人が、嬉しそうに言いましたのよ!身に覚えがないとは、言わせませんからねっ!」
完全にぶち切れた阿国が、ほたるの襟首をつかんで前後にゆさぶる。ほたるは、魂が抜けたようにされるがままだった。
「いや…だって…あれ…?」
天然とも思えない呆けっぷりに、幸村が不審な顔になる。その他の面々に、そんな余裕はなかったが。
「ほたるさん、ゆやさんに、何したの?正直に、教えてほしいなぁ」
「……ちゅーして、身体に触って、一緒に寝た」
いましも一撃必殺技が繰り出されそうだが、幸村が片手で待つように指示する。
「寝たっていうのは……言葉通りかな?」
「うん。青カンで最後までいったら、ゆや、可哀想でしょ?初めては、やっぱ布団の上がいいと思うし」
きっぱりと恥ずかしげもなく言い切った天然漢の後頭部に、紅虎の奥義、逆さ八寸が炸裂した。そして、周囲は次々にほたるをフクロにするのだった……。
それを生暖かく観察しながら、阿国はため息をつく。
「ゆやさんと、もう一度きちんと話したほうが良いですわね」
「そうだねー…あ、ボクもほたるさんを殴ってこよっと♪才蔵も殴っていいよ♪」
いそいそとほたるを殴る輪に、幸村とどこからか現れた才蔵も加わるのだった。

翌日。
「ゆやさん、ちょっといいかしら」
「あ、阿国さん、おはようごさいます」
さわやかな、朝のひとときだった。しかし隣の部屋の壁には、張り付いて耳を澄ませている異様な一団がいるのだが。
「あの…聞きにくいんだけど、ゆやさん。子供、どうやってできるか知ってる?」
阿国に問われたゆやは、頬を染めながら答えていた。
「あ、はい…その…好き合ってる二人が、口づけしたり、その、一緒に寝ればいいんですよね?」
「ええ、そうなんだけど」
そこで、はたと阿国は思い当たる。昨日のほたるもそうだったが「寝る」とはそのまんまの意味ではないのか。
「ゆ、ゆやさん…寝るって、眠るだけかしら?」
首をかしげながら、ゆやは不思議そうに言った。
「他に、何があるんですか?眠ってる間に、神様と仏さまが相談して、赤ちゃんを授けてくれるんでしょう?」
無邪気な発言に、阿国は目眩をおぼえる。隣や天井から、ずだだーっと、すっころぶような音がする。気をとりなおして、阿国はゆやにさらに問いかけた。
「それは…誰から教わったの?」
「望兄様です!」
ゆやの答えは、迷いがなかった。完全に兄・望を信じ切って疑わない。この天然娘に、真実をどう教えればいいのか…途方にくれそうになったとき。すぱーんと廊下に面した襖があけられた。
そこには、ほたるが立っていた。昨日、フクロにされたはずだが、きっちり回復している。体格に似合わず、打たれ強いのだ。それは、狂の朱雀をくらいながらも、辰伶と一戦やらかせることからも証明されている。
「ほたるさん…?」
おどろくゆやに、ほたるは真っ直ぐに近づく。阿国の存在は、完全無視だった。
「ゆや、俺の子、生んでくれる?」
直球勝負な言葉に、ゆやは嬉しそうに応えた。
「はい…!」
それを聞くと、ほたるは幸せそうに笑った。そのまま、ひょいっとゆやを抱き上げて、部屋をでる。
「ほ、ほたるさん…!どうしたんですかっ?」
「うん。邪魔のないトコで、イロイロ教えてあげる」
「え…?」
ゆやが、問いかけようとしたとき。隣室の襖が、内側から破壊された。ビキビキビキッと氷の刃が迫る。それを炎で防御すると。
「ほたるっ!まちやがれっ!」
「いかさへんでーっ!」
「逃がさねーからなっ!」
同時に、アキラ、紅虎、サスケが飛び出してくる。
彼らの追撃をかわしつつ、ほたるはゆやを抱えて遁走するのだった。