疵痕

「悲しみも憎しみも人を殺さない。人を殺すのは、別のものだから…」
そう呟いた彼女は、とても綺麗だった。

その日は、鄙びた旅籠に泊まった。狂はふらりと外出し、幸村と灯もそれにくっついていった。今回は珍しく、同行しなかった梵天丸と紅虎は、ぼーっとしながら二人でぼやいていた。すでに日はとっぷりと暮れ、夕闇が忍び寄ってきている。
「なんか淋しいなぁ…」
「侘びしい…」
暑苦しい漢二人は、ふと花のない事実に気がつく。
「そういえば、ゆやはんは何処やろ」
「先ほど、阿国さんと連れだって行きましたよ」
顔をあげて辺りを見回す紅虎に、そんな事も気づかないのかといいたげなアキラが答える。
「何処に?」
「聞いてません」
つーんとアキラは答えるが、梵天丸と紅虎にはたやすく推測できた。
「……むふふ。アレだな」
「アレやな」
スケベな笑いを浮かべ、いそいそと出かける二人をアキラは首をかしげながら見送った。
部屋にいたはずのサスケとほたるが姿を消していることに気づいたのは、その後だった。

煩悩の固まりと化した漢達は、迅速に露天風呂を発見していた。
「こっちから水音が…」
「湯気もでてるし、間違いないで」
顔をみあわせて、にたーっと笑った二人がそろそろと板塀に近づく。
「ベストポジションは、っと」
へっへっへと覗こうとした瞬間。二人の身体は空中に舞い上がっていた。
「!」
「げ!」
二人は霞網に絡み取られ、木にぷらーんとつり下げられていた。足下に、罠がしかけられていたのだ。
罠をしかけたのは、大人二人を冷たい目で見上げる少年忍者だった。
「…やっぱてめーらか」
少々無様な醜態をさらしながら二人は暴れるが、忍特性の霞網はかなり丈夫だった。
「何をしやがる!」
「下ろせ!」
「…ねーちゃんたちに、頼まれた。のぞき魔を捕獲しろって」
軽蔑しきった口調に、大人は一瞬沈黙する。
「…(読まれてる…)」
ここで猛省すれば、サスケも解放しただろう。だが、捕まった漢達に「反省」の二文字はなかった。
サスケを見下ろしながら、にへら〜と笑い始める。
「ちびっこもホンマは見たいくせに〜♪」
「そうそう。阿国の胸とか〜ゆやちゃんのあ〜んなトコとか♪」
言いたい放題な二人を見つめるサスケの視線が冷たくかわる。何も言わずに紫微垣をひきぬくと、顔色を変えた漢達に向かって技を放っていた。
「……………雷刃・火雷」

どこからか、ちゅどーんという破壊音が聞こえた露天風呂では。
「…雷、なりませんでした?」
「ほほ、自業自得ですわ」
「そうですね」
女二人がのんびりとお湯を楽しんでいた。あまりつかりすぎると逆上せるので、ゆやは縁の岩に腰掛けて崩れかけた髪をあげ直していた。白い濁り湯の温泉に入るのは初めてで、うきうきと気分がよい。
「やっぱり、温泉はいいですね」
「ええ、ここはお肌が綺麗になるって有名な秘湯ですのよ」
豊満な身体をお湯に沈めながら、阿国が教えてくれる。耳寄りな情報に、ゆやは嬉しそうに笑った。
「ほんとですか?綺麗になるといいなぁ…」
「今でも十分、綺麗だけど」
「えへ、そうかな…………え?」
機嫌がよかったから、背後から話しかけられても軽く答えを返していた。ここに、いるはずのない人物の声だったのに。
はた!と思いいたり、おそるおそる振り返ると。
そこには、ほたるが座っていた。無表情だが、じーっとゆやの裸体を観察して感想を述べてくれる。
「肌理も細かいし、すべすべだし、色も白くて、いーんじゃないの?」
「ほ、ほたるさん……?」
「あらあら」
ゆやは、一瞬、石化していた。反対に阿国は余裕の笑みをみせている。
何たって四聖天。その気になれば、完全に気配をたつことも可能だ。それをゆやに気付けというのは、無茶だろう。実際、ゆやは目と鼻の先で観察されてても、気付かなかった。能力の無駄使いですわね、と阿国は思ったりしていたが。
「胸はまだ成長するだろうから……あ?」
ほたるの観察は、まだ続けられていたが、ゆやの方は我にかえっていた。ざばっと濁り湯に飛び込むと、胸を腕で隠しながら悲鳴を上げる。
「き……きゃああぁぁ─────っ!」
「…隠さなくていいのに」
天然なほたるは、どうしてゆやが悲鳴をあげるのか理解できないらしい。
そうこうしてる間に、ゆやの悲鳴を聞きつけた漢たちがどやどやと現れていた。
先頭を切って現れたサスケは、のほほんと座るほたるの襟首をつかんで怒鳴りつける。
「てめーっっ!いつの間にっ!」
遅れた現れた梵天丸も、まよわずドツいていた。
「あほたるっ!抜け駆けしやがってっ!」
ほたるは、ちょっとだけ不機嫌な顔をしつつもあっさりと答える。
「……?抜け駆けは、してない。囮につかっただけ」
「余計悪いわっ!」
紅虎の叫びをよそに、ゆやは阿国の背後で涙ぐんでいた。
「阿国さん〜〜〜っ!」
「うふふ、見られる内が花ですのよ、ゆやさん」
顔を真っ赤にそめるゆやを、阿国は婉然と慰める。大人の余裕であった。

その後、ほたるは漢たちから吊し上げをくらっていた。
「あんさん一人だけ、いい思いするなんて、ずるいで」
「ほたる…あなたって人は…!」
「喜びは、皆で分かち合うべきなんだぞ」
紅虎、アキラ、梵天丸に口々にいわれるが、本人は何故吊し上げをくらっているのか理解してないような、きょとんとした顔をしている。ようやく反応したのは、サスケの言葉だけだった。
「…ねーちゃん、相当怒ってるぞ」
「なんで?」
それでも不思議そうに首をかしげる。仕方なく、梵天丸がゆやの心情を代弁した。
「なんでって…当たり前だろ?恥ずかしいんだよ」
「あんなに綺麗なのに、何で恥ずかしいんだろ…」
「そういう問題じゃありませんっ!」
アキラに一括されて、ほたるなりに考えてみた。基本的にほたるは、女は綺麗なモノは見せびらかすと考えていた。だからゆやが恥じらう心情が、イマイチ理解できないのだ。ふと一つの理由に思い至る。方向性は、激しく間違っていたが。
「あ、古傷が恥ずかしいのかな?」
「なんで、ゆやさんが古傷を恥ずかしがるんですか!……古傷?」
侍や武芸者でもないゆやに、恥じるような傷痕があるとも思えない。アキラは再度ほたるを叱責するが、ゆやに古傷があったという事実に、思わず聞き返していた。ほたるはこっくり頷くと、右手で腹部から脇腹を指し示す。
「うん。ここからこの辺まで、すっぱり。背中まではいってないけど。輪切りにならなかったのが不思議。よく生きてたと思う」
具体的に示された傷痕に、漢たちは一瞬言葉をなくした。腹は、人間の急所のひとつだ。鍛え上げられた自分たちでさえ、その箇所に刃をくらえば、ただではすまないのは明白だった。梵天丸がうなるようにいった。
「そりゃ…確かに。そこなら、あばらと内臓をやられてるはずだしな」
「………賞金首にやられたんでしょうか?」
アキラは思案げに口にするが、ほたるはあっけらかんと見たことを口にした。
「でも、すごく上手かったよ、切り口」
「あんた、しっかり見てるな」
サスケが非難する声音でいうが、ほたるは全く気にしない。
「その下も、ばっちり」
さらなる爆弾発言をかまされて、サスケは顔を真っ赤にして絶句した。
「下、下って……」
アキラもまたオウムのように単語を繰り返すしかない。口元を押さえているのは、案外、鼻血を隠しているのかもしれない。うろたえる青少年に、梵天丸と紅虎は生暖かい視線を向けるしかなかった。
「…まだまだ青いな」
「そやなぁ…」

機嫌を損ねたゆやは、部屋にいなかった。庭に面した廊下のつきあたりで、ぽつねんと座っている。周りから謝罪にいけ!と圧力をかけられた漢は、ほたほたと歩いて近づいていた。今度は気配を殺さずに。
「…怒ってる?」
「はい」
話しかけると、返事は即答だった。ほたるは、ちょっとだけ肩をおとすと、ぺこりと頭を下げていた。
「……ごめんなさい」
「え?」
あっさりとあやまられて、ゆやは驚いた顔でほたるを見つめる。それをどうとったのか、ほたるはさらに続けた。
「まだ怒ってるなら、もっとあやまるけど」
ほたるなりの反省の表現なのだと気づいたゆやは、しょうがないなぁという笑顔をみせた。
「…もういいです。今度から止めてくださいね」
「うん。覗かない」
「それなら、いいです」
約束を貰うと、満面の笑顔になる。ほたるは、ぼーっとゆやの笑顔をみつめながら、一緒に風呂に入れば問題ないよね…等とゆやが知れば赤面ではすまないイロイロなことを淡々と考えていた。無表情なほたるの思考を、ゆやが読み取れるはずもなかったが。ゆやはだいぶ機嫌を直したらしく、雰囲気がいつものように柔らかくなっていた。
「座っていい?」
「はい、どうぞ」
ほたるはゆやの隣に座ると、少し気になっていたことを聞いてみた。
「……傷、まだ痛む?」
瞬間、ゆやの顔が真っ赤に染まる。傷痕を見られたということは、モロに見られたと同義なので。それでも、ほたるの言葉に邪気がないので、少しうつむきながらも答えていた。
「あ…もう完治したから、平気です。12のときの傷ですから」
「誰にやられたの?」
すこし尖っているほたるの声に、ゆやは首をかしげた。
「聞いて、どうするんですか?」
「殺そうと思って」
あっさりと何の迷いもない返事に、ゆやは微笑んだ。嬉しいような淋しいような、不思議な笑みだった。誤魔化されると感じたほたるは、むっとなって言った。
「何で笑うの」
しばらく沈黙したあと、ゆやは穏やかに答えた。
「競争率高いですよ……12のとき、望兄様が殺されたとき、近くにいた私も斬られたんです…」
静かに語られる言葉に、思いだす。彼女の兄を斬ったのは壬生京四郎で。彼女はその仇を討つために、賞金稼ぎになったのだと。そう教えてくれたのは梵天丸だったかアキラだったか。また壬生京四郎の命を狙う筆頭は、誰あろう狂だった。確かに、壬生京四郎を殺す優先権は、自分ではなく彼女と狂のものかもしれない。だが、もしも機会が巡ってくれば逃すまいと、ほたるは思った。
ゆやは記憶をたどるように、そっと古傷を押さえながら話している。
「女帯でよかったって、お医者さんが教えてくれました。男帯だったら、死んでたって」
たしかに傷の位置は、女帯の位置と重なっていた。ほんのわずかな幸運が、生死をわけることがあるのだ。
じーっと着物の上から傷痕をみながら、ほたるは聞かずにはいられなかった。分かり切っていることなのだけれど。
「痛かった?」
ゆやは小さく笑って、何でもないことのように答えた。
「痛いというより、熱かったかな?あんまり覚えてないんです。一ヶ月くらい寝ついてたから。身体が動くようになったら、お葬式も何もかも終わってて…悲しいのと憎らしいのとで、頭の中、いっぱいだったし」
意外な言葉を耳にして、ほたるは思わず確認していた。
「あんたでも、人を憎んだりするんだ」
「もちろんです。執念深いですよ」
ほたるの驚きが伝わったのかもしれない。ゆやは愛らしいとさえとれる笑みを浮かべて言い切った。だが、ほたるはゆやの言葉を額面通りには受け取れない。
「……(そんな笑顔で言われても、説得力ないし)」
ほたるの内心をよそに、ゆやは昔のことを思い出しつつ、言葉にしていた。
「あの頃は、兄様の仇を討ちたくて。それ以外は、考えられなかったなぁ。長屋の隣のおじさんが、祇園の遊郭に紹介してやるって話も、断っちゃったし」
あっさりとした言葉だったが、ほたるは思わず指摘せずにはいられなかった。遊郭とは、何事か。
「そいつ、何者…」
「女衒だったけど、いい人でしたよ。女一人で生きていくのは難しいって、諭してくれました。旅籠や茶屋で、ついでのように客を取らされる女郎になるよりは、初めから遊郭で働いて、良い身請け先を探したほうがいいって。幸い借金もないし、引き込みのまま太夫になれるよう話をつけてやるって」
「………」
だがゆやは、あっけらかんと話し続ける。彼女にしてみれば、懐かしい記憶らしい。
確かに安い金で売り買いされる飯盛女郎と、京の祇園の太夫では、同じ女郎だとしても天と地ほどの開きがあるのだが。ほたるにしてみれば、目の前の少女が春をひさいでる光景など想像するのも嫌だった。
「でも、どうしても仇を討ちたいって言ったら、賞金稼ぎになれって教えてくれたのも、その人だったんです。銃の扱いや、護身術も教えてくれました。あと漢に騙されない方法とか。油断してると、売られちゃうぞって」
ゆやは、恩人を思い出す。もともとは侍だったという漢。いつのまにか女衒にまで身を持ち崩していたが、たまたま隣の家に住んでいた兄妹には、何故か親身になってくれた。女を騙したり、口にできない悪事もさんざん働いた漢だったのに、天涯孤独になったゆやを助けてくれたのだ。何の見返りもなく。誰が何と言おうと、それは真実だと、ゆやは知っていた。
「ほんと、いい人で…兄様が死んで一年近く、面倒をみてくれました。それをカタに、私を売ることもできたのに。三連発銃も、餞別に貰ったんです。辛い記憶は、忘れずにしっかり背負っていけって言われました。悲しみも憎しみも人を殺さない。人を殺すのは、別のものだから…って」
別れの時に告げられた言葉を覚えている。それが、どんなに辛いときでもゆやを支えてくれたから。
「…何が人を殺すの?刀?」
ほたるに問われ、ゆやは答える。真っ直ぐな、迷いのない言葉だった。
「諦めや絶望が、人を殺すんです。刃や銃よりも簡単に」
「…………」
凛とした姿に、ほたるはかける言葉が見つからなかった。隣に座る少女は、とても美しいのだと改めて思った。
ほたるの沈黙で、ゆやは、はっと我にかえったらしい。照れて、染まった頬を隠すように両手で押さえる。
「あ、なんか語っちゃって、ごめんなさい。つまらない話でしたよね」
どこか幼い姿に、ほたるは微笑んだ。微笑まずにはいられなかった。
「そうでもないよ」
かけられた言葉と笑顔に安心したのか、ゆやも微笑む。すこしだけ、恥ずかしそうに。
「……こんな思い出話したの、ほたるさんが初めてかな」
それから、廊下に立ち上がると、ぺこりと頭を下げて挨拶する。
「それじゃ、私、休みますから。お休みなさい、ほたるさん」
「うん。おやすみ」
ぱたぱたと去っていく後ろ姿を見送りながら、ほたるは相変わらず廊下の端に座っていた。視線は、ゆっくりと辺りを見回していいる。
おもむろに、周囲に聞こえるような声でつぶやく。
「……話してくれたのが、俺が初めてなのは嬉しいけど……聞いてたのは、俺一人じゃないし」
どこからか、狼狽するような気配が複数あった。ほたるはさらに、冷たい声で言い放つ。
「でてこないと、燃やすよ?」
だが、庭は静まりかえっていた。ほたるは、すっと腕をあげる。
「………魔皇焔」
──哀れ紅虎と梵天丸は、黒コゲに。ちなみにアキラは氷で防御、サスケ、阿国は素早く逃走していたため無傷だったそうな。