風の名前 3

シクローンは上機嫌だった。この前の祭りで、出店の売り上げは悪くなかった。祖母に送金しても、まとまった金額が手元にのこった。
「…ユリケンヌに、何か買ってやらねーと」
どこか幸せそうな笑みをうかべるシクローンの足取りは軽い。従姉妹で幼なじみのユリケンヌは、シクローンにとって特別な存在だった。たぶん、自分たちはそろそろ関係を変える時期に来ているのだろう。面倒見のよい座長や、気のいい一座の年長者たちからも、それとなしに言われ始めている。ユリケンヌと結婚して、家庭をもつ。それは今までと似ているようでいて、新鮮な想像だった。
「やっぱり、指輪かな。宝石とか…髪飾りの方がいいのかな?」
一世一代の告白をするなら、それに見合った贈り物がしたい。ユリケンヌは、物に執着しない。だからこそ大切な何かを送りたかった。
いろいろと考え事をしていたシクローンは、ふと顔をあげた。陽はすっかりおちて、薄闇が世界を包み始めている、黄昏時。逢魔が時とも呼ばれる時間帯だった。一座が野営している場所へと続く街道。ぱたりと人通りは絶えた道の先に、背の高い人影があった。
「あんたは…」
怪訝に思いながらも、シクローンは足をすすめていた。立っている青年には、覚えがあった。頬に傷のある流れの剣士。確か、ダイと名乗っていた。自分を行方不明の友人と間違えた、通りすがりの他人。あの時の街からは、ずいぶんと離れたのにまた出会ってしまったらしい。
「偶然だな。あんたも、ここに来たのかい?」
「ああ…偶然じゃないけど」
ダイの答えがよくわからなくて、シクローンは首を傾げた。
「これを…」
ダイが胸元から取り出した小さな革袋を差し出してくる。自分を見つめる視線が、あまりに真摯だったから思わず受け取ってしまった。何も言わずなおも見つめてくるダイに、どこか薄ら寒いものを感じながらシクローンは革袋を覗いた。中には、小さな水晶が入っていた。
「これが、どうかしたのか?」
とりだした水晶を片手にダイに問いかけたとき。
ひゅん、という風鳴りと銀の光が見えた。
え、と目を瞬かせれば、かちん、という剣が鞘に収まる音が聞こえる。あまりの速さに、呆然とする。我にかえったとき、じわりと手のひらから痛みが伝わっていた。
「痛ーーっ!あんた、何の真似だよっ!」
水晶をもっていた手のひらは、すっぱりと切り裂かれていた。ぼたぼたと落ちる血と一緒に、水晶も取り落とす。とりあえず止血せねば、とハンカチを無事な手で探ろうとしたとき、傷ついた手首を掴まれていた。
いつの間にか距離をつめていた、ダイだった。無造作にシクローンの手首をつかんでいる。だが、力は万力のようでびくともしない。
「てめぇ…、剣士だからって偉そうに…!」
「光ってる」
ダイは、シクローンの手首を押さえたまま地面に流れた血だまりに転がる水晶をみていた。それは鮮やかな血の中で、ほのかに輝いていた。
ふわりと、ダイは笑っていた。
この上もなく、幸福な笑みだった。
手の痛みもわすれて、シクローンは魅入られたようにダイを見つめていた。それでもすぐに自分をとりもどして、叫ぼうとする。だが、声はでなかった。
掴まれた手首を引かれ、抱き込まれていた。そして、唇をふさがれる。自分よりもガタイの良い男にキスされて、シクローンの頭の中は真っ白だった。
長く深い口づけが終わり、息も絶え絶えなシクローンの耳元でダイが小さく囁くのが聞こえた。
「…ごめんね」
それを最後に、ふっつりと意識は途絶えてしまった。

当身で意識を手放した身体は、ダイの腕の中にあった。未だ血をながす傷に治癒魔法を注ぎ、手のひらに残った血を舐めとる。鉄さびの味を、不思議と甘く感じた。
血に染まった竜水晶は、輝き続ける。
竜の騎士の血を誇るかのように。
成人男性としては、いくぶん軽めな身体をダイは抱き上げていた。
腕の中に、ポップがいる。
その事実は、ダイの空っぽだった胸のうちをゆっくりと満たしていく。
辺りの陽はすっかり暮れて、空は闇の帳がおりている。山間から顔をだした月が、煌々と辺りを照らしていた。
月に向かうように、ふわりとダイは飛翔呪文で浮かび上がる。ポップをつれて、帰還するために。
「…シクローン!」
少女の叫びなど、聞こえなかった。
「待って、シクローンを何処に連れて行くの!?」
そんな名前は、自分とポップには無関係なのだから。
「シクローン…っ!」
細い悲鳴を後に、ダイは移動呪文を唱えていた。
雑音のない地を目指して。


帰りの遅いシクローンを迎えにでていたユリケンヌが、泣きながら戻ってきた。座長は、一瞬、最悪の事態を思ってしまった。
だが、とぎれとぎれに説明するユリケンヌの言葉に、安心と同時に眉をしかめていた。
「…なんで、シクローンがさらわれるんだ?」
「でも、本当なんです!前にあった流れの剣士が、シクローンを連れていっちゃたんです…!」
「身代金目的でもないだろうしな…」
騒ぎを聞きつけて、座長とユリケンヌの周りには一座の者が集まってきていた。
「やっぱり人違いじゃないかね?」
「シクローンも災難だな」
「とにかく、その流れの剣士ってヤツを手配してもらわないと!」
口々に言いつのる者は、皆、さらわれたシクローンの身の上を案じていた。同じように心配している座長も、力強く頷く。
「よし、警備隊に訴えよう。俺たちでは探すにしても限度がある。幸いここはカール王国だ。警備隊でらちが開かなかったら、アバン国王に直接願い出よう!」
そうだ、そうしよう、と口々に賛同する者達のなかで、ユリケンヌはただ不安そうに涙をぬぐうばかりだった。


一座にとっては、幸いだった。訴えを扱った警備隊長がかつてフローラに率いられて最後の戦いに参加した経験をもっていたのだ。
彼は、当然のように勇者と大魔道士の名前も、特徴も覚えていた。

頬に傷のある、ダイという名の流れの剣士。
親友だった、ポップという魔法使いを探している。
そして人違いでシクローンという青年を拐かした。

正直、警備隊長はどうしていいか解らなかった。迷ったあげく、彼は国王へと報告する。勇者も大魔道士も、国王の弟子であったのだから。
報告を受けたアバンは、しばらく考え込むと、この件を自ら解決しようと決断するのだった。