風の名前 2

自分を見つけてくれたのは、ポップだった。
だから、帰還することができた。一年間、行方不明だったときの記憶はあまりない。帰ってきてからの一年間の記憶が眩しすぎて、どんどんと朧になってきえていく。ポップと一緒にすごした一年と三ヶ月の記憶が、ダイを今まで支えていた。
ポップが姿を消したのは、突然だった。
前触れも何もなかった。
ダイは、今でも鮮明に思い出すことができる。
ポップと自分は、マトリフの洞窟に居候していた。ポップは修業のため。自分は、社会勉強のため。家主であるマトリフは、自分たちを適度に使いこなして、それなりに楽しい日々だった。
あの日。ポップは、マトリフの使いでカール王国へとルーラで向かった。
けれど、カール王国へは到着しなかった。
ルーラの途中で、人が消えてしまうなんてあり得ないのに。
ポップは、消えてしまったのだ。
ダイもマトリフも、アバンもレオナも、可能な限り手を尽くした。メルルも全霊を込めて占った。けれど、ポップの手がかりは何処にもなかったのだ。まるで、空に吸い込まれてしまったかのように。
あの日から、ダイは彷徨っている。メルルの占いを、唯一の心の支えにして。
「───ポップさんは、死んでいません。それだけは、絶対に間違いありません」
窶れた表情で、それでも毅然と顔をあげてメルルは言った。願望ではなく、占いの結果だと断言した。
「俺は、ポップを探し出すよ。ポップが俺を見つけてくれたように──必ず」
そう言い残して、ダイは旅だったのだ。
同じ年頃の記憶喪失の青年がいると聞けば、世界の端からでも飛んでいった。辺境の山村や漁村も、丁寧に回った。何処にいるか見当もつかないポップを求めて、世界中の街や村を回る覚悟だった。けれど、三年が過ぎても…ポップの手がかりはかけらもなかった。
ダイの目前に現れた青年以外は。
シクローンと名乗る青年は、ダイが思い描いていた三年後のポップの姿そのものだった。
だが、彼にはダイの記憶がない。
自分を騙しているようには見えなかった。まぎれもなく、自分の記憶を信じている。ならば、周りの人間たちが、彼やダイを騙しているのだろうか。ダイは、そっとシクローンの衣服にルラムーン草の粉を気づかれないように振りかけると、旅芸人の一団と別れてパプニカへと戻った。レオナとマトリフに相談するために。

ダイの話を聞いたレオナは、迷うことなくポネンテ村について調べ始めた。マトリフは、難しい顔でダイの話を聞き終えると、恐ろしく散らかっている己の部屋の片隅から、ごそごそとなにやら引きずり出していた。
「…他人の空似ってこともある。お前は、思いこみが激しーからな」
「俺は、ポップを間違えたりしません…!」
「おちつけ。証拠がないだろーが。物証がないかぎり、それは思いこみなんだよ」
冷たい声で断言されて、ダイはむっと口を惹き結ぶことしかできない。マトリフは不服気なダイをみて、ニヤリと笑った。
「確かめる方法は、あるんだぜ?」
「……?」
訳がわからない顔をしたダイの目の前に、マトリフはことん、と六角柱の結晶を置いた。五センチ程度のそれはただの水晶にみえた。けげんな顔をしたダイが結晶にふれたならば。結晶は、きらきらと内側から輝き始める。
「これは…」
「竜水晶さ。竜の騎士にのみ、反応する。俺も今まで半信半疑だったが、どうやら間違いねーようだな」
マトリフは満足げに頷いていた。輝く水晶を手にしたまま、ダイはまだ話が飲み込めなかった。
「これで、どうしろと…」
「鈍いヤツだな。そいつは竜の騎士に反応するって解っただろ?」
「俺に反応したって、どうしようもない。竜の騎士は、俺だけなんだから」
ダイの拗ねたような言葉に、マトリフは額を抑えつつ説明をはじめる。
「あのな…確かに、竜の騎士はお前だけだ。だが竜の騎士の血をもつのは、お前だけじゃねーだろ」
「あ……」
はた、と顔をあげたダイに、マトリフは口元を歪めながら告げていた。
「シクローンとかいう奴を、これで確認しろ。ただ触っただけじゃ反応しないかもしれねーが、その時は直接、血で試せ」

ポネンテ村は、実在していた。
シクローンの言ったとおり、パプニカ南西部の鄙びた村だった。
「…ついでに、ユリケンヌとシクローンって二人もいたそうよ。町はずれのタイフォンって老女の孫ってことで、覚えてる人は何人かいたわ」
報告書をめくるレオナを、ダイは黙ってみていた。マトリフからうけとった竜水晶は、首からさげられた小さな革袋に収められて衣服の中にしまっている。竜水晶はダイの肌が直接ふれないかぎり、輝くことはなかった。
「でもね…タイフォンって方が、かなり気むずかしい方らしくって。孫たちは、他の村人とあまり接触がなかったそうなの」
そういうと、レオナは顔をあげた。
「私は、すりかえが行われても誰も気づかないと思うわ。ダイくんは、どう思う?」
「俺も、レオナと同じだよ」
同意を得ると、レオナは綺麗に微笑んでいた。
「シクローンとかいう彼を、とっつかまえちゃいなさい。賭けてもいいわ、彼は──彼よ」
「残念だけど、賭けにはならないよ」
ダイも薄い笑みをこぼしながら、レオナの前を辞していた。

シクローンの追跡は、簡単だった。
ルラムーン草の跡を、リリルーラで追えばよかった。
服の下の竜水晶を握りこんで、ダイは口元をひきむすぶ。
己を戒めるために。
竜水晶で物証が得られても、きっと彼は自分を他人のように見つめるのだろう。街ですれ違った、ただの顔見知りのように。
自分を知らない記憶をもつ──ポップに。
優しく接する自信が、ダイにはなかった。