風の名前 1

──風の名前を知りたかった。

街角で、ダイは立ちつくしていた。
お祭りだと聞いていた。広場には屋台や大道芸人たちがいて、人々を楽しませている。
そんな屋台の一つに、飴細工屋があった。店主らしい青年は素早い指の動きでもって、まだ熱い飴をこねて飴細工を仕上げていく。魔法のように、飴の塊から小鳥や犬や猫、薔薇などが生み出されていた。周りの大人達は感嘆し、子供達は大喜びだった。
可愛らしい飴細工は、飛ぶように売れていた。販売担当の少女は派手な服をきていたが、化粧気の少ない清楚な印象があった。愛想よく子供たちに飴細工を渡していく。彼ら二人は、若い夫婦か恋人同士にみえた。少ない会話で、分かり合っていた。ときどき、じゃれ合うように軽口を叩いていたが、それすらも微笑ましくみえた。
ダイには、信じられなかった。
道の真ん中で呆然と立ちすくんでいると、行き過ぎる人々から不審な目でみられた。我にかえったとき、慌てて広場の片隅によっていた。その場所からも、ダイは飴細工屋の屋台を見つめていた。正確には、店主らしい青年の姿を。
陽気で働き者で愛想がよくて。たまにお客の可愛い女の子に鼻の下をのばして。少女にこづかれて、笑って誤魔化したりして。周囲の屋台の店主たちや大道芸人たちとも顔見知りらしく、にこやかに会話を交わしていた。
ダイは、ただ彼だけをみていた。
黄色いバンダナもなく、緑色の法衣もなく。最後にみたときから、明らかに成長していたけれど。ダイが、彼を見間違うことなんてないのだ。
誰よりも大切な存在を。
「……ポップ」
ダイは、壊れ物のように名前を音に変換した。
飴細工屋は、品物を売り切ったらしく店じまいをしていた。青年は、ダイに気づいた様子もなく、少女と会話を交わして出店の裏に置いてあった荷車に荷物をのせ、近くに繋いでいた驢馬を荷車に繋げ直していた。
行ってしまう。
そう感じたとき、ダイは駆けだしていた。
勢いのままに、驢馬に何事か話しかけていた青年の腕をつかんでいた。
「ポップ!」
「うわっ!」
突然現れた体格の良い青年に、ひょろりとした印象のある飴細工屋の店主は仰天していた。しかも相手は、明らかに旅の剣士なのだ。長剣を腰に佩いて、顔に傷まである。
「だ、誰だよ?俺は、何もしてないぞ!」
狼狽する青年に、ダイは叫んでいた。
「俺がわからないのか?!ポップ!」
「……なんだ、人違いかよ。びっくりしたぜ…」
しばらくダイの顔を見つめた青年は、ほっと息をはきだし呟いた。だが、ダイはそんな言葉にお構いなく、なおも青年の腕や肩をつかむ。
「人違いじゃない!お前は、ポップだろう?嘘をつかないでくれ!」
自分をがっちりつかむダイに、青年は不機嫌そうに言い放つ。
「嘘なんてついてねーよ!俺はシクローンってゆーんだ!職業は、見ての通り飴細工屋!」
「嘘だ!お前はポップで、俺の魔法使いだろ?!」
「人違いだって、いってるだろーがっ!大体、俺は魔法なんてつかえねーよっ!」
あまり気が長くないらしい青年は、ぎゃんぎゃんとわめき始めていた。どんなに叫ばれても、暴れられても、ダイの腕が離れることはない、言い争う二人のまわりには、ちょっとした人垣ができていた。
おろおろと二人を見守っていた少女の背後から、壮年の男が話しかけていた。
「どうしたんだ?ユリケンヌ」
「あ、座長…なんだか、あの剣士さんがシクローンを誰かと間違えてて…」
振り向いた少女は、安堵したように状況をつたえる。頷いた座長と呼ばれた男は、こちらに気づくことなく叫んでいる青年を見つめていた。必死に訴えかけるダイもふくめて。
「シクローンが騒ぎを起こした訳じゃないんだな?」
「はい」
「…とりあえず、剣士さんもシクローンも落ち着いて貰わなきゃならんな」
そういうと、座長は傍らのバケツをとりあげていた。中には、掃除用の水がはいっている。そして、言い争う二人にぶっかけていた。
ばっしゃーん、と頭からずぶぬれになった二人は、ぴたりと動きをとめて沈黙していた。
「…誰だ!何しやがるっ!」
「!!」
ぶるぶると震えるシクローンと、警戒したダイが振り向いた先には、空のバケツをぶらさげた座長が立っていた。
「俺だよ、シクローン」
「げ、座長…」
「そっちの剣士さんも、濡らして悪かったな。とりあえず、俺たちの馬車んとこに来たらどうだい?いろいろ訳ありらしいし、頭を冷やして確認したいこともあるんだろ?」
「……ああ」
頭の冷えたダイは、そういわれて頷いていた。隣ではシクローンがくしゃみをしていた。

座長は、旅芸人の一団を纏めている男だった。飴細工屋のシクローンとユリケンヌも、その一団に属していたのだ。着替えたシクローンは濡れた髪を拭きながら、馬車の傍らの小さなテーブルについていた。ダイもまた、椅子に腰掛けて話をきいていた。
「あのさ、俺はホントに生まれた時からシクローンって名前なんだ」
こまったように口にする青年の表情は、見失った親友にそっくりだった。ダイは、心を落ち着けるようにゆっくりと言葉を綴った。
「…記憶喪失とか、途切れてたりすることは?」
「ないね。俺が生まれたのは、パプニカの港町。でも、故郷の村はもうない。魔王軍の侵攻にあったからな。それで俺の両親は、小さかった俺を田舎のばあちゃんトコに預けて出稼ぎにでたんだ。座長のトコに。な?」
迷いもなくつらつらと話すシクローンに相づちを求められると、同席していた座長もあっさりと頷いた。
「おう。俺はシクローンの両親の昔なじみなんだ」
「ご両親は?」
続けられるダイの問いに、シクローンはよどみなく答える。
「五年前の、大魔王の侵攻に巻き込まれた。最初は、貯金もあったんだけどな…それも心許なくなったし、世情もだいぶ落ち着いたから、俺も稼ぎにでたんだ。座長を頼って、従姉妹のユリケンヌと一緒に。三年前のことさ」
「それからシクローンは、俺たちの一座と一緒にいるぜ。俺たちみんなが証人だ」
座長もまた、きっぱりと言った。従姉妹だというユリケンヌも、補足のように口を挟んでいた。
「私は、シクローンの幼なじみなの。生まれた時から、一緒にいるわ。シクローンは、記憶喪失になったことも行方不明になったこともない。故郷の村のみんなに、聞いて貰ってもかまわないわ」
「それは、何処にある?」
「パプニカだよ。大陸の南西の端のちっさい村。ポネンテ村ってとこさ」
けろりと、シクローンは答えていた。隠し事など、何もなさそうだった。

シクローンと名乗った青年の言葉に、嘘や偽りの色はない。他人の空似だってことが、あり得ないわけじゃない。でも、ダイには諦められなかった。
シクローンが芸人の一座に加わった三年前。
それは、大魔道士と呼ばれたポップが行方不明になったときだった。