Feverfew 後編

「もう止めて下さい!」
ノヴァは悲鳴にような声をあげて、我が身を省みないジャンクにすがりつく。だが、ジャンクは鬼気迫る目でノヴァを反対ににらみつけて言い放った。
「半人前は黙ってろ」
「いやです!あなたにもしものことがあったら…僕はポップにあわせる顔がありませんっ!」
それでもノヴァはひるまなかった。ジャンクは食事も睡眠もとらず、もう何日も鍛冶場に籠もっているのだ。それがどれほど身体に応えているかは、目の下の隈と痩けた頬が物語っている。だが、ジャンクはノヴァの言葉を鼻で笑った。
「…俺に何かある前に、バカ息子が死ぬだろうさ」
「ジャンクさんっ!」
声をあらげるノヴァの背後から、別の人影が近づいていた。
「ノヴァ」
そう声をかけてきた魔族の男に、ノヴァは最後の期待をかけていた。
「師匠!ジャンクさんを止めて下さい!」
入ってきたロン・ベルクは親友を一瞥すると、弟子に告げた。
「──ムリだな」
「わかってるじゃねーか」
あっさりとした言葉に声を失うノヴァのかたわらで、ジャンクは口をゆがめて笑っていた。暗い──しかし真っ直ぐな男の目をみつめて、ロン・ベルクは言った。さも当然のように。
「手伝わせてもらうぞ」
その言葉に、ジャンクは一瞬動きをとめる。痛みを耐えるように目をとじたあと、頭をさげていた。
「すまん…」
鍛冶師の男たちは、わかりあっていた。余計な言葉など不要だった。彼らには、もはやノヴァの──半人前の言葉は届かないのだ。
唇をかみしめたノヴァは、逃げるように鍛冶場を後にしていた。
残されたロン・ベルクは、ジャンクが睨み付けている坩堝をみつめた。その中には、溶けずに鈍い輝きをはなつ金属塊があった。
「これは…オリハルコンか」
「ああ。ヒムの身体の一部を貰おうと思ったんだが…」
ジャンクもまた、溶けない金属塊をみながら経緯を口にしていた。
それを思いついたのは、他に自分ができることが何一つないと理解したからだった。
息子の治療法を探すことも、看護を手伝うことも、心を慰めてやることも、祈ることでさえ、ジャンクにはできなかった。
不器用な男が、ただ一つできること──それは鍛冶仕事だけだった。
だから、剣を打とう思った。この世で最高の剣を、息子のために造りたかった。いや、息子のためではなかったのかもしれない。何もできない無力な自分自身のために──彼は、剣を造ることを望んだのだ。
そのための材料は、ひとつしか思いつかなかった。
それを確実にもっている相手に、ジャンクは懇願した。
爪の欠片でも、髪の一筋でもかまわない。その身のオリハルコンを、分けてくれと。
真摯な瞳でジャンクの話を聞いたヒムは、しばしの沈黙の後、首をふった。
「──あんたの願いを叶えるには、俺の身体は向いてないと思う。それができる…いや、望んでいるのは、きっとコレだ」
無念な顔をしたジャンクに、ヒムは布袋にはいった金属塊を渡した。
それはヒムが──決戦の行われた地で瓦礫の下から掘り出したものだった。
「これは覇者の剣と呼ばれた剣の欠片だ。俺の主──ハドラー様の剣だった。待ってくれ、人間達がハドラー様を厭っているのは知っている。俺も勉強したからな。けど俺は人間たちが知らないことも知っている。ハドラー様は、ポップを認めておられた。だから…上手く言えないんだが、あんたがポップを助けたいと願うなら、これはきっと力を貸してくれるはずだ。あの方に一番似ていると言われた俺が、あいつを死なせたくないんだから」
そう言って渡されたオリハルコンの金属塊が、いま坩堝のなかにある。
ジャンクは、融解しない金属塊をみながら吐き捨てるように言った。
「神の金属を、たかが人間の俺が加工しようなんざ、思い上がってるのかもしれねぇな」
自嘲の篭もる言葉に、ロン・ベルクは静かに答えていた。
「人間がオリハルコンを鍛える…確かに、聞いたことのない話だ」
赤々と燃えさかる魔法炉の劫火が、鍛冶場の二人の男を照らした。炎にゆらめく影は、まるで何かを呪うかのようにうごめいていた。
ジャンクは、静かに口にしていた。炎に誓いを立てるかのように。
「だが、俺はやる。人間の誰もなしえなかった不可能を、可能にしてみせる」
「そうか」
短く答えたロン・ベルクに、ジャンクは始めて困った顔をのぞかせた。
「…しかし、魔法炉で溶けてくれないとはな」
「温度は融点を超えている。覇者の冠は、この炉で溶けた」
かつてダイの剣を鍛えた同じ場所、同じ条件だというのに。覇者の剣の欠片は、凍り付いたように溶けようしない。
「何が足りない…?」
「わからん。オリハルコンは、意思ある金属とも呼ばれる。己の望まぬ形はとらないと聞いたことがある」
ロン・ベルクにも思いつける理由は、確証のないうわさ話しかない。
魔法炉の炎は燃えさかり、かつてないほどの高温に坩堝は真っ赤に熱されている。オリハルコンが溶けるのが先か、坩堝が崩壊するのが先か。残り時間は、どんどんと少なくなっていく。確実に。ポップの生命と、同じように。
「俺の願いは──そんなに途方もないもんか?」
「───」
ジャンクの呟きに、ロン・ベルクは答えることができなかった。
途方もない願いをこめて、ジャンクが剣を鍛えようとしていることを理解していたから。
剣は──人を殺すための武器なのだ。効率よく敵を殺す剣が、名剣とよばれる。刀鍛冶であるロン・ベルクは、それを誰よりも理解していた。自分と同じ鍛冶職人である親友も、理解しているはずだった。
それなのに、彼は。
人を──いや、息子を救う剣を鍛えようとしているのだ。
途方もない願いだと一笑にふすことはできない。親が子を生かそうとするのは、自然の摂理の一つでもあるのだから。
熱気の渦巻く鍛冶場に、清涼な風が吹いた。
風とともに、やつれた面もちの女が現れていた。
「あなた」
「スティーヌ…」
スティーヌの背後には、ノヴァの姿があった。自分では彼らを止めることができないと悟り、最後の望みをかけてルーラでスティーヌを連れてきたのだろう。だが、連れてこられたジャンクの妻は、ゆるやかに微笑んでいた。全てを理解しているかのように。
彼女は迷うことなく、坩堝に近づいていた。
「あなたの願いは、私の願いです。あなたが技の全てを捧げるならば、私は──」
そういうスティーヌの横顔が、坩堝の炎で赤くそまる。嫌な予感をおぼえて、ロン・ベルクは声をかけていた。
「おい」
「炉に飛び込んだりはしません。私には、まだ為すべきことがあります」
ロン・ベルクの杞憂に、スティーヌは首をふった。しかし、ロン・ベルクは尚も警戒していた。太古の昔から、鍛冶場において坩堝に生贄が饗されることは珍しいことではないのだ。坩堝の炎から目を背けると、彼女は夫を見つめた。そして、懐からとりだした短いナイフで、自分の髪を根元からばっさりと切った。突然の行為に、ノヴァが声をあげる。
「スティーヌさん…!」
ロン・ベルクも目を見開いて声もなくスティーヌを見つめていた。
そんな二人に頓着することなく、スティーヌは己の髪を夫に手渡していた。
「どうか、これを。私の祈りの形です」
「…バカ息子には、もったいねぇ祈りだ」
髪をうけとったジャンクは、ゆっくりと微笑んでいた。自分を心底理解してくれる妻に感謝しながら。
綺麗な黒髪は、またたくまに坩堝のなかに溶けていった。
そして一瞬の温度変化の後。オリハルコンの塊もまた、融解していった。
「───溶けた…」
呆然としたノヴァの声に、ジャンクは何処か楽しそうに呟く。
「ハドラーの野郎…女に弱かったのか?」
「さてな」
ロン・ベルクは驚きをかくしながら、平坦な声で答えていた。
「まあいい。やるぜ、ロン…!」
そういって、振り向く親友にロン・ベルクは力強く頷くのだった。


魔技熱の治療法はみつからなかった。
とうとうポップが昏睡状態に陥ったとき、マトリフはダイを呼び出していた。
ポップを助けたいなら手伝え、と告げて。
「これは禁呪だ」
己の洞窟で、マトリフはダイに向かい合っていた。
「なんたって、使う方も命がけだ。運良く命があっても、未来永劫、誹られるときてる。認められることはない。禁呪ってのは、そーゆーもんだ」
にやにやと悪人そのものの笑顔を顔いっぱいにうかべながら。
「まったく、この俺が使うに相応しい呪文なのさ」


ポップが助かるなら、方法も犠牲も全てを受けいられるとダイは思った。
マトリフの言葉は、最後の希望だった。

「…普通なら、あいつは助からない。今までと同じように、魔技熱で死ぬだけだ」

目覚めないポップ。窶れきった青ざめた寝顔。呼吸は弱々しくて──でも、まだ生きている。

「こいつは、魔技熱の治療法なんかじゃねぇ。これからも、魔技熱の犠牲者はでるだろう」

ダイには、治療法なんてどうでもよかった。ただ、ポップが生きていてさえくれるなら。

「裏技なんだよ…あいつは、運命の女神に愛されてるのさ。いや、呪われてるのかもしれねーな」

ポップの突出した運の良さ。それは、確かに凶運と紙一重だった。

「ここで死んだほうが、あいつのためなのかもしれん。だが、俺は死なせたくねぇ。呪文も、アイテムも、生贄もみつけた。方法があるのに、みすみす死なせるもんか」

方法があるなら。絶対に、死なせたりしない。それが、理に反しているのだとしても。

「呪文は、俺が見つけた。アイテムは、これだ」

輝く二振りの剣があった。片刃の長剣と、短剣だった。輝く真白の輝きは、ナツシロギクの花の白さを思い出させた。

「…人間が作りだした、オリハルコンの雌雄剣」

ジャンクさんの技と、スティーヌさんの祈りで、生み出された剣。

「そして生贄は──お前だ、ダイ」
マトリフは、長剣をダイの鼻先につきつけていた。
「俺に協力したら、間違いなくお前はポップに恨まれるだろうな。どうする?」
問いかけに、迷うことなくダイは答えていた。
「恨まれても、嫌われても、憎まれても、いいんだ。ポップがただ、生きていてくれるだけで」
「よくいった」
そして禁断の呪法は行使された。

───大魔道士ポップは、魔技熱で死んだとされている。



でも、俺たちは知っている。
ポップが生きていることを。
俺たちは、どんな姿になってもポップが生き続けることを望んだ。それが俺たちのエゴだって、わかっていたけれど。
ポップの身体は、マトリフさんが封印した洞窟の奥ふかくで眠っている。俺の血で描かれた魔法陣の中で、マトリフさんの禁じられた呪文によって。ジャンクさんが鍛えた雄剣とともに。マトリフさんの呪文は、ポップの人間としての時を凍らせた。時が凍ってしまえば、魔技熱は進行しない。決して、死ぬことはない。そしてポップの精神は、双剣の片割れ──雌剣に封じられたのだ。
「時が満ちるまで我慢しな」
そう、マトリフさんは言った。精神体にされて、混乱するポップにむけて平然と。
あれから、長い時間がながれた。
俺たちのしたことに、ポップは激怒した。何年も雌剣の中に閉じこもって、返事をしてくれなかった。それでも、穿たれた傷は時の流れがいやしてくれた。長い長い時間が、俺たちの上を流れていったのだから。
俺は、雌剣を肌身離さずもっている。いつだって、ポップと一緒だった。この剣がポップだということを知っているのは、もう俺一人だけかもしれない。
───お前って、長生きだよな。
「やっぱり、竜の騎士だからかな?」
昔のような軽口を、もう一度たたけるようになるまで時間がかかったけれど。今では雌剣に宿ったポップとまた会話を楽しめるようになった。
───話相手も、お前だけになっちまったぜ。
「ごめんね、ポップ」
───あやまんなくていい。あやまるのは…俺の方だ。
違うんだ。俺があやまってるのは、そういう意味じゃないんだ。

ナツシロギクの花が咲いている。

俺は、ポップが知らないことを知っている。
そして時が満ちるのを待っている。

どれほど時が流れ、人の世が移ってもナツシロギクは季節がめぐるたびに、小さな白い花をつけた。

俺の血で描かれた魔法陣は、今でも俺と繋がっている。
雌雄剣が、繋がっているのと同じように。
俺の生気は、雌剣を通じて雄剣と魔法陣に少しずつ流れ込んでいる。
そして共にあるポップの身体へと。
マトリフさんの呪文は、長い時間をかけてポップの身体を再構成させるものだった。
人ならざるもの──たぶん、俺と同じものへと。
魔技熱に冒されるのは、人間だけだから。
人間ではない者に、魔技熱は関係ない。
その事をポップは、まだ知らない。
いつか、時が満ちたとき。
俺は、ポップを抱きしめるだろう。
どれほど恨まれても、嫌われても、憎まれたとしても──必ず。

その日は、きっとナツシロギクの花が咲いていると思う。