草の仮面

彼は、母親に似ていた。優しげな面立ちが、そっくりだった。恐がりで、すぐ泣きそうな表情をするくせに、いざというときは強情なところも、母親ゆずりだった。
自分と一緒に育った義理の姉が、彼の母親に違いなかった。

竜の騎士に、親はない。
だが赤子だったバランを拾い育てたのは、気の良い樵の夫婦だった。彼らの娘と一緒に、バランは育てられた。竜の騎士は幼い頃は人間とさほど変わらない。それでも人よりは怪力なバランは、村で浮いた存在だった。同じ年頃の少年とさまざまな軋轢を起こしたが、その度に義姉がとりなしてくれた。やがて成長したバランは、己の使命に目覚め旅だった。両親や義姉に本当の理由は、話せなかった。未だ若かったバランは、誰よりも信頼していた彼らに、自分が人間ではないと知られたくなかったのだ。
竜の騎士としての戦いの果て、心から愛する女性と巡り会ったとき。
バランは両親と義姉を思い出した。そして、感謝した。彼らが自分を愛してくれたから、自分は彼女を愛することができたのだと。
彼女と小さな家庭をもったとき、バランはこっそりと彼らの様子を見に行った。今更、会いにいけるはずもなかったが、遠くからでも感謝を伝えたかった。両親は既に亡かったが、義姉は鍛冶屋に嫁いで小さな子供を抱えていた。幸せそうだったから、それでいいと思った。
遠くない未来に、妻と子をつれて義姉に会いにいきたいという、ささやかな願いを胸におさめて。
願いは、叶わなかった。
妻と子は失われた。
バランは、嘆きの果てに人間を呪った。
それでも報復しようとは思わなかった。わずかな郷愁が、凶行を思いとどまらせた。だが、バーンに囁かれたとき。人間を滅ぼすことこそが正しいと思ったのだ。
その報いが、目の前にあった。
未熟な魔法使いの少年。彼が死ねば、義姉は嘆くだろう。
もはや後戻りはできなかった。

勇者ダイの記憶を奪い、バランは息子ディーノを取り戻した。
激しい戦闘の末、竜騎衆三人を失ったが、ディーノにはそれ以上の価値があった。バランの魔王軍での発言力は増した。総司令の座は欲しくもなかったから、ハドラーに任せたままだったが。もはやバランの行動に口出しできるものは、大魔王バーン以外にはなかった。
バランはヒュンケルとクロコダインを殺さなかった。殺すには、あまりに惜しいと思ったのだ。ミストバーンもヒュンケルを処刑するのには反対らしかった。どんな思惑があるのか知れなかったが、現在二人はバランの居城の地下牢に囚われていた。見のがしてやった姫と占い師は、人間達の残存勢力のもとで戦っているらしい。いつまで持つのかはわからないが。バーンの地上攻略はゆっくりと確実に進められていた。
一度死んだ竜騎衆にバランは竜の血を与えたが、蘇ったのはラーハルトだけだった。ラーハルトはディーノを補佐し、二人の戦闘力は三人いた竜騎衆以上のものがあった。
そして今一人。バランが竜の血を与えたものがあった。

バランの居城の奥まった一室に、彼は眠っていた。
竜の血によって、心臓は鼓動を取り戻したが、目覚めはこなかった。
長い長い間、冬眠のように少年は眠り続けていた。
部屋の中には、ゴールデンメタルスライムが住み着いている。眠る少年が心配で、離れられないのだろう。勇者ダイとは仲が良かったらしいが、ディーノとなった彼とは今ひとつ相性が悪かった。もっとも力のないモンスターだから、ディーノの方は歯牙にもかけていなかったが。
バランが部屋に入ると、ゴールデンメタルスライムは怯え、少年にすり寄って動かなくなる。
「…まだ目覚めないのか」
呟いたバランは、苦い笑みをこぼす。
目覚めた少年が、自分の敵になることはわかりきっているのに。
それなのに、どうして彼の目覚めを願うのだろうか、と。
理由は、バラン自身にもわからなかった。ただ…義姉の幼い頃にそっくりな寝顔は、バランの郷愁を誘うものだった。
部屋を出たバランは遠征から戻ったディーノと出くわした。ディーノもまた、父に竜の血を与えられ眠り続ける少年が気になるようだった。遠征の報告を、嬉しそうにしたあと。ディーノはバランを真剣な目で見上げた。
「父さん、あいつが起きたら、俺にくれる?」
あいつ、というのが少年のことだとすぐにわかった。バランはしばし考えた後、ゆっくりと頷いていた。
「…いいだろう。お前の好きにするがいい。だが、殺すことは許さん」
「そんなこと、絶対にしない!父さん、ありがとう!」
そう言って笑うディーノは、年相応に見えた。魔王軍に同じ年頃の子供はいなかったから、寂しかったのかもしれない。
「楽しみだなぁ…早く起きればいいのに」
笑みを浮かべるディーノを、バランはみつめた。あの少年は、かつてダイと呼ばれていた我が子と親友だった。ディーノとなった息子をどう見るだろうか。嘆くだろうか。拒否するだろうか。諾々と従うことだけは、ないだろう。そして自分に従わない少年を、ディーノはどうするだろうか。
ひっそりとバランは暗い笑みをうかべていた。
ディーノは目覚めた少年を殺すまい。少年は、死んだ方がマシだと絶望するかもしれない。生きながら壊される少年の行く末を見届けたとき───バランは完全に人間を忘れ、郷愁を捨て去ることができるだろうという予感があった。