epilogue

夜の闇にまぎれて訪れるものを、ロン・ベルクは知っていた。正直に言えば、もう二度と会いたくない相手だった。若かった自分──魔界最高の剣士だった自分が挑み、両手を犠牲にしてなお勝てなかった、最悪な相手だった。
「…なんだ、まだ腕が治っていないのか」
「お前との戦いの傷は、癒えた。これは別口だ」
「まあ、そうだろうな」
酒瓶を土産に、影を通り抜けて忽然と部屋に現れたのは、真白な長い髪と赤い瞳をした黒衣の美少女だった。
「妖霊族の火酒を持ってきてやったぞ」
「ほう…悪くないな」
外見からは想像もできない馴れた態度で、美少女はロン・ベルクの家の棚を勝手にあさってグラスを二つとりだしてくる。酒瓶の封が切られると、独特のあまやかな芳香がただよった。
「グラスぐらいはもてるだろう?」
「ああ……それで、いまさら俺に何のようだ?命無き者の主よ」
喉を焼く火酒に酔いながら尋ねれば、少女はニヤリと笑った。生まれながらの吸血鬼、真祖とよばれる妖魔は、ロン・ベルクよりも遥かに年上だった。かつて相対したときと姿は変わっていない。敵対したロン・ベルクの一族の男たち──父や祖父、兄たちを惨殺したときと同じ姿、同じ笑みをうかべていた。
「その名で呼ばれるのは久しぶりだ。別に、お前を殺しに来たワケじゃない。それこそ、いまさらだしな」
ふふ、と笑う少女は、愛らしかった。その正体さえ知らなければ。
「今回は、お前に伝言をもってきただけだ。ま、使いっぱしりだな」
「……お前をパシリに使うとは、剛毅なヤツもいたものだ」
しみじみと本心から口にすれば、少女もうむうむと頷いていた。
「まあな。惚れた弱みというヤツだ」
「…………」
さらりと口にされた言葉に、賢明にもロン・ベルクはコメントを控える。
「ダイと里帰りするから、よろしく」
「…………は?」
一瞬、口にされた意味が理解できず、思わず問い返してしまう。間抜けな表情を浮かべた男を、少女は実に楽しそうに見やっていた。
「根の国、鴉の軍師ポップからだ。両親に伝えてほしいそうだ……ちゃんと伝えたぞ」
五年前、魔界を目指した人間の意外な伝言に、ロン・ベルクは言葉を失う。魔界で得た地位もさることながら、彼が得たらしい同僚(おそらく)の存在も含めて。
「さすがに人間に直接は会えないからな。とりあえず旧知なお前に伝えた。後は、まかせたからな」
「まて、日にちぐらいは教えろ!」
さっさと帰ろうとする少女に慌てて声をかければ、思い出すかのような沈黙の後、答えがかえってくる。
「…たぶん、明日くらいじゃないかな?」
「おいおい…!」
いきなりな展開に、ロン・ベルクは火酒に悪酔いしそうだった。これで任されては、何をすればいいのやらわからない。だが、少女はあっさりとしたものだった。
「深く考えなくてもいいだろう。魔界から軍勢がくるわけでなし。子供が親に会いにくるだけだ──伴侶を紹介するために」
そう言って、命無き者の主と呼ばれた妖魔──地将軍ジョカは楽しげに笑った。軍師の里帰りの理由を、おもしろがるように。
告げられたロン・ベルクは、今いち、ジョカの言葉の理解ができていないようっだった。難しい顔をして、必死で考えているらしい。
昔から頭の固いヤツだったなぁ…と、若い頃を知るジョカはしみじみと思ったりなんかしていた。
伝えたい事を伝えたジョカは、さっさとロン・ベルクの小屋を後にする。ポップが魔界側のゲートをあけるのを、人間界側からサポートするために森へと向かっていく。
久しぶりの人間界は平和らしい、と思った。空気に血の臭いがそれほど混ざっていないのが証拠だと思う。ジョカの鼻は、確かなのだ。しばらく逗留して、あの新婚バカップルの邪魔をするのも楽しそうだと考える。平和な時の娯楽は、やっぱり恋愛ゴシップネタにかぎる。ふふふと意地の悪い笑みを、ジョカは浮かべていた。


魔界の扉は、深夜にひっそりと開く。
扉をくぐって、大魔道士と竜の騎士が訪れる。
懐かしい人々と、つかの間の逢瀬を楽しむために。
そして、再び扉をくぐって戻っていく。
彼らの力を必要とする世界と、仲間たちの元へと。
死すべき運命の円環の中、精一杯の輝きを放つために。