Every night, The place at which a myth arrivesU

竜騎衆軍の本拠地は、平野部を見下ろす高台にあった。攻め込まれにくく守りやすい地形を選んで、小さな砦を築いたのだ。増築を何度かくり返したが、今でもこぢんまりとした質素な砦には変わりない。バーンやヴェルザー、いままで魔界で力をもった者たちは競って豪奢な宮殿を建てたものだが、ダイは全く興味を示さなかった。おそらくこれからも示すことはないだろう。どうせ建てるなら、竜騎衆を頼って集まり、平野部に住み着いた魔族たちに家を建ててやればいいと、常日頃口にしているのだから。
「質実剛健、といやー聞こえはいいけど…もう少し、内装に気をつかってもいーんじゃねーかと思うな…」
妖霊の清潔で美麗な祭殿に居を構えていたポップは、どこか虚ろな声で呟いていた。
「?掃除は、えっと、ちょっと前にした…と思う」
砦の主であるダイは、なんとなく自信なさげだった。たしかにレオナの王宮やバーンパレスや、妖霊の祭殿と較べると、その、若干、整理整頓とかその他モロモロ行き届いてないかもしれないが。ダイには文句はなかったし、ラーハルトやクロコダインも何も言わなかった。だから、こーゆーモンでいーんじゃないかなぁ、と思っていたりした。
「後で、妖霊を何人か回してもらおう──医療関係とか、料理人とか。正直、今まで疫病がでなかったのが不思議だぜ」
盛大な溜息とともに吐き出された言葉に、ダイはしゅんと肩を落としてしまった。ポップに怒られているような気がしたのだ。理由は、よくわからなかったけれど。
ガラスもカーテンもなく、板戸さえない吹きさらしの窓から集落を見下ろしながら、ポップはぶつぶつと呟く。
「…計画もなく街をつくってるしなぁ…」
愚痴とも文句ともわからない呟きは、乱暴に開いたドアの音に消えた。
「ポップ!」
「おっさん!」
ドタドタと踏み込んできたクロコダインに、ポップは目を輝かせる。かつての戦友たちは再会し、喜びを露わにしていた。

ヴェルザー軍の侵攻は止まっていた。死神は伝言を伝えたのだろう。イシュタムが存在を誇示して以来、兵を引きあげ、守りの姿勢になっていた。竜騎衆軍も兵を引き、ラーハルトとクロコダイン、イシュタムもまた砦に戻ってきたのだった。
「あなたが還ってきて嬉しいわ──わたくしの軍師」
優美なイシュタムの指先がポップの頬に触れる。間抜けな顔をしたダイに見せつけるように、絶世の美女はポップの頬に軽く口づけていた。
「…イシュタム。あんまり挑発しないでくれ」
「これは挑発じゃなくて、宣戦布告なのよ?竜の騎士殿と寵を争うだなんて、生まれて初めてだわ。長生きはしてみるものね」
うっとりするような笑みで、とんでもない事を口にし、しなだれかかる美女にポップは引きつった笑みを見せるしかない。ダイはポップからイシュタムを引っぺがしたくてうずうずしているが、たおやかな女性相手に力業もできず、どよーんとした雰囲気を発するばかりだった。
「はっはっは。役得だなぁ、ポップ!ところで、後ろの方はどなたかな?」
豪快に笑いとばすクロコダインの指摘にポップが振り返れば、そこにはガーゴイルと何故かハルワタートが立っていた。
「初めまして、クロコダイン殿。私は根の国、水将軍ハルワタートと申します。どうぞ、ハルと及び下さい」
「ハル殿か。ポップが羨ましいな。同僚がこれほどの美女ばかりだったとは!」
うむうむと頷くクロコダインの隣で、性格に問題がかなりあるがな…とラーハルトは思っていた。
「…いつのまに此処まできたのかしら」
少し不機嫌そうに尋ねるイシュタムに、ハルワタートはしれっとした無表情で答えていた。
「私は秘密の多い女ですから。こんなこともあろうかと、イロイロと」
「は、ハル!根の国の方は大丈夫なのか?」
とりあえずイシュタムの腕から抜け出したポップは問いかける。
「アドラが防備を固めています。メリアもジョカに見張られて大人しくしています。根の国は、こちらよりもずっと安全ですよ、軍師」
「そうか…で、なんでハルはこっちに来たんだ?」
「ヴェルザー軍に備えて、竜騎衆と根の国の同盟を、改めて宣言するべきだと思います。どうせなら、派手にぱーっと式典でもやって発表しませんか、という提案のために」
「良い案だと思うけど…ハル、無表情で口にしても説得力がないぞ…」
「そうですか?」
やっぱり無表情に不思議そうな雰囲気を纏わせるハルワタートに、誰も突っ込むことはできなかった。


「…それで、なんで砦から追い出されるのかな?」
「術の邪魔だからだろ」
ぼそりと答えるポップの傍らでダイは首をかしげていた。周囲にはさほど多くはない砦の住人たちがいる。騎獣や家畜たちも残らず砦から待避させられていた。彼らの目の前で、ハルワタートは砦をぐるりと囲った巨大な錬成陣に最後の仕上げをしている。
「一体何をしてるんだろ」
「練金術の準備だ」
「それって、魔法とは違うの?」
「かなり違うなぁ…魔法ってのは、無から有を呼び出すものだけど。錬金術は等価交換が原則だ。存在する物質を分解、再構成するのさ。質量保存の法則に従ってる科学の一種だな」
「……俺には、どっちも同じに思えるよ」
理解不能な単語の羅列に考えるのが得意でないダイは、情けなく答えるしかなかった。
「まあ、みてればわかるさ。百聞は一見にしかずってな!」
ポップの声につられて、ダイはハルワタートの背中を見つめた。水妖の女は、地面に手をついて錬成陣を発動させる。それは稲妻のような独特の光をはなち、瞬く間に砦を包み込み。輝きの中で、砦が崩壊したと思った次の瞬間。ただ岩をつんで、おざなりに漆喰をぬっただけの粗末な砦は消え失せ、優美でいながらも鋭い印象を与える城塞が忽然と現れていた。
周りでみていた者達はどよめき、やがて歓声をあげる。おそらく皆、口にはしなくても思っていたのだろう。自分たちを統率する主は…もう少し立派な住居を構えてもいいのでないかと。
「少し妖霊風になりましたが、いかがですか?」
「…練金術って、便利だね」
確認をとるハルワタートに、ダイは呆然と答えていた。
「上に立つものには、はったりも必要になります。竜の騎士殿も、どうぞ学んで下さい──これからのために」
「うん。頑張るよ」
こっくりと頷くダイを、ハルワタートは静かな目で見つめていた。しばらくして、軽く吐息をこぼす。
「竜の騎士殿。軍師─ポップは、あなたに恋われて戻ってきました。あなたも──どうかポップの元に戻ってきて下さい」
告げられた意味が、ダイにはよくわからなかった。問い直そうとしても、ハルワタートはダイの側を離れ、ラーハルトやクロコダインへと新しい城塞について説明を始めてしまう。ダイはポップに説明して貰おうとおもった。
「ポップ」
そう呼びかけたとき。
奇妙な感覚が、全身を走り抜けていく。
以前にも感じた、説明しようのない感覚だった。
そして、風のような声がダイに囁いていた。
<───竜の騎士よ。あなたを迎えに来ました>
天空から響いて来る声に、ダイは空を見上げる。いや、見上げる必要はなかった。
ダイは、空の中に立っていたのだ。魔界の空ではなく、長らく見ることのなかった地上の…青い空と白い雲の中に。飛翔呪文も、移動呪文さえつかった覚えはないのに。周りにいたはずの竜騎衆軍の仲間も、クロコダインもラーハルトも、ハルワタートやイシュタム、ポップさえもいなかった。
ダイは、たった一人だった。
「いったい、何が…」
平静を保ちながら、油断無く辺りをうかがった。
幻覚呪文に捕らわれたのかもしれない、とダイは思った。そう思いたかった。誰が発してるともわからない声は、尚もダイに語りかけてくる。
<私はあなたの敵ではありません。あなたを迎えにきただけです>
「俺を、何処に連れていくつもりだ」
<天界へ。あなたの使命は終わったのです>
するどく問いかけるダイの目の前に、金色に輝く人影のような姿がぼんやりと浮かんでいる。それは人ではなかった。天界──すなわち神々の分身である使者だった。
ダイは、かつての親友と最初で最後に会話したときを思い出していた。あの時も会話も、こんな風景の中だった。そしてゴールデンメタルスライムだった親友は「自分たち以外の時は止まっている」と、教えてくれたのだ。
今も、同じ状況なのだとダイは理解した。これは神々の力なのだろう。あたりは自分の心象風景で、自分の心の中で時間が止まっているに違いない。ダイは声を荒げていた。理不尽な声に、反論するために。
「終わったって…何だよ。俺は、まだやることが、いっぱいあるんだ!」
だが、声は淡々と告げる。ダイの反論など、意に介していないように。
<いいえ、終わったのです。竜の騎士の使命は、三界の安定。今回あなたを目覚めさせた使命は、女神の意思を確かめることでした。そして女神は目覚めない意思を示された。世界は安定し、あなたの使命は果たされました。もはや、あなたが地上や魔界にいる理由はないのです>
「俺は、何処にもいかない。二度と、眠ったりもしない。どうするかは、俺が決めることだ!」
ダイは全身で拒否した。天界に行きたいと願ったことなど、一度もない。ただ愛する人々の側で、生きたかった。友や盟友、そして誰よりも好きな人の側で、同じ時間を過ごしたい。再び自分が眠りについたなら、何のために彼は女神と誓約したのだろう。今度こそ、最後まで一緒だと約束したのに。
<あなたは決めることはできません。なぜなら、あなたは最後の竜の騎士。神々のものなのですから>
そんなダイの思いを、声は否定する。
心の中の時間を止められたダイには、抵抗する術さえわからない。自分の使命──運命を心底ダイが厭ったとき。飄々とした声と姿が、姿を現していた。
「それは違うぜ」
あっさりと言い切ったのは、緑色の服と黄色いバンダナをした青年だった。さっきまでダイと会話していた姿と寸分たがわない。余裕の表情をうかべて、ポップはダイの心象風景に颯爽と現れていた。
<どうして、ここに…!>
ダイの驚きよりも、声の方が驚愕していた。神々の力に、人間が割り込むなどあり得ないのだ。ポップは当然のようにダイの傍らに立つ。そして金色の影を睨め付けながら、言った。
「ダイが神々のものだとすれば、女神様のものでもあるってことだ」
「ポップ…」
呆然としているダイに、軽く頷きながらポップは声を上げる。
「神々に伝言だ。きっちり聞いてもらうからな…!」
自由と解放に満ちた輝く闇が、緑の大魔道士の身体から噴き出していた。
ダイの心象風景が、金色と闇色に塗り分けられる。マーブル模様のような渦の中で、ポップはダイの手に触れる。ダイは、すがりつくようにポップの手を握りしめていた。
風の唸りにも似た女神の声が、朗々と響き渡っていた。
───古き神が残した者よ。お前達が手元におこうとしている者は、妾の娘の子でもある。
<それは…確かにそうですが、彼は竜の騎士なのです>
女神の底知れぬ威厳に押されながらも、声はひるまなかった。その硬直した例外を認めない秩序に、いにしえの混沌の女神は告げる。
───妾は使命などに興味はない。ただ、その者の半分は間違いようもなく妾のもの。お前たちが、その者に干渉する権利があるというなら、妾にも同じように権利があるはず。
<…………>
声は、今度こそ押し黙る。金色がわずかにくすんだように感じられた。全てを呑み込む深淵の闇は、ダイに語りかけていた。
───選ぶが良い、竜の騎士よ。神々のもとで、永遠の命を手にするか。妾のもとで、死を手にするか。
その恐ろしげな問いに、ダイは迷わなかった。
「俺は……死を選びたい。頑張って生きて、胸を張って満足して、死にたい」
───愚かな竜の騎士よ。妾はお前が戻ってくることを許すだろう。
女神の声は柔らかだった。
この瞬間、ダイ─最後の竜の騎士は、神々の眷属ではなく女神の眷属となった。すなわち、死すべき運命の円環に組み込まれたのだ。竜や魔族、人間…ポップと同じように。
<ああ…あなたは、世界が壊れても構わないのですか?>
世界の守護者の使命を捨て、女神を選んだダイを声は責めた。答えることの出来ないダイの手を、ポップは強く握りしめる。そして、きっと顔を上げて言った。
「世界が壊れたなら、それは壊したヤツのせいだ。ダイの責任じゃない。それに、世界は簡単に壊れたりしねーよ。たとえダイがいなくても、竜の騎士がいなくても、壊れたりしない。世界は、いつだって生き続けようとしてる。女神様は、それを知っている。どうして、あんたたちにはわからないんだ…!」
金色の光は、瞬きながら答えていた。
<…竜も魔族も人間も…愚かだからです>
ポップの怒りに反応するように、闇が大きくうねる。光は、闇に逆らうことなく、静かに声をつづった。
<ですが…我々もまた、愚かだったのでしょう…>
弱まった光が、次の瞬間炸裂するように闇を切り裂く。ダイの心象世界が、真っ白に塗りつぶされていく。白い闇の中で、ダイはただポップの手を握っていた。目をつぶったとき、最後の声が聞こえた。
<天の理さえも欺いた人の子よ──あなたの勝ちです。古き女神の愛ぐし子に、祝福を…>

ダイが目を開けたとき、隣にはポップがいた。
しっかりとダイの手を握っている。ダイもまた、ポップの手を握りしめていた。
「…ポップ」
「ハルが言ったのは、このことだったってワケだ。女神様の伝言もな」
楽しそうにポップは笑っていた。
「ポップ」
ダイは、たまらなかった。いつだって、彼は自分を救ってくれる。自分の望みを叶えてくれる──ただ一人の、魔法使いなのだ。
繋いだ手を、引き寄せていた。
抱きしめた身体は、自分の腕のなかにすっぽりと収まる。なんだかんだと文句を言っているが、今は聞こえない。
ダイはポップを抱きしめていた。
嘘つきで詐欺師で、世界で一番自分を大切にしてくれる存在を、放さぬように。