ForcesU

始めに、混沌の女神があった。女神は孤独だった。
孤独に飽いた女神は、独りで精霊を生んだ。
精霊たちは女神を慰めたが、女神はやはり孤独だった。
始めに、秩序の神があった。神は孤独だった。
孤独に飽いた神は、独りで精霊を造った。
精霊たちは神を慰めたが、神はやはり孤独だった。
混沌の女神と秩序の神が出会ったとき、神々は孤独を忘れた。
二柱の神は混ざり合って、世界を創りだしていた。
初めに創った大地は、不安定だった。
神々は首をかしげつつも、次の大地を創った。
それは豊かな大地となって、神々を満足させた。
混沌の女神は秩序の神によって孕み、
大地に子等を生み出した。
竜と魔族と人間と。
大地は豊かだったが、光はなかった。
子等が光りを求めたため、女神は星と月を生んだ。
最後に太陽を生んだとき、
女神は身体を焼き尽くされて冥界へと去った。
残された秩序の神は、
失われた混沌の女神を取り戻そうと冥界へと追った。
だが秩序の神は、混沌の女神を冥界から連れ戻せなかった。
再び孤独になった神は、
竜の神、魔族の神、人間の神を創りだした。
それでも孤独に耐えかねると、天界の彼方へと去っていった。
混沌の女神は冥界で眠りについた。
女神の生んだ精霊たちは妖霊とよばれた。
妖霊は冥界に近い、初まりの不安定な大地に移り住んだ。
女神の孤独を慰めるために。
秩序の神が去ったときから、
世界を支えるのは冥界に眠る混沌の女神だったから。
母なる女神を焼いた太陽は、豊かな大地を焼いた。
太陽の光に耐えれるのは、頑丈な人間だけだった。
竜と魔族の多くは太陽の光から逃れて、
初まりの大地に移り住んだ。
妖霊たちが、彼らを拒むことはなかった。
やがて遥かな時が流れて──初まりの大地は魔界と呼ばれた。
不安定な世界に住まう者たちは、
自分たちが移り住んだ理由を忘れていた。
その頃には、太陽も穏やかな輝きになっていたから。
秩序の神と混沌の女神も忘れ去られて、
竜の神と魔族の神と人間の神が天界にあった。
──魔界には女神の伝承が、歪んだ形で残された。
それでも眠る女神は冥界から世界を支えた。
死者の魂を受け入れ、再び生命を与えた。
終わることのない円環の営みのために。


ダイは再び樹海に赴いていた。迎えの姿はない。胞子の森からは、ぎちぎちと蟲たちの声がする。発する気配は、尋常ではない。ダイは、歓迎されていないのだ。上空から、大王ヤンマが見張っている。ときおり、背の高い胞子の群れの間に、威嚇するように身体をくねらせて泳ぐヘビケラの姿もあった。
一斉に攻撃されれば、ただでは住むまい。できるだけ森を傷つけたくなかったが、他に手段を思いつかなかった。
ダイは、還ってきた自分の剣を見つめた。輝く宝珠は、喜びにみちていた。
今ならば、どんな相手も倒せる自信があった。
顔をあげて、森に踏み込もうとしたとき。すうっと、蟲たちの気配が消えていった。
怪訝に思えば、森の入り口にメリアが立っていた。
「…君は…いいのか、1人でここに来て」
「私は、根の国の巫女。誰も私に命じることはできません。でも、知ればハルやアドラは怒ると思います」
「身を案じてくれてるんだ。心配をかけてはいけない」
メリアは、静かにたっていた。ほんの少女でしかないが、樹海は彼女に従っていた。蟲も胞子の木々も、彼女を守る気配がある。もしもダイがメリアに何かすれば、森はダイを許さないだろう。
諭すようなダイの声に、メリアは淡く微笑んだ。
「あなたは、軍師さまの願いを叶えてしまった。お恨み申し上げます、騎士殿」
「………メリア?」
少女の瞳から、涙が溢れていた。ぱたぱたと頬を伝う涙が地面におちていく。巫女の涙を吸い込んだ樹海は、さざめくように嘆きの声を上げ始めていた。
「軍師さまは、女神様の御許に逝かれてしまう。誓約者の定めに従って……でも、でも私は逝ってほしくないの…っ!」
細い少女は、小さな拳を握りしめていた。軍師が決めたこと。女神が定めたこと。どちらも止めることはできないと、知っていた。わかっていても、叫ばずにはいられなかったのだ。
ダイは、沸き上がってくる恐怖を押し隠しながら、自分よりも恐怖に怯えている少女に手を伸ばしていた。そっと、細い肩にふれた。剣の記憶の中に、彼女の姿もあった。幼女から少女へと、ポップが育てていた。師のように兄のように。無邪気な彼女の存在は、きっとポップを慰めてくれたと思う。嫉妬よりも、感謝を覚えていた。彼が慈しんだ存在を守りたいと、ダイは思った。
「メリア…俺がポップの処にいけば、何か変わるだろうか?」
「わかりません──でも、騎士殿が行かれるのであれば、私が巫女の名において導きます。私には、それが出来ます。私以外の誰にも、それは許されていないのです」
涙に濡れた瞳で、メリアはダイを見上げた。揺るがない視線を、ダイは受け止める。
「…俺の願いは、ポップに逢う事じゃない。ポップと、共に歩むことだ」
ダイの言葉に、メリアは微笑んでいた。


古き女神の宮。小さな洞窟を、ダイは降った。延々と続く螺旋階段の底は見えない。目の前をゆっくりと歩むのは、巫女であるメリア。灯りは何一つないが、洞窟内はぼんやりと明るかった。発光しているのは壁にある光苔や、時折降ってくる雪のような胞子や花粉だった。二人は黙って、階段を降りていく。後に残してきた者たちの願いさえも背負って。
洞窟の入り口に辿りついたダイとメリアを待っていたのは、四大将軍だった。
咎めるような厳しい気配を纏った彼女たちに、ダイは身構えていた。メリアも、見るからに緊張していた。
すっと、ハルワタートが前にでた。水の気配を纏った彼女は、冷たい雰囲気だった。
「──巫女よ。あなたはご自分が何をしようとしているのか、ご存じか」
「わかっています。…本当は、わかっていないのかもしれません。でも、自分が何をしたいかは知っています」
「あの者は、女神の誓約者。女神のものなのです」
「そうです。そして、私を慈しんでくれました。女神は、決して私の想いを否定されないでしょう」
「どうして、その者を導くのですか?」
そう問いかけたのは、アドラだった。鎧をまとい、炎の剣を腰にはいていた。
「竜の騎士殿以外の誰が、女神の御許からあの方を奪いとれるでしょう?私たちと騎士殿は、違うのです」
メリアの言葉の意味が、ダイにはよくわからなかった。わかったのは、メリアが自分を信じているということだけだった。
「誰にでも反抗期はくる。ついにメリアにも訪れたか」
「良い傾向ではなくて?わたくしは、メリアに賛成しましょう」
ジョカとイシュタムは、ゆるやかに微笑んでいた。アドラは瞳をふせ、ハルワタートはゆっくりと頭を下げる。
「巫女と騎士殿にお任せしましょう。本来なら、私たちが望んだ役目でしたが。巫女が騎士殿を選んだのであればいたしかたありません。あなたに託します──どうか、ポップを連れ帰って下さい」
「うん。きっとポップを連れて戻るよ」
ダイがそう口にすると、四大将軍は洞窟への道を空けてくれたのだ。

一人として戻らぬ
過去に捨て置いたもののところへは
一人として離れぬ
この巨大な輪からは
どこを巡り歩いてきたのか
一人として思い出せぬ
かつて夢見たことであっても
あの少年は歌う 羊飼いの歌を

沖合で燻る空想の小舟
私の夢は続く
心だけを見張りに残して
沖合で燻る幻想の小舟
私の夢は続く
目覚めの来ぬことを願って
(引用「海と旋律」対訳)

懐かしい風景が広がっていた。天にそびえる木々と、梢を渡る風の音。ポップにとって、森は近しい存在だった。山間の村で育ったポップにとって、山のない平原というのは落ち着かない風景でもあった。だだっぴろい空間に放り出されると、心細くなるのだ。見栄っ張りだから、必死で隠していたけれども。こんな風に森の中で樹の根元に座っていると、気分が安らいで行くのがわかる。ああ、自分は──疲れていたのかもしれない。
───ここは安らぎの地。お前の心の赴くままに、疲れを癒すがいい。
風が、やわらかな言葉を綴った。女神のささやきは心地よかった。
「…俺は、あなたの許に還るのですか?」
──私が生んだ子等は、私の許に還ってくる。そして傷を癒し、再び旅立つ。新しい生命の旅に。
穏やかなささやきは、母神の声だった。全ての生命を生み出した、混沌の女神。竜も魔物も人間も、全ては彼女が生命の旅に送り出したのだと…此処にいる今なら理解することができた。
「あなたは、目覚めない…それは、俺たちを憐れんでくれているから…?」
──愚かな人間の子供。世界は常に揺れ動くもの。妾が混沌を司ることも、忘れてはならぬ。
女神の声は、笑っているようだった。生意気な子供を可愛がる母親のように。そして目の前の世界は、ポップの心を移して変化していった。故郷のランカークスの森。パプニカの空と海。ロモスの迷いの森。死の大地。決戦の地。そして──三日間しかいなかったデルムリン島。滞在していたのは三日だけだったのに。どうしてこんなにも記憶に残っているのだろう。
熱帯の森は、故郷の森とは違っていた。それでも懐かしいと思ってしまうのは何故なのだろう。
理由は、わかっていた。
この島で、初めてダイと出逢ったから。
そして、ダイが育った島だから──こんなにも、胸が痛くなるほどに懐かしい。未練だ、と思ってもポップはデルムリン島の風景を見つめていた。あの樹の影から12才のダイが顔を覗かせるような、そんな気がして。
「でかくなったダイに、間違いなく逢ったってのになぁ…」
望みを叶えたくせに、何を欲深く考えているのだろうか。自嘲するように呟いたとき。
「ポップ」
低くなった、それでも懐かしい声がした。
振り返った先には、自分よりも背の高くなったダイがいた。竜騎衆を率いる、18才のダイだった。
「いたれりつくせりだな。12才でも良かったんだけど……」
「ポップ、俺はもう12才じゃないよ」
「そうだな。俺が逢いたいと願ったのは…お前だったよな」
近づいてくるダイの姿をみながら、この幻は辛すぎるとポップは思った。
「お前に逢いたかった…すげー逢いたかったんだ。逢うだけでよかったのに……何で、それ以上を望んじまうんだろーな」
欲をかいたって、いい事なんてないのに。近づいてくるダイの姿が、涙でぼやけてしまう。もっともっと、見ていたいのに。
ダイの手が伸びて、ポップの涙をぬぐった。情けないと思いつつも、ポップはダイを拒めなかった。
冥界で見る夢を、どうして拒否できるだろう。世界中で一番逢いたいと思った相手の幻影ならば、なおさらのこと。
「俺も、ポップに逢いたかったよ。ずっと、ずっと逢いたかった。ポップもそう思っててくれたから、すごく嬉しいんだ」
大人びた笑顔で、ダイが笑う。ふとポップは疑問に思った。こんな表情のダイを見たのは、初めてな気がする。自分の想像力の産物にしては……妙にリアルだ。
怪訝な表情を浮かべたポップに、ダイはますます笑みを深くしていた。
「俺は、俺だよ?ポップの空想でも、何でもない。お前を追いかけてきた、ダイなんだ」
はっきりとダイが口にしたとき。ポップは、理解してしまった。何処をどうやったのかは不明だけれど、目の前にいるのが紛れもない本物だということを。
「な、な、な…何でお前がここにいるんだ──っ!」
顔を真っ赤に染めて、ポップは絶叫していた。
ダイは、にっこりと笑っていた。
「メリアが、導いてくれたよ」
あっさりとしたダイの言葉に、ポップが唖然となったとき。世界が様相を変え始めていた。
──なぜ、お前がここにいるのか。
風が冷たくかわり、大気が敵意をもちはじめていた。
──お前は、ここにいるべきものではない。
女神の否定の声に、ダイは顔を上げた。腕は、しっかりとポップを抱きよせていた。
──ここは安らぎの地。お前の在るべき場所ではない。未だ安らいではならぬ者よ。
「ポップを連れ戻すために、来ました」
──愚かなことを。その者は、妾に捧げられし者。願いには代償が必要とされる。生が死を必要とするように。誓約ははたされねばならぬ。
「俺には、ポップが必要なんです。たとえ、あなたの許しがなくても、俺はポップを連れて戻ります」
轟く女神の声に、ダイははっきりと否と答えていた。それに伴うように、風は渦巻き、空は黒雲に覆われる。大地からは障気がわき出し始めていた。
「ダ、ダイっ!お前、自分が何言ってるのか、わかってるのかっ!」
あせったようにポップは口にした。
「わかってるよ。でも、決めたんだ。たとえ女神が相手でも、ポップは渡さないって」
はっきりと答えたダイに、一瞬だけすがめるような視線をなげたポップは、次の瞬間、はーっと大きな溜息を吐いていた。
「あのな…ここが何処だか、わかってるのか?」
「えっと、冥界…だよね?」
気がぬけたようなダイの答えに、ポップは声を上げる。
「ついでに、女神の胎内なんだよっ!」
地面が揺れて、四方八方から障気の渦が襲いかかってきていた。ポップはダイの手を引いて、走り始める。
「とりあえず、逃げるぞ、ダイっ!」
「ポップ…!?」
まだ状況がよくわかっていないダイを、ポップは怒鳴りつけていた。
「女神は怒ってるんだ!捕まったら、どうなるかわかんねーぞ!」
「あ、そうか」
「そうかって…お前が怒らせたんだよっ!」
「だって俺、ポップを連れ戻したいんだ」
マイペースなダイに額を抑えながら、ポップはどうすればダイを戻せるのか必死に考えていた。
「いいから、今は逃げるぞ!」
幻の森は消え、辺りは瓦礫の荒野に変わっている。障気の渦は洪水のように荒野を浸食して、二人を追いつめていく。ひたすら逃げ場を探していた二人の目前に、忽然と白い木が現れていた。
幹も枝も葉も、全てが白い木だった。根元には、女が一人たっている。
「そっちに行っても無駄よ?」
「あんたは…」
女は二人を手招きした。白い木の周辺に、障気の波は押し寄せてこない。見えない壁に阻まれるように。
白い木の根元に二人を導いた女は、ゆっくりと告げた。
「私の娘の加護があるから、手助けしてあげるわ。しばらく隠れていなさい──怒りがおさまるまで」
ポップもダイも、女に見覚えはなかった。だが、メリアを娘と呼ぶ女に心当たりは一人しか思いつかない。
「デリ…?」
問いかけたポップに、女は緩やかに微笑んでいた。
「そんな名前でよばれた事もあったかもしれない。もう忘れてしまったのだけれど」
「何で、俺たちを助けてくれるんだ?」
女は、ダイを見つめて言った。
「生ある者を冥界に導いた、私の巫女の勇気に応えるために」
そして、ポップを改めて見つめた。
「…巫女は、あなたを必要としている。でも、ここから戻れるか否かは、あなた達の運と彼女の御機嫌しだいね」
「運の良さなら、自信あるんだけどな」
女の声に、ポップは軽口で答えていた。周囲を伺っていたダイが、声をあげる。
「渦が、止まった」
障気の渦は、荒れ狂いながらも別の様相を示し始めていた。障気の中から、何かが現れようとしている。複数の影がちらつきはじめていた。それらは白い木を取り囲み始めていた。
辺りを見回して、女は言った。
「あなた達の力を、示しなさい。生ある者に相応しいか否か。力がないなら、あきらめなさい」
ダイは自分の剣を指し示して、少しだけ笑う。どこか無邪気な笑顔でもって。
「俺、話し合いよりは、こっちの方が得意なんだ」
「全然、自慢になってねーぞ」
傍らのポップは、つっこまずにはいられなかった。

白い木の周りは、魔獣たちに包囲されていた。ダイは、無造作に剣を手にするとゆっくりと群れに近づいていく。恐怖など微塵も感じさせる事なく。迷いのない背中を見ながら、ポップは嘆息していた。
「…ったく。自信過剰じゃねーのか?」
「人の事は、いえないだろ」
振り向くこともなく、ダイは答えた。口元に、わずかに笑みを浮かべながら。戦いが楽しいと思ったことは一度もない。今だって、そうだった。それでも、ポップと軽口をたたき合えることは、素直に嬉しかった。手足の長い魔獣が、ダイに飛びかかってくる。ダイは体の重心をずらして交わすと、いきなり群れに突進していた。
目標は、群れで一番大きい、樹木を思わせる魔獣だった。人面樹ともいえるそれは、蔦を出してダイの動きを封じようとする。それらを剣でなぎ払うと、幹にある人面に剣を突き立てていた。剣が幹を突き破る感覚は、頭蓋骨を砕く感触に似ていた。蔦がダイを捕らえようとからみついてくるが、構わず剣を押し込んでいく。柔らかいものにめり込んでいく感触が手に伝わる。人面は、痛覚がないかのように嗤っていた。だが、やがて蔦はほぐれ、幹もかしぐ。人面樹が倒れるのをまたず、ダイは幹を蹴って後方に飛んでいた。
着地したダイに、すかさず次の敵が襲いかかる。迫ってくる魔獣の剣をたたき落とし、胸元に飛び込むと毛皮に剣を突き立てる。分厚い筋肉を、易々と切り裂く剣は、血潮をあびてなお輝きを失わない。ダイは流れるような動作で、刃を別の魔獣の首筋にあてがい、跳ね飛ばしていた。
魔獣の群れは、確実に数を減らしていた。対するダイは、返り血をあびることなく無傷だった。だが滑るような動きが、突然止まる。死に損なった魔獣のひとつが、最後の力でダイの足首を掴んでいた。次の瞬間、頭上に殺気が踊った。
飛び上がった三つの魔獣が、まとめて降ってきた。それぞれが携えた武器は、ダイを狙っていた。
「───ダイっ!」
その声に。
ダイは弾かれたように飛び上がっていた。
次の瞬間、着地した魔物たちが爆裂呪文に包まれる。
ポップの魔法だったが、ポップ自身も魔獣に囲まれていた。ダイが援護に向かおうかと思ったのと、それは同時だった。
──来たれ、虚空の雷、薙ぎ払え──雷の斧っ!
短い呪文の詠唱が終わると、ポップの周囲に壮絶な雷撃が起こり、近距離の敵全てが殲滅される。まさしく斧で刈り取るように。
「それも古代呪文なんだ」
かすかに放電の残るポップの隣に、ダイは着地していた。
「まあな。コツさえ掴めば、なかなか便利だ。さてと、各個撃破なんざめんどくせーからな。やるぜ、ダイ!」
「そうだね」
ダイとポップは背中あわせに立った。周囲には、減ったとはいえ魔獣たちが輪をつくり、じりじりと狭めつつある。
ポップは懐かしい感覚に身をまかせながら、呪文を口ずさんでいた。
──来れ雷精、風の精…雷を纏いて、吹きすさべ、南洋の嵐──雷の暴風!!
詠唱と同時に握った拳が突き出される。それは強大な旋風と雷撃をはなち、目の前の敵を灼き滅ぼしていく。ポップの魔法に同調するようにダイもまた、剣に込めた竜闘気をなぎ払うと同時に打ち出していた。すさまじい剣圧は嵐と同義で、敵を粉砕する。
ポップが息を吐き、ダイが剣を納めたとき。周囲は静かになっていた。立っているのは、ダイとポップと白い木の女だけになっていた。いつしか荒れ狂っていた風も収まり、黒雲も纏い付くような障気も消えていた。
世界は、静かだった。
耳の痛くなるような沈黙におおわれていた。
「…あなた達には力がある」
白い木の女が、言った。
穏やかな、厳かな声だった。
女神はいく通りもの顔をもつ。無邪気な少女、気高い処女、妖艶な聖娼、慈しみの慈母、老いたる魔女、呑みこむ太母。白い木の女もまた、女神だった。木は、擁護者であり、保護者、そして大地から天空へ向かって芽生えるために自由を象徴しているのだ。
「──生き続けるが良い」
神託とよぶに相応しい声だった。
だがポップは首を振った。
「俺は…あなたと誓約しました。誓約は果たされるべきです」
毅然とした声だった。一歩踏みだそうとするポップを、ダイは後ろから抱きすくめた。
「ダメだ…!何処にも、いかせない…っ!」
「ダ、ダイ…」
驚くポップのしなやかな身体に、ダイはなおも強く腕を回した。すがりつくような、思いの丈をこめて。
「俺と、一緒に生きよう。最後までつきあうって、約束しただろ…?!」
「…でも、最初に約束を破ったのはお前だ…!俺は、俺は…約束を破るのは嫌なんだよっ!」
泣くのを必死にこらえるように、ポップは叫んでいた。ダイは、ポップの傷口をみた。未だに止まることなく、血を流している…自分が付けた生々しい傷跡を感じた。
「謝るよ……許して貰えなくてもいい。でも、ポップは連れて帰る。絶対に…!」
ダイは、ポップの肩口に顔を埋めた。腕の力は、決して緩めなかった。
「──ダイ。俺は、女神のものなんだ」
静かなポップの声が辛かった。決意を秘めた声だったから。ポップの腕が、ダイの腕を引きはがそうとしている。どうすればポップを自分の側に留めておけるのか、ダイはわからなかった。
白い木の女は微笑んでいた。
「愚かな人間の子供──約束は、果たされることではなく誓う心に真実の価値を見出すものもある。愚かな竜の騎士を、許しておやり。そして、自分自身も許してやりなさい」
いたわりに満ちた声に、ポップの腕が止まる。ダイも、ようやく気がついていた。ポップが許せなかったのは、蹴り落としたダイではなく、ついていけなかった自分自身なのだと。なおも声は続いた。
「お前との誓約は、決して破られることはない。私は知っている──私が生んだ子等は、私の許に還ってくることを。お前は、必ず私の許に戻ってくる。だから今は、生き続けるがいい──愚かな人間の子供よ」