The night of high water

ダイの視界の中で、メリアとポップが遊んでいた。ポップが森の中からとってきた果皮を水につけて揉むと、泡がでてくる。それをコップにいれて、麦わらを浸して、そうっと息を吹き込むと、ふわりと泡の玉が空中に浮かぶのだ。
「すごーいっ!」
「きれいだろ?しゃぼん玉っていうんだ」
小さなメリアは、大きめ瞳をきらきらと輝かせてシャボン玉を見つめていた。七色に輝く儚い玉は、しばらくするとぱちんと弾けて消えていく。それでもメリアは、飽きることなく新しいシャボン玉を作り続けていた。
ポップに無邪気にまとわりつくメリアの背格好は、幼かった自分を思い出させた。地上にいたころ、ポップは自分にもシャボン玉を見せてくれたことがある。あれは石鹸を使ったものだった。石鹸ににた果実があるなんて、ダイは考えつきもしなかった。相変わらずポップは、難しいことからくだらないことまで知っているらしい。
朗らかな笑い声をあげる二人をみていると、昔に還りたいという想いが強くなる。それが出来もしないということを、誰よりも自分自身が知っているのに。

竜騎衆と妖霊族は、同盟を結ぶらしい。難しい話があまり得意でないダイに変わって、ラーハルトが交渉をしていた。相手はポップではなく、ハルワタートだった。ダイはラーハルトに全権を委任していたが、ひとつだけ拒否をした。それは同盟の証としての婚姻関係だった。剣を返して貰ったから信じると言えば、ラーハルトは納得したようだった。
交渉の間、ダイはポップと過ごしたかった。どれほどの虚しさを覚えても、それでも懐かしかった。ポップはお気楽な様子でダイを受け入れてくれた。側にはガーゴイルやメリアがつきまとっていだけれど。
昔の話をした。戦いの話や、なつかしい仲間の話。ダイは、ラーハルトやクロコダインからは聞けなかった仲間たちの消息を教えて貰った。みんな、それぞれに幸せだったと知ると、心が軽くなる気がした。きっと、目の前で嬉しそうに話しているポップも幸せなのだろう。自由に風のように。何にも捕らわれることなく過ごしている。
ただ、ダイだけが……戦いの宿命に捕らわれていた。
それ以上一緒にいると、ダイはポップを嫌いになりそうだった。無責任に女神に近づいて、自分を戦いの宿命に引きずり出した張本人として。ポップに悪気が、あるはずもないのに。複雑な想いを抱えて、ダイは交渉が終わると逃げるように樹海を去った。
ポップは悪びれない笑顔で「さよなら」と、手をふって見送ってくれた。引き留められなくて、幸いだと思った。

戻ってきたダイとラーハルトを、クロコダインは大喜びで迎えてくれた。
ダイが何も言えなかったから、ラーハルトはクロコダインにポップとの再会を不満げに語っていた。ラーハルトは、ポップの軽々しい行動が許せなかったのだろう。それを聞いていたクロコダインは、奇妙な表情を浮かべてダイを見つめた。
「ダイ…お前は、ポップを信じたのか」
「うん…だって、あれは間違いなくポップ本人だった。俺は、絶対にポップを間違えたりしない。ポップ本人が教えてくれたから、信じるしかないだろう?」
ポップに嘘をつく理由があるとは思えなかった。そうダイが言えば、クロコダインは大きな溜息をついた。
「お前は……あまり記憶に残ってないのかもしれんな。ポップは、嘘つきだ。自分の為にも嘘をつくが、最高の嘘は他人のためにつく奴だ」
「…クロコダイン、嘘に最高も何もないだろ?」
わずかにダイは眉をひそめるが、クロコダインは構わずに続けた。
「最高の嘘を、俺は聞いたことがある」
はっきりとクロコダインは言った。そしてラーハルトをみつめて、再びダイを見つめた。
「ポップは…竜騎衆の戦力をそぐための捨て石になるために、俺たちに大嘘を吐いた。心にもない軽口と憎まれ口をきいて、レオナ姫やメルルから非難をあびた。かくいう俺も、見事に騙されたのだが」
クロコダインの言葉に、ラーハルトは初めてポップにあったときを思い出していた。がたがたとふるえる足を押さえつけて、自分たちの前に立ちふさがった未熟な魔法使いの少年の姿を。恐怖で逃げだしたかったろうに、決して逃げなかった。確実に死ぬとわかっていても、ポップは己に賭けたのだ……ダイを守るために。
ダイもまた、忘れかけていた記憶を思い出していた。バランに記憶を消されて心細かったときのことは、正直あまり覚えていない。それでも、ポップが意地悪を言ったことを覚えている。ぐすぐすと泣きじゃくる自分の前で、レオナにひっぱたかれていた。そして、へらへらと笑いながら出て行ったのだ。
ひとつひとつ、記憶を辿ったとき。あることを思い出した。それを言ったのは、マァムだった。
「…ポップって嘘をつくとき、すごく雄弁よね。あれだけペラペラと話されると、うっかり信じちゃいそうになるわ」
どうして気づかなかったのだろう。本当のことを告げるのが、ポップは下手だった。不器用だったのだ。
いつも、ダイとポップの間には心のつながりがあったせいかもしれない。それに甘えていたのだ。だから──ポップが最高の嘘をついたとき。ダイには嘘だと見破ることはできなかった。
それが、ダイのためにつかれた嘘ならば、なおさらのこと。きっとクロコダインが指摘してくれなかったら、今でも気づかなかっただろう。
「クロコダイン……ポップは嘘つきなのかな?」
「ああ。大嘘つきでペテン師だ。お前のいない二年間、あいつは世界中を飛び回って、ありとあらゆる方法で世界を探査していた。それでぶっ倒れても、平気なフリをしていたよ。ポップは、いつだってお前のことを考えていたはずだ。そんなことはない!とムキになって否定していたがな」
ふふふ、とクロコダインは思い出して笑った。ダイにも、意地をはるポップの姿が見えるようだった。
そう、ポップには無責任なところも享楽的なところもあった。けれど、それ以上に自分の真実をもっていた。遊びの好奇心なんて、もっていなかった。やるからには、とことんやりつくすタイプだったはずだ。
「……俺は、まだ、本当のことを知らないのかもしれない」
ゆっくりと呟いたダイは、腰に佩いた剣に手を置いた。かつては背負わなければならなかった剣だが、いまは腰でちょうどいい。柄にふれ、剣の生命ともいえる宝珠に触れたとき。
それは、おこった。
ダイの脳裏に映ったのは、剣が見た「本当のこと」だった。

「鞘をくれ」
そうポップは言った。迷いのない真摯な瞳をしていた。ロン・ベルクは興味深そうにポップをみていた。
なんてことだろう。ロン・ベルクは剣の行方もポップの行方も知っていたのだ。知っていて、知らないと言った。その衝撃も醒めやらぬまに、場面は次々と移り変わっていた。
暗い洞窟の瓦礫の中に埋もれている灰色の石像があった。当然のように生気はない。しばらく躊躇していたポップが手をのばし、石像にふれたとき。殻を破るように黒色のきらめきが石像にあらわれ、それはガーゴイルとなっていた。
「…マスター。我を選んでくれたことに、感謝を」
「選ばれたのは、俺だろ?」
小さくポップは笑うと、ガーゴイルの頭をなでていた。嬉しそうにガーゴイルも目を細める。二人の間には、不思議な絆があった。それは友情でも主従関係でもないようだった。
ダイの剣を背負い、ガーゴイルを供にポップは魔界に降り立った。
襲ってくる魔族と戦いながら、ポップは魔界を観察していた。あるとき、ヴェルザー軍に追われるメリア達を助けた。そしてポップは女神の存在を利用したのだ。
己の願いを叶えるために。
ダイにもう一度出逢う…そのためだけに。
「俺は、あんたたちを利用する。だから、あんたたちも俺を利用してくれ」
「……あなたは、大馬鹿者で身の程知らずの詐欺師だ。だが、今はそんなことはどうでもいい。私たちには、力が必要なのだから」
ポップとハルワタートは協力関係を結んだ。ハルワタートはポップを鴉の軍師に仕立て上げ…女神の封印の元にみちびいた。混沌の源。古き女神の宮は、簡素な洞窟だった。ポップはガーゴイルをつれて、洞窟を下った。洞窟の最深部、太古の闇の中で、ポップは古き女神と対話したのだ。
──愚かな人間の子供。血は血を求めるもの。目覚めは眠りを必要とするもの。生あるものに死が不可欠であるように。望みには代償が必要とされる。たとえ妾が眠っていても、それだけは変わらぬ理。愚かな人間の子供。お前は何を妾に与えてくれるのか。
女神の声は、声ではなかった。地鳴りのようにも風鳴りのようにも聞こえた。
「…俺は、何ももっていない。俺が支払えるのは、俺自身だけです」
──遥かな時代。妾の民は、妾に身を捧げる栄誉を競ったもの。そして妾は、常に最高の賜物を得た。愚かな人間の子供。お前に栄誉を授けよう……望みを叶えるがいい。
ふいにダイは気づいた。女神の封印など…何処にも存在しなかったことに。古き女神は、己の意思で眠っているのだ。誰も彼女を封印することなど、出来はしなかった。妖霊たちは女神の眠りを守り、女神は妖霊たちを愛しむが故に眠り続ける。そして、女神とポップは誓約を交わしたのだ。
誓約者が現れたために、眠れる女神の力が顕現した。それが三界をゆらした。その揺らぎのために、ダイは目覚めたのだ。ポップの望んだ通りに。
もしも、ゆらぎがなかったならば。
ダイは今も眠り続けていただろう。死と同義の眠りの中で、何も考えることも夢を見ることもなく。友人達が年老いて死に絶え、誰もいなくなった後もずっと。神々のアイテムの一つとして。
それを思うと、ぞっとした。嫌だったけれど、ダイに拒否権はなかった。友人達も皆、運命だと受け入れた。
ただ一人、否を叫んだポップを除いて。
ポップは、ただダイに逢うことを望んだ。
それ以外は、何も望まなかった。