The mane of a wind

「どうして…どうしてお前がここにいるんだ…!」
押し殺されたダイの声は、ふるえていた。叫びたいのを、ようやく押さえていた。
「俺が何処にいても、お前には関係ないだろ?」
だが、ダイに肩を掴まれた親友は、きょとんとして心から不思議そうだった。あんまりな態度に、思わずダイは掴んだ肩を握りしめた。それはびっくりするくらい薄い肩だった。
「いててっ!ちょっとは手加減しろっ!」
「あ…ごめんっ!」
悲鳴を耳にして、慌ててダイは手を放した。掴まれた肩をさすりながら、ポップはまったく緊張感の欠けた声で言った。
「黙ってたのは悪かったと思うけどよ。とりあえず、詳しい話は落ち着いてからにしようぜ」
へらっと笑う笑顔は、大人になっても変わらずに愛嬌があった。昔なら、つられて笑うことができた。けれど、今のダイは表情を緩めることさえ出来なかった。
防御光幕呪文の外では、死神と火将軍の決着がつきつつあった。
火将軍アドラの太刀筋は、見事だった。真っ直ぐで迷いのない剣さばきは、そのまま彼女を現している。変幻自在、といえば聞こえはいいが、遊びの多い死神の攻撃をひとつひとつ丁寧につぶし、追いつめていた。
そして限界をさとった死神は、さっさと空間をつないで逃亡していった。思ったように遊べなかった不満をたらたらと零しながら。もっとも真面目に聞いてくれたのは、アドラだけだったが。
かちん、とアドラが剣を納めると、ポップは惜しみない拍手をおくった。
「さすがだな!相変わらず凄い剣だ!」
「ありがとうございます、軍師殿」
「やっぱ、アドラは頼りになるよな」
「マスター、我に命じて下さればあのような死神など一撃です」
とことことポップの足下にきたガーゴイルは、ちょっとむっとしたように告げていた。守護獣の気持ちをさっしたのか、ポップは労るように告げた。
「ガーくんも、メリアを守ってくれてありがとな」
「いえ…」
頭をなでられると、ガーゴイルは気持ちよさそうだった。隣にはメリアもいて、背中をなでていたりする。ほのぼのとした情景とは不釣り合いに、広間は散々たる有様になっていた。ジョカとイシュタムは、辺りを確認しながら不満をこぼす。
「あの死神、次にあったら損害賠償をさせるべきだな」
「まったくだわ。直すのに、いくらかかると思ってるのかしら」
「いや、直すだけならタダだ。私が最近覚えた、錬金術でもって…これ、このとおり」
無表情にハルワタートが地面に練成陣を描いて、発動させると。破壊された広間はみるみるうちに復元されていた。
「……あの女は、どっからこんな術を覚えてくるんだ?」
「悩むだけ、無駄な気がするわ」
そう会話を交わすジョカとイシュタムは、意外と仲が良かったりする。利害関係が重ならないかぎり。隣で、ハルワタートは一人で呟いていた。
「鉄面皮の錬金術師…転じて鋼の錬金術師…ハガレン…」
マイペースに我が道を行く妖霊たちだったが、ダイにとってそんなことはどうでもよかった。
「…ポップ」
静かな声だったが、地を這うような声でもあった。
心配そうにみつめるメリアとガーゴイル、アドラに軽く手をふると、ポップはすたすたとダイに近づいていた。
「あれは怒っているな」
「当然でしょうね」
「逆鱗、というヤツでは?」
ジョカ、イシュタム、ハルワタートは興味津々な視線でダイとポップを観察していた。
「水妖に逆鱗はないのか?」
「あるかもしれない。今度水に入ったとき、確認してもらえるだろうか?」
「絶対に、お断りよ」
小さな声で無責任な会話を交わす女たちは、ダイの怒りにはらはらとしているラーハルトにとって理解不能な生き物だった。
「さて、どうして俺がここにいるか知りたいんだったな?」
「ああ」
短く答えるダイの視線は、恐ろしいほど鋭い。だが、ポップは気にした様子もなかった。
「単刀直入にいうとだな、俺は自分の力を試したかったんだ」
目を見開くダイの前で、ポップは得意そうに喋り始めていた。
「地上は平和になった。でもよ、俺は自分の力をもてあましちまったんだ。お前は帰ってこないし、つまんねーし。世界征服も思いついたけど、俺の力じゃあっという間にできちまいそーだし。それにバーンとの戦いでしみじみ思ったけど、俺って苦労しないと強くならないみたいなんだ。で、とりあえず俺が力いっぱいがんばれそうな魔界に降りてみたわけ。そしたらガーくんと出逢った。意気投合して二人で旅してたら、メリアと出逢って。いろいろあって妖霊たちに力を貸すことにしたんだ。だから、俺はここにいるのさ」
あっけらかんと、自分の冒険を誇るかのようにポップは口にした。ポップはただ、子供のように己の好奇心を満たそうとしたのだろうか。どんな思いで、ダイが目覚めたかを知りもしないで。
「まあ、お前に黙ってたのは、ホントに悪いと思ってるよ。でも、あれだ。ちょっと驚いてほしかったってのもあるんだぜ?」
とっておきの悪戯を思いついたような笑顔で、ポップは笑う。無邪気な笑顔だったが、ダイは泣きたかった。こんなのは違うと、誰かに否定してほしかった。
「…どうして俺の剣を…」
「ああ、あれね!ちょっと借りたんだ。お前の剣って、知性ある剣だろ?ああいうマジック・アイテムは、いろんな役にたつんだぜ♪お前の剣の魔力には、けっこう助けてもらった。ありがとな!」
「ポップ…女神の封印を解いたのは…」
「あ、それも俺!けっこう難しい封印だったけど、がんばって解いたんだぜ。まあ、全部解いちゃうと、こっちが危ないから途中で止めたんだけど。いろいろ古代魔法が使えるようになったんだ。お前にも、前、見せただろ?あの氷の殲滅呪文とか、あーゆーの。いやー自分の才能に、うっとりしちまいそーだぜ」
けらけらと、無責任にポップは笑う。ダイは、変わってしまった親友を見つめていた。いや、ポップは変わってないのかもしれない。ポップは…ちょっと享楽的で、子供っぽいところがあったはずだ。変わったのは、自分なのかもしれないという認識は、ダイをやるせない気分にさせるだけだった。
「ま、男に生まれたからには、一国一城の主ってあるじゃねーか。魔界の平和は竜の騎士であるダイに任せて、俺は俺なりにがんばってるわけだ!人間だって、やればできる!俺はその生き証人だな!」
おどけた素振りでポップは握り拳をつくる。すると、メリアが無邪気に拍手をおくった。アドラやジョカ…四大将軍もポップを困ったように、でも愛しむように見つめていた。当然のようにガーゴイルは主の言葉に律儀に頷いている。
目の前には、自分の知らないポップがいた。自分の知らない仲間に囲まれて、それなりに上手くやっている姿があった。いつも自分のことを一番に考えてくれると信じていたのは…ダイの思い上がりだったのかもしれない。
ポップには、ポップの人生があるのだから。
いつのまにか、怒りは消えていた。ただ胸にのこるのは、やるせない寂しさだった。
まだ自分の背がポップよりも低かったころ。しょんぼりしていると、ポップはすぐに気づいてくれた。でも、もうポップは気づいてくれないだろう。自分は大きくなって…変わってしまったから。
こんなものが、本当のことだったのなら。
ダイは、知りたくなどなかった。

夜がきて、ダイとラーハルトはあっさりと与えられた部屋に向かった。
旅の疲れと、精神的ショックがあったのかもしれない。
妖霊たちは、二人をもてなすことに注意をはらっていた。それこそ、細心の注意でもって気づかれないように監視していた──大切な軍師を、奪われないために。
嘘つきな軍師を、彼らは愛していた。自分たちのために、己の心すら偽った彼を。
「あら、泣いてると思ったのに」
「賭は私の勝ちだな」
ポップの部屋に現れたジョカとイシュタムは、そう言った。寝台の上に座って、ポップは苦笑する。
「美人が二人づれで嬉しいけど…夜這いは勘弁してほしいな」
「今回はしないから、安心しなさい」
「絶好のチャンスだがな」
帰ってくる含みのある返事に、ポップは笑うしかない。イシュタムは、ポップにグラスを押しつけていた。ポップが握りしめると、すかさずジョカが酒を注ぎ込む。
「今のあなたは、酔わないと眠れないでしょう?」
「……あんまり、俺を甘やかさないでくれ」
「どんどん甘えて欲しいんだがな。お前は素直じゃない」
飲めと急かすジョカは、つまらなそうに言った。イシュタムも、溜息をつきながら同意する。
「わたくしの軍師は、強情でひねくれてるわ」
「…だから、お前の軍師ではないと言っている」
ポップの傍らで、再び険悪な口喧嘩が始まる。グラスをちびりちびりと空けながら、ポップは目を閉じていた。
どうか、ダイがさっさと自分に愛想をつかしてほしいと願いながら。