Forces

祭殿の回廊から、ポップは下を見下ろしていた。欄干に腰掛けて、柱に背を預けていた。
豪華ではないが美しい祭殿は、深い森の深淵部にあった。周囲を高い樹木に囲まれて空は星のようにきらめくことでしか見えることはない。祭殿は、大地と河に面していた。水は澄んでいるが、光を通さず黒くみえる。その黒い面をすべるように小舟が流れてきていた。
乗っている五人全員を、ポップはよく知っていた。
遠い目で彼らをみつめながら、自嘲気味にポップは呟く。
「俺は、ずっと思ってた。俺──俺の知っていた俺自身は、あの時、バランと戦った時に死んで、今ここにいるのは、ただポップという魔法使いの記憶を引き継いだけの抜け殻じゃないかって。本当の俺…家出した武器屋の息子は、とっく死んでしまったのかもしれない」
傍らにたつ水妖の魔女とも呼ばれる女は、癖のない黒髪をゆらした。やがて、静かに言葉をつづる。
「それが、何か?」
まっすぐに問われて、ポップは答えることができない。水妖の魔女──水将軍はなおも続けた。
「本当のポップなんて、私は知らない。私の知っている「大魔道士」は、どんな魔族よりも強力で凶悪な魔法を使う存在だ。初めてあなたを見たとき、正直、震えが止まらなかった。恐ろしかったこともある。でも、もっと強く思った──この、きれいな生き物は、何なのか──と」
思ってもみなかった言葉をつげられて、ポップは目を丸くしていた。
「……きれい?」
何かの冗談かと思ったが、彼女は真剣だった。自分よりもずっと美しい存在─ハルワタートというのが彼女の名前だ─に、意外な形容をされてポップはどうしていいのかわからなくなる。
軽い恐慌状態にあるポップを柔らかくみつめて、ハルワタートは何でもないことのように告げた。
「あなたが、人か魔物か、それとも他の何かなのか。そんなことは知らないし、正直、どうでもいい。私はただ、きれいだ、と思った。それだけのことだ」
胸につかえていた何かが、ゆっくりと溶けていくような気がした。
魔界に降り立ったときから、ポップは大魔道士だった。そうでなければ、ここに在ることはできなかった。
「あなたはきれいで強い。それを誇るべきだろう」
「……綺麗なのは、ハルだろ」
肩をすくめて答えたなら、ハルワタートは何を言われたのか解らない表情をしていた。
座っていたポップは腰をあげた。傍らに立てかけていた重たい剣を持ち上げる。この剣の本当の主は、まだ真実をしるまい。疑ってはいても。
「あいつは…きっと俺を恨むだろうな」
あのまま戦いを忘れて眠っていた方が、よかったのかもしれない。彼を再びこの世界に引きずり出したのは、逢いたいと願ったポップのエゴでしかない。そして、戦いの日々に追いやった。
ダイを目覚めさせるためだけに、ポップは女神に…妖霊たちに近づいたのだ。
「だが、私たちはあなたに感謝している。あなたが来なければ、私たちは滅びていただろう」
ハルワタートの声は、柔らかだった。
「騎士殿が目覚めたとき、あなたは私たちを捨てるべきだった。あなたの願いは叶えられたのだから。だが、そうしなかった……あなたは、とても不器用だ」
「自覚してるよ」
肩をすくめるポップに、水将軍ハルワタートは微笑んでいた。
「正直にいうと、私は騎士殿があなたを拒んでくれればいいと願っている。そうすれば──あなたは、私たちのものになるかもしれないから」
「……まあ、俺の身の振り方は置くとして。この剣は、あいつに返さなきゃな」
見下ろす視界に、小舟はもう見えない。祭殿の中に、はいったのだろう。剣をハルワタートに手渡すと、ポップは鴉の仮面をつけていた。
鴉の軍師と、ポップは呼ばれている。
そう名付けたのは、ハルワタートだった。

祭殿の広間で、客人たちは待たされていた。
いつの間にか、ガーゴイルは姿を消していた。残っている火将軍アドラとメリアは談笑していた。ダイは、ただ静かに立っていた。ラーハルトもまた、影のように。ふと視線をあげると、いつのまにか広間の人口は二倍になっていた。アドラとメリアの側にイシュタムが立って会話に参加していた。そして何をするでなく、ひっそりと人形のようにジョカも来ていた。
奥の扉が、ゆっくりと開く。会話は止んで、全員の視線がそちらに向けられた。
扉の向こうに立っていたのは、長い黒髪と魚の鰭に似た耳をもった水妖──水将軍ハルワタートだった。ゆっくりと歩む彼女の手の中には、紛れもない「ダイの剣」があった。
「お受け取りください、竜の騎士殿。これは、あなたの剣です」
「ああ…確かに、俺の剣だ。だが、返していいのか?その剣を使えば、俺はここにいる全てを破壊することもできる」
刃のような言葉を、ダイは告げる。だが、ハルワタートは微塵も動揺しなかった。
「破壊があなたの望みであれば、ご自由に。この祭殿が破壊され、私たちの全てが死に絶えれば女神は何の躊躇もなくお目覚めになられるでしょう」
「どういう意味だ?」
「言葉の通りです。私たちが滅ぶことと、女神の封印が解けることは同義なのです」
ダイは混乱しそうになっていた。その姿を面白そうにジョカとイシュタムが見つめている。だが、相対するハルワタートはゆっくりと言葉を続けていた。
「……ご存じないのも当然です。これは妖霊が秘してきたことですから。私たち妖霊は、女神を奉り力を貸して頂いておりますが、同時に封印でもあるのです…」
ハルワタートの説明はなおも続いていたが、ダイには聞こえなかった。
扉の向こう側に、鴉の仮面があった。足下にガーゴイルが侍っていた。
ハルワタートの持つ剣も、ここが妖霊たちの祭殿だということも、もはやどうでもよかった。
一歩踏みだそうとしたとき、場違いな声が広間に響き渡っていた。
「おめでとう!感動の再会だネ!」
は、とダイは振り仰ぐ。ラーハルトも油断なく上を見上げた。
その先、広間の天井付近に、おどけた姿の道化師に似た死神の姿があった。
「…招かれざる客だな」
「相変わらず趣味が悪いわね」
小さな声で、ジョカとイシュタムが会話を交わす。彼女たちは驚いたそぶりもなかった。もっとも傍らのアドラは素早くメリアを背にかばっていたが。
表情を変えることなく、ハルワタートは侵入者を見上げた。
「ヴェルザー直属の死神を、招待した覚えはありません。お引き取り下さい」
淡々としたあまりにつれない反応に、死神は機嫌を悪くしたらしい。次に発された声は、明らかにむっとなっていた。
「まったく…妖霊たちは、感動が薄い。つまらないヨ。せっかくの親友たちの再会なのに。知っているのかい?キミたちの軍師は、そこにいる竜の騎士の親友なんだよ?人間界で一緒に戦った勇者と魔法使いなんだ!もっと、何かしらあってもいいじゃないか!」
死神の言葉に衝撃をうけながらも、ダイは面にだすことだけは耐えた。ラーハルトも、予感があっただけにやり過ごすことが可能だった。だが、他は意外な反応をみせていた。
「……それが、何か?」
相変わらずの無表情で、ハルワタートは問い返す。死神は、答えに詰まっていた。
「今更言われて、どーしろというんだ?」
「さあ?わたくしの軍師が人間でポップという名前なのは、当然の事実だと思っていたのだけれど」
「竜の騎士の友人ということも、最初から知っていたしな…ところで、軍師はお前のものではないぞ」
ジョカとイシュタムは、別の論点で険悪な会話を交わしていた。ダイとラーハルトは、聞き逃せない重要な単語を耳にして、どういう反応をしていいかわからなくなる。
取り残されたように空中にうかぶ死神から返事がないと判断すると、ハルワタートはもはや見向きむしなかった。
「…とりあえず、私と手合わせを願えますか?」
そんな場違いな慰めの言葉を、アドラは死神に告げる。
「いやー…もうムカつきっぱなしだね。キミの首で、我慢したげるよ!」
死神の鎌と、火将軍の剣が交差したとき。
広間は戦場となっていた。

爆風と熱風が、広間を席巻した。とっさにダイは身体をふせようとしたが、衝撃はなかった。
防御光幕呪文が、ダイとラーハルトを守っていた。
術を行使したのは、いつの間にか背後にきていた鴉の軍師だった。
あたりを見回せば、メリアのそばにはガーゴイルがついて守っていた。ハルワタートやジョカ、イシュタムは四大将軍らしく自分で障壁を張っている。目の前の戦闘よりも、何やら口喧嘩に熱中しているふしもあったが。
ダイは、自分の側にたつ姿を見つめた。
…こんなに細くて、小さかっただろうか?
あの頃の彼は、自分よりもずっと背が高かったのに。
今は、自分の方が頭ひとつ近く大きくなっている。
「……お前は、誰だ?」
低く問いかけるダイの声に、鴉の仮面がふりむく。
返事があるよりも先に、ダイは仮面に手をかけていた。そのまま力任せに素顔を暴いた。
「いてぇな。お前のバカ力だと、首がどうにかなっちまうだろ」
乱れた髪をかき上げながら、不機嫌な表情が現れる。
それは記憶の中よりも、大人びていた。
「──ポップ」
懐かしい名前を、ダイはただ呆然と呟くことしかできなかった。