Glass Forest

妖霊の樹海で、ダイとラーハルトは立ちつくしていた。
もともと此処には、ダイ一人で来るつもりだったのだが、クロコダインとラーハルトが反対したのだ。彼らがダイの身の安全を不安に思ったわけではない。護衛などつけた方が危険だということもわかっていた。それでもダイのために、彼らは同行を申し出たのだった。結局、ラーハルトが同行しクロコダインが残って竜騎衆をまとめる算段となったのだが。
迎えに来たのは、根の国の火将軍アドラ。誠実で信義に厚いと敵味方の区別なく評価の高い将だった。樹海の内部でルーラは使うことができない。道案内は、必要不可欠だった。
彼女も、来るのはダイ一人だと思っていたらしく、ラーハルトをみると驚いていた。だが、しばらく考えると思慮深げにこういったのだ。
「そうですね…おそらく、あなたなら森は拒まないでしょう」
アドラに導かれ、ダイとラーハルトは樹海に分け入った。そして、驚いていた。
樹海は、今までにみた魔界のどんな森とも異なっていた。巨大にそびえ立つ木々にまじり、木には見えない植物たちが背を伸ばしている。アドラは、笑いながらシダ類や苔類だと教えてくれた。
そして、それらの木々をゆきかう巨大な昆虫たち。
翅蟲とアドラが呼ぶ2メートル弱の様々な虫たちは、静かに泳ぐように身体をくねらせて三対の羽根をゆったりと羽ばたかせている。はるか上空には10メートルはありそうな大王ヤンマ─でかいトンボだとダイは思った─も群れをなしていた。
足もとをごそごそとゆきかうのはミノネズミとよばれるこれまた2メートルはありそうなイモムシの群れ。危害を加えないかぎり、襲ってくることはないとアドラは何でもないことのように口にする。そういうものか、とダイは納得したがラーハルトはそうはいかないようだった。
「陸戦騎殿には申し訳ありませんが、しばらく蟲の群れは続きます。この辺りは、ヴェルザー軍に焼き払われた場所で…今は、シダ類や胞子達が森の傷を癒しているのです」
「蟲たちは…番人なのか」
問いかけるラーハルトに、アドラは頷いていた。
「はい。そういう側面もあります。彼らは、我々の良き隣人ですから」
馴れた足取りで、アドラは二人を案内していた。なるべく蟲が通らない場所を選んでくれているのがわかる。火将軍が四大将軍の中で最も情に厚いという風聞に、間違いはなさそうだった。
ふと、水の気配をダイは感じた。やがて予想した通り、川辺にたどり着く。そこには小舟が用意されていた。
「ここからは、川の流れにのった方が早いのですが……」
小舟を見つめたアドラは、困った表情をみせていた。ダイやラーハルトも小舟をみつめる。
小舟には、先客が乗っていた。ふわふわとした榛色の髪を三つ編みにした少女と、ガー公と呼ばれた黒犬モドキだった。
「…どうしてあなたが此処にいるんですか、メリア。ガーゴイル、あなたも軍師の護衛のはずでしょう」
額を抑える火将軍に、少女はぺこりと頭をさげる。
「ごめんなさい。どうしても竜の騎士殿を迎えにきたくて…そう軍師様にいったら、ガーくんを付けるなら行ってもいいって、言われたの」
「我はマスターの命には逆らえない」
当然のように黒犬─ガーゴイルは、胸をはって答えていた。
「まったく自慢になりませんよ、ガーゴイル」
はあ、と大きく溜息をついてから、アドラはダイとラーハルトに向き直っていた。
「…オマケが二人ばかり増えますが…構いませんか?」
ダイはメリアが敵だとは思えなかった。ほんの少女に見えたし、ガー公…ガーゴイルがお守りだというのもわかる気がしたのだ。
「俺は、かまわないよ」
「私はダイ様に従います」

小舟の櫓を操るのは、アドラが請け負った。水路を知っているのは彼女だけだったから、しかたないと言える。ラーハルトも船の後部にすわり、その前にダイとメリアと呼ばれた少女が座り、ガーゴイルは船首像のように舳先に陣取っていた。
黒い水の流れの上を、静かに小舟は流れていく。時折、獲物と勘違いした水性昆虫が顔を覗かせたが、ガーゴイルがひとにらみすると消えていった。川の両端は、いつしか胞子たちから触手のように伸ばされた木々の根に変わっていた。森の深淵部に近づいている証だった。
ふと、ダイは疑問を思い出してメリアに問いかける。
「この森は…侵入者を拒むのか?」
「はい。妖霊に属するものや、認められたものは拒まれないけど、えと、ヴェルザー軍みたいな人たちは、森が拒んじゃうんです」
「拒まれると、どうなるんだ?」
「大抵は、蟲さんに襲われます。運良く逃れられても、道に迷って何処にもいけなくなるんだそうです」
「それは怖いな」
「だからヴェルザー軍の人たちは、森を焼いちゃったんです」
メリアはとても悲しそうに呟いていた。仕草は年相応のものだったから、ダイは話しかけやすかった。ジョカのように年齢詐称をしている訳ではないとわかると、小さな質問をくり返す。メリアは律儀にひとつひとつ丁寧に答えてくれた。答えにつまる質問は、ガーゴイルがフォローをいれる。見かけによらず、ガーゴイルは博識だった。
ラーハルトは穏やかな主を見ていた。ダイが鴉の軍師の正体に悩んでいることは知っていた。だからこそ同行を申し出たのだ。このまま平静を保ってくれればいい、と望まずにはいられなかった。
ふと、静かに櫓を漕ぐ敵将に問いかける。
「そういえば、どうして俺なら拒まれまいと判断したのだ?」
アドラは何でもない事のように答えていた。
「あなたが、人間との混血だからです」
「…どういう意味だ?」
怪訝な顔をするラーハルトに、アドラはさらりと返答を返す。
「物事には、似ていないと上手くいかないこともあります。あなたは人間との混血で、騎士殿も混血。そして私も人間との混血です。共通点があるから、森も受け入れやすかったのですよ」
告げられたラーハルトは、驚いていた。ダイもまた振り返って驚きを露わにしていた。
「私の父は人間で、母は火妖でした。妖霊族では、珍しいことじゃありません」
アドラの言葉に、メリアやガーゴイルも同意していた。
「妖霊に交じって、人間が暮らしているのか?」
ダイの鋭い問いかけに、アドラは静かな微笑みで答えていた。
「それは、騎士殿の目で確かめて下さい。じきに、祭殿につきますから」
川面をゆっくりとすべる小舟の前に、妖霊の祭殿が近づいてきていた。わずかに険しい顔になったダイに、メリアが問いかける。
「……騎士殿は、何のために森に来られたのですか?」
「たぶん…本当のことを、知りたいんだと思うよ」
答えを口にしながらも、ダイは迷っていた。
本当のこと。
それは、一体なんなのだろうと。