Indra

契約に従い我に従え、氷の女王…
鴉の仮面の下から聞こえたのは、驚いたことに男の声だった。低すぎることもない、柔らかな…けれど間違えようのない声。
それは、ダイの記憶の中の声に酷似していた。
宙にうかぶ鴉の軍師の呪文の詠唱は、なおも続く。それにともない巨人兵の周囲は氷結していった。
来たれ、永久の闇、永遠の氷河…!
瞬く間に、数体の巨人兵が氷の檻に捕らわれていく。ダイが見たこともない、恐るべき魔法だった。
「滅多にみれるものではない。記念にみておくといい、竜の騎士殿。ほぼ絶対零度、広範囲完全凍結殲滅呪文だ。どんなデカブツでも防ぐことはできない……こういった大規模な戦いで魔法使いの役目とは、究極的にはただの砲台。強いものが、全てだ」
幼い少女の姿をした敵将が、黒犬に似た魔物を従えて微笑んでいる。背後に浮かぶ自軍の軍師を誇るかのように。ダイは、呆然と敵の軍師を見上げていた。魔法の威力もさることながら、彼が発する声のために。
全ての命ある者に等しき死を。其は、安らぎなり──終わる世界
最後の言葉が紡がれると、ひび割れ弾ける音が轟音となって辺りをゆるがした。氷の檻に閉じこめられた巨人兵たちは、氷もろとも砕け崩れていく。あっけないほどの戦いの終わりだった。
「…これが、我らの戦い方だ。今回は騎士殿を助ける形になったが、仲間になったつもりはない。そのあたりは、勘違いしないでくれ」
少女の大人びた口調が、ダイを現実に引き戻す。
自分は直属の竜騎衆を率い…ラーハルトの援軍として来たのだ。
ラーハルトたち陸戦騎軍が苦戦を強いられたのは、狂戦士と化した巨人兵たちだった。一体が、かつての鬼岩城ほどもある。それらが正気を失い、痛みを覚えることも恐怖もなく、近づく全てを殺しながら前進し続ける。報告をうけ、駆けつけたダイにも良案はなかった。だが、このまま巨人兵たちが前進すれば、小さな集落が壊滅するのは明かだった。ダイ自らが、解決のため竜闘気を高めようとしたとき、ふいっと彼らは現れていた。
少女と黒犬と、鴉仮面。あどけなさを残す少女は、風前の灯火にある集落に頼まれたのだと告げた。
「あの村の者には、わずかだが妖霊の血が混じっているものがある。助けを請う者たちを、無下にはできまい?そうそう、今更自己紹介などはしないぞ。我らは、お前達が思っている通りの者だからな」
傲然と言い放つ、黒衣の少女。長くのばされた髪は真白で、大きな瞳は深紅の色。顔立ちは美しいが、人形のように無機質で気配がない。ダイにも、周囲にいた兵達にも彼女の正体はわかっていた。
まだ戦ったことはないが、得た情報が正解をはじき出している。
根の国、地将軍。血将軍とも呼ばれる──現時点では紛れもない、敵だった。
「地将軍ジョカ自らが、戦ってくれるのか?」
ゆっくりと心を落ち着けたダイが問えば、ジョカは面白くもなさそうに首をふった。
「残念だが、大物相手は得意ではなくてな。そっちが得意なヤツを連れてきたから、今回の私の役目は護衛にすぎん」
「──マスターの護衛は、我だけで十分なはずなのだが…」
「黙れ、ガー公」
ぼそりと口を挟んだ黒犬を、べしっとジョカは殴っていた。
「我の名はガー公ではなく……」
不満げに言い返そうとした黒曜石の輝きを放つ黒犬に似た存在は、傍らの鴉仮面に合図されると押し黙った。
鴉仮面はすらりとした長身だった。鴉の仮面で頭部を多い、顔は伺いしれない。前進は翼を模したマントでおおわれていて、隙間から覗く手も黒い手袋に包まれている。しなやかな体格は、性別さえも不明だったが、漠然とダイは女だろうと思っていた。そこにいるのは、根の国、鴉の軍師と呼ばれる存在に違いない。根の国に属するという理由で、女だと思いこんだのだ。
「とっとと片付けてかえるぞ、軍師。早めに帰らねば、イシュタムあたりに、何を言われるかわからん」
「…やはり、ジョカ殿は無断で来られたのか。抜け駆けは感心できないのだが…」
溜息をつく黒犬の頭を慰めるようにぽんぽんと叩いて、ふわりと鴉の軍師が宙に舞い上がった。まさしく鴉のように。それを背後にかばい、相変わらずジョカは偉そうに口にする。
「ガー公、竜の騎士殿相手は、お前だけでは心許ない。何と言っても、私のライバルだ」
くく、と皮肉げに笑う少女の姿をした敵将を、ダイは複雑な目で見つめていた。
「──騎士殿は、理性的ではいられないだろうしな」
予言めいた少女の声を、そのときのダイは理解できなかった。