Santa Sangre

目が覚めたときには、理解していた。竜の騎士として、倒すべき相手が誰なのかということを。
竜の騎士は、もっとも強く三界を脅かすものを倒さねばならない。
そして、これからダイが立ち向かわねばならない相手は、父が封印したヴェルザーよりも、自分が倒したバーンよりも強い相手だった。自分の中を流れる戦いの遺伝子が告げていた。だからこそ、自分は目覚めなければならなかったのだ。
自分が眠っていた間に、地上では三年の年月が過ぎていた。高くなった自分の視点も、そのせいだろう。あまり実感はなかったけれど、確かに時は流れていたのだ。
戦いのために自分の剣を取り戻したかったが、剣は姿を消していた。ロン・ベルクも行方をしらないと首を振った。そして親友の姿もなかった…元気でいる姿を、誰よりも確認したかったのに。助力を求めて、こっそりと尋ねたラーハルトは、わからないと言った。クロコダインも沈痛な面もちで首を振った。ただ、とクロコダインは続けた。
「…お前の剣は、ポップが持っていったような気がする。証拠は、何処にもないんだが」
そう聞かされると、わずかに心が慰められた。
自分を探して、世界中を彷徨っているというポップ。傍らに自分の半身ともいえる剣があるならば…きっと、無事なのだろうと思う。剣を呼ぶことも出来ないわけではないが、ポップが持っていてくれるなら呼び戻したいとは思わなかった。
自分は、もうポップの側にいられない。
戦いのために、魔界へ赴かねばならない。
旅の同行を、ラーハルトとクロコダインに頼めば快諾してくれた。素直にダイは、ありがたいと感謝した。
魔界で自分たちを待つのは、想像もできない敵なのだ。おそらく人間界には二度と戻ってこれないだろう。
片道だけの旅に、ポップがいないことを嬉しく思った。
ポップには、幸せに生きて欲しかった。そのために…あのとき手を放したのだから。

三人が降りたった魔界は、麻のように乱れていた。
バーンという支配者がいなくなったため、後継をめぐって争いがおこっていた。かと思えばヴェルザーの残党が、封印されてなお意思を伝える主のために領土を広げようとしている。ただ、それらはダイの──竜の騎士の敵ではなかった。
「…俺は、混沌の源を断たなくちゃいけないんだ」
そういうと、ラーハルトは怪訝な顔をした。だが、クロコダインは言葉を失っていた。
「ダ、ダイ…まさか…お前は、古き女神を倒すつもりなのか?」
ようようと口にしたクロコダインの言葉に、ラーハルトも理解の色をうかべて目を見開く。
混沌の源とも呼ばれる古き女神。それは魔界の深淵に封じられた、太古の邪神だと言われている。
神代の頃に、竜の神と魔の神と人の神が協力して戦い、ようやく封印したといわれる。魔界も人間界も天界も…全ての世界は、封印された彼女の身体から生まれたとも。女神が目覚めたとき、三界は終わるという。それは魔界に伝わる伝説だった。
「女神が目覚めてしまったら…全ては手遅れになってしまう。その前に、女神を起こそうとしている人たちを何とかしなくちゃいけない」
ダイは決然と口にしていた。遺伝子が告げる使命に、逆らうことはできなかった。
「女神を奉じているのは…根の国だったかな」
「ああ、間違いない。妖霊の国だ」
驚愕の波をやりすごしたクロコダインとラーハルトは、現実的な事を口にしていた。たとえ相手が古き女神だとしても、ダイのもとで闘う意思に迷いはないのだ。
「…妖霊の国?」
魔界に降りて日の浅いダイは、話が見えない。首をかしげると、心得たようにラーハルトが説明を買って出ていた。

精霊の一族で、女神を奉じた一族があった。彼らは精霊界にいくことを拒み、女神の側にいることを望んだ。魔界に残った彼らは、精霊としての清らかな力を失い、いつしか妖霊と呼ばれるようになった。
彼らが居を構えたのは、魔界の奥深くにある樹海。いつしかそこは、妖霊の国とも、複雑に絡まり合う木の根から、根の国とも呼ばれるようになっていた。妖霊たちは強大な魔力をもっていたが、樹海から出ることを好まなかった。ただ女神を奉じ、慰め続けていた。それでも魔界の権力闘争は、彼らを放っておいてはくれない。それを解決するため、妖霊たちは一つの方法を選択していた。
「…もっとも強いと見極めたものに自分たちの長を嫁がせ、同盟を結んだのです」
「えーっと…長って、女の人なの?」
眉をしかめて理解しようとしているダイの質問に、ラーハルトは頷く。
「精霊がどうかは知りませんが、妖霊は女だけの種族ですから」
「そうなんだ…女の人と戦うのは、気が重いなぁ…」
少しだけ肩をおとすダイに、クロコダインは元気づけるように言った。
「ダイ、妖霊は強いぞ?オレがみたことのある妖霊は、バーンの妃の一人だったデリ殿だけだが…おそろしく強大な魔力をいとも簡単に操っておられた。戦闘にでることこそなかったが、あの力は6団長に匹敵していたはずだ」
クロコダインの言葉に、ラーハルトも同感だった。
「バラン様も、デリ殿には一目置いておられました。ダイ様、妖霊を女だからといって甘くみては危険です」
「じゃあ、俺が戦う相手は、デリって人なんだ」
ダイがそういうと、ラーハルトは首を左右に振っていた。
「いいえ、デリ殿は、バーンが死んだときに…我が身を女神に捧げたそうです」
「…それって…」
「それが妖霊の長の義務だと、生前、彼女は言っておられました。現在の長は、代替わりしてまだ幼いという風聞です」
強大な力をもちながらも、妖霊たちは自ら表にでることを好まなかった。支配者たちも、それを知っていた。だからこそ、同盟を結ぶことが可能だったのだろう。だが今回、長が代替わりしたとき、妖霊一族を苦難が襲ったのだ。
「ヴェルザーは…デリ殿に執着していたという噂です。そして、みすみすデリ殿を死なせた妖霊たちを許さなかった」
欲深いといわれるヴェルザーは、たとえそれがデリの意思だとしても納得しなかったのだ。樹海は、ヴェルザーの残党たちに蹂躙された。長はまだ幼く、妖霊たちを纏めることが難しかったらしい。そうやって追いつめられた妖霊たちが、最後の手段として選んだのは。
「…女神の力だったんだね」
「おそらくは」
妖霊たちは、自分たちを守るために女神の力を望んだ…だが、それにより女神の封印は弱まり、目覚めの危険がでてきた。それを防ぐために、自分は使わされた。神々の思惑によって。ダイは、ぽつりと呟いていた。
「妖霊たちが…侵略者だったら良かったのに」
「…そうですね」
静かにラーハルトも同意した。妖霊たちは、侵略者ではない。むしろ被害者であるともいえる。バーンが滅びて二年ばかり、妖霊たちは劣勢だった。それが、ここ一年ほどで見違えるほどの攻勢をかけ、荒らされた樹海の全てを取り戻していた。そしてなおも、ヴェルザーの軍勢と互角に戦い続けている。皮肉なことに、バーンの後継者としてもっとも近い位置にあるのは、妖霊たちなのだ。彼らがそれを望んでいないとしても。
どんな使命があろうとも、ダイ本人がそういう所行を望まないことをラーハルトは知っていた。ために、一つの考えを提案した。
「ダイ様、あなたが選ぶ道は、二通りあります」
自分の考えを口にするラーハルトを、ダイは真剣な目でみていた。
「一つは、妖霊たちを滅ぼすこと。もう一つは──魔界の覇者となることです」
「え…?」
驚くダイの傍らで、クロコダインもまた頷いていた。
「そうだな。魔界の覇者となれば…妖霊たちは、ダイに同盟を申し出てくるだろう」
そのとき、同盟者として女神の力を手放すことを交渉すればいいのだろうか。妖霊たちが自分たちを守る力を必要としているならば、確かに理に適っているような気がした。だが、それでも問題はある。
「俺が魔界を平定するのが先か、女神が目覚めるのが先か……競争だね」
そう口にしたダイは、すでに覚悟を決めていた。