ヒュンケルの話

招かれた村は、穏やかだった。あちこちで夕餉の支度の煙があがり、ぽつんぽつんと村民たちが点在していた。魔族もいれば、獣人もいたし、モンスターたちもいた。…むしろ、人間の姿をみない。ざっと見たところ、人間は我々に同行しているティダとフィデスの二人だけのようだった。
村民たちは、我々を一瞬怪訝な目でみるが、二人が同行しているのをみると何もいわなかった。それでも、珍しいものをみたという視線が飛んでくるのがわかる。俺とアバン先生と、マァム、レオナ姫に対して。…人間が珍しいのは、間違いなさそうだった。
やがて案内されたのは、フィデスとティダの養い親でもある村長の家だった。クロコダインの背よりも大きい扉をもった、作りの大きな家だった。理由はすぐにわかる。村長は、ドラゴンだった。
養い子の恩人として、我々は歓待された。
ドラゴンの食事…と一瞬、引きそうになったが並べられたものは普通のものと変わりなかった。ドラゴン村長も器用に大きめのナイフとフォークで食事をしていた。食事が終わり、客室に案内される。そのとき、村長がアバン先生とクロコダイン、ラーハルトと俺に酒を勧めてきた。村長的に、俺たちが大人に見えたらしい。それは間違いではなかったから、有難く招待をうけることにした。
村長に今の世界について、たずねたいと思ったこともある。
だが酒の席で、先に村長が問いかけてきた。
「───私は、もう千年以上いきております。私の記憶に間違いがないなら、あなた方は、大破壊のおりに大魔王に挑んだ戦士たちではありませんか?」
村長は、賢い存在だった。
ごまかしは、通用しそうにないと判断したのか、アバン先生は正直に真実を話した。村長は、時折うなずきながら、真摯に受け止めていた。
そしてアバン先生の話がおわると、村長は我々のしらなかった千年の間におこったことを、ゆっくりと話してくれたのだ。

大破壊。ピラァ・オブ・バーンは、後の時代にそう呼ばれていた。それを行使した大魔王バーンは、忌まれ…憎まれていた。魔族たちが、バーンを憎む日がくるとは。考えたこともなかった。
ピラァ・オブ・バーンは、確かに人間界を破壊した。同時に、魔界をも破壊したのだった。バーンは黒の核晶の爆発の共鳴を把握しきれていなかったのだろう。壊れてしまった、二つの世界。大絶滅の嵐が、生命あるもの全てを襲ったのだ。
それでも、運のよいものは生き延びた。魔族も、モンスターも、植物も、動物も、人間すらも。いずれ死を迎えるだけの、短い時間かもしれなかったが。ただ死だけが蔓延し、光すらも見えなかった。バーンがあれほど望んだ太陽さえも、破壊の粉塵の厚い雲にさえぎられた。まさしく世界が滅びようとしたとき。
「──大魔道士さまが、客人神を勧請してくださったのです」
村長は、深い感謝をこめて言葉を綴っていた。それだけで、その大魔道士とやらが尊敬を集めている存在だと理解できた。大魔道士。初めて耳にする言葉だが、魔族の呼び名なのだろうか。だがクロコダインやラーハルトも初耳らしい。アバン先生だけが、何かを思いついたようだった。村長の話は、なおもつづいた。
大魔王は世界を破壊することはできても、再生させることはできなかった。この世界の神々すらも、不可能だった。
それが可能だったのは、大魔道士の願いに応えた放浪の客人神──幻獣神とよばれる存在だった。千の爪牙と万の毛皮、億の羽毛を纏ったと謳われる幻獣神は大魔道士と契約を交わすと、粉塵の雲を払い太陽を呼び戻し、汚泥にまみれた海を浄め、瓦礫の大地に緑を蘇らせた。自然の再生が終わると、幻獣神は後を大魔道士と己の眷属にゆだねて、再び旅立っていったという。
残された大魔道士は、次に社会を再生した。魔族もモンスターも人間も新たに加わった幻獣神の眷属も分け隔てなく扱った。力と暴力ではなく、法律で治安を維持する法治国を築いたのだ。当時、世界に国は一つしかなかった。いや、一国分しか生物がいなかったのだ。その国は議会が国政を動かしていた。全ての生きる者たちから感謝され、崇拝された大魔道士は、切望されたにも拘わらず、王位に着くことをよしとしなかったのだ。そして、姿を消したという。用意された玉座は空座のままだったが、誰もそれを撤廃しようとするものはなかった。空の玉座を、一つの象徴としてその国は守った。我々の国を統べる存在は、ただ一人だと誓うように。
「ほぼ五百年間……平和な時代が過ぎました。世界には破壊の爪後も多く、復興と生産と生きることに追われていた時代でもありましたが、それでも平和でした。大魔王が再び現れるまでは」
大魔王は生きていたのだ。そして息を潜めていた。己の力を世界の再生に何一つ使うことはなく、世界が蘇るのを待っていた。自分が君臨するに相応しい世界になったと判断したとき、大魔王は世界を得るために動き出していた。またたくまに首都は陥落し、久しく忘れられていた略奪と殺戮が行われ、ただ一つの国の象徴だった空の玉座も破壊された。抵抗した者たちが大魔王に皆殺しにされそうになったとき。
「大魔道士さまが現れたのです。遅くなってすまないと…あの方は、謝ってくださった。我々に頭を下げられたのです。世界を蘇らせた、何よりも尊い方が」
村長は、懐かしい目をしていた。その折の戦に、彼もまた参加していたに違いない。
「激しい戦いがありました。大魔道士さまの御力をもっても、大魔王はたやすく倒せる相手ではなかった。死力をつくせば、倒せたかもしれません。だが、あの方は世界が戦いの余波で再び破壊されるのを好まなかった」
結果として、大魔道士は自分もろとも大魔王を封じたのだという。
「戦いの終焉の地──封印の地が何処だったのかは、誰も知りません。大魔王の残党はもとより、我々も世界中を探しましたが、見つかりませんでした…」
なし崩しに終わった戦争は、多数の混乱を招いたがゆっくりと治まっていったという。一つの国はふたたび議会が収めるようになった。そして彼らは、500年の長きにわたって待っている。再び空の玉座を用意して、大魔道士が帰還する日を。
「…それは大魔王の復活するときかもしれませんが。復活したときこそ、奴の滅び去るときでしょう」
村長は、何かに誓うように言った。そして、俺たちをじっとみつめた。
「あなた方が解放されたことは、どういう意味があるのか。私には判断できません。ここであなた方を殺してしまう方が、後々のため良いのかもしれませんが……それは、大魔道士さまの望むところではありますまい」
俺たちの復活は、何を意味するのか…それを一番知りたいのは俺たちだろうと村長は解ってくれているようだった。同時に、今の世界に仇なすことは許さないと釘をさしているのも解った。
複雑な思いで押し黙った一同の中で、アバン先生が問いを口にする。
「…その大魔道士さまは、ご老人でしたか?」
何かを確認するような声音だった。村長は、じっとアバン先生をみつめると、ゆっくりと首を振った。
「いいえ。まだ年若い…人間でした」
「人間?!」
「だが、先ほど五百年後に現れたと…!」
ラーハルトとクロコダインは驚きを口にした。俺もまた、驚いていた。大魔道士は魔族だったのだろうと、勝手に思いこんでいたのだ。何しろ、人間は…五百年も生きられない。
「破壊と絶望の怨嗟の渦から立ち上がったとき、あの方は紛れもなく人間でした。客人神を勧請したときも。ただ…神と契約を交わしたとき。人の枠を越えられてしまったのでしょう。越えざるを得なかったというべきか。神との契約の代償は…人間の一生では足りますまい」
村長の声には、憐憫の響きがあった。人の一生では払いきれないほどの代償。それがどんなものなのか、想像もつかない。
「彼の名を、ご存じですか?」
何故だか、アバン先生の表情には深く傷ついた表情が浮かんでいた。
「…大魔道士さまの名は、誰も知りません。あの方も名乗らなかった。自分は罪を犯したから、名乗る資格がないとおっしゃっていました──最後の戦いで、大魔王を倒すことができなかった罪人なのだと」
「…私は、私の生きていた世界で大魔道士と名乗った男をしっています。彼は私の友人でした。けれど彼が自分でそう名乗っていたことを知っていたのは、私以外では──彼の弟子しか思いつきません。彼は師の称号を受け継ぐに相応しい力をもっていました。あの子だけが責任を負う必要など、何処にもありはしないのに……!」
アバン先生の声が途切れる。俺の胸のうちは、いやな予感でいっぱいだった。クロコダインも隻眼を見開いていた。
村長はアバン先生の言葉に、頷いていた。
「そうです。大破壊を止められなかった責任は、生き延びた存在、全てにありました。誰も、あの方を責めることはできません。だから、あなたも自分を責めないで下さい。あの方は、私に教えてくれたことがあります。自分に魔法を教えてくれた先生と師匠は、とても素晴らしい人間だったと」
俺は拳を握りしめていた。奥歯を噛みしめて、やり場のない怒りをこらえた。お前は、どんな思いで生き延びたのだろうか。どれほどの代償を、たった一人で払ったのだろうか。
大魔王を封印したというお前は、今、何処にいる?
脳裏によぎるのは、飄々とした陽気な笑顔と子供っぽさの抜けない軽い言動。泣き虫で臆病で──けれど、真実の勇気を宿していた瞳。
信じたくはなかった。大魔道士と呼ばれる存在が、ポップだということは。