ひとつ屋根の下

ダイの朝は早い。ほぼ、夜明けと同時に起床する。どうやら体内時計がそういう風に設定されているらしい。
目を開けるて最初に見つめるのは、隣に眠る人の顔。長い睫毛が、朝の薄い光に淡い影を落としているのをみるだけで、何だか幸せな気分になってくる。じっとしばらく見つめた後、彼を起こさないようにそっと寝台からぬけだすのだ。
朝の仕事は、飼っている牛のモモの世話から始める。餌を与え、床を掃除して、乳を搾る。牛小屋に、牛は一匹しかいないがニワトリのココも同居しているので、帰り際に餌をあたえて卵を失敬する。モモもニワトリのココも、ダイによくなついていて、ダイとしては家畜というより家族な気分だった。菜園から野菜と、隣の薬草園からはハーブを適当に収穫し、帰宅する頃にはすっかり日は昇りきっている。が、塔の中に起きている気配はない。いつもの事なので、ダイは気にする様子もなくミルクと卵と野菜などを抱えて、台所に向かうのだった。
ふわふわのチーズオムレツがいい具合に焼けた頃、寝室からごそごそとはい出してくる気配にダイは微笑む。
「……おはよ…今朝はオムレツか…」
ぼそぼそと眠そうな挨拶の声に、ダイは元気よく返事を返していた。
「おはよう、ポップ!」
しぼりたてのミルクと、チーズオムレツ、フレッシュ・サラダと焼きたてのパンケーキ。ダイの手作りの朝食を、ポップは眠そうに、でも幸せそうに頬張っている。ダイも向かい側に座って、綺麗な紡錘形になったオムレツをちょっと自慢そうにつついていた。最近まで、なかなかこの形になってくれなかったから、何だか食べるのが勿体ないような気がしたのだ。
ダイとポップは、辺境の地に居を構えていた。近くにある村から離れたところに、ポップが独立して「魔法使いの塔」を建てたので。ダイにとって、ポップと共にあることは、空気よりも自然なことだったから、当然、ポップにくっついて引っ越したのだ。そのさい、すったもんだがあったけれども…今では、平凡な日常生活を営む二人だった。
「ポップは、今日、西の村に行くんだろ?」
「ああ。そろそろ収穫祭の季節だから、いろいろ準備があるんだ」
ポップが塔を建てた理由は、自分の研究のためだったと思われるが、現在のところ、この辺り一帯の村人の細々とした依頼を受けていたりする。祭りの支度や、病人の治療、迷子を捜したり、天気を占ったり、勉強を教えたりと、なかなか忙しい。ダイもたまに、脱走した牛の捕獲など力仕事をうけもっている。
「お前は、どうするんだ?」
お腹がいっぱいになって目が覚めたのか、ポップは真っ直ぐな視線でダイを見つめた。
「俺、今日はランカークスで店番なんだ」
「…あのクソオヤジが。ダイ、嫌なら嫌ってはっきり言わねーとツケあがるぞ」
ダイは、時折、ランカークスのポップの実家を手伝っている。辺境の地にいても、ルーラを使えばひとっ飛び。問題は、まったくなかった。本来なら、実家の手伝いはポップがすべきなのかもしれないが、ダイはまったく気にしていない。
「お父さんは、つけあがったりしないよ。今日あたり、ノヴァが新作を持ってくるんだって。楽しみなんだ」
「あいつもそろそろ、一人前なのかね?」
「ロン・ベルクさんは、まだまだだって」
ポップは憎まれ口をきいているが、両親をとても大事にしている。ダイはポップの口に出せない願いを知っていた。そして、両親もまたポップを大事に思っていることをしっていた。ポップが選んだ相手がダイだったことに最初は驚きがあったらしいが、今はダイを息子のように扱ってくれている。両親を知らずに育ったダイにとって、二人が向けてくれる愛情は嬉しくてたまらないものだった。
「そんじゃ、俺、そろそろ行かねーと。年寄りは、朝が早いからなー…」
ぼやきながら、ポップは食器を片づける。朝食の後かたづけは、主にポップが担当していた。片づけが終わると、思い出したようにダイに告げる。
「あー…悪いけど、俺、今晩遅くなるかも。夕飯の支度、頼んでいいか?」
「わかった。お母さんから習った、シチューにしようか?」
「根野菜、ごろごろ入れてくれ」
「了解!」
てきぱきと出かける支度をするポップを、ダイはじっと見つめていた。
当たり前の会話と、当たり前の日常。
それがこんなにも幸せなものだったなんて、想像もしていなかった。
大事な家族と、愛すべき隣人と。自分が選んだ、たった一人の人とひとつ屋根の下で暮らす。くり返す日々が教えてくれる、大切なこと。それらを守りたいと、ダイは思っていた。そのための力が自分にあることに、今のダイは心から感謝していた。
「んじゃ、行ってくる」
「あ、ちょっとまって、ポップ!」
戸口で呼び止められたポップは、怪訝そうに振り返る。その無防備な口唇に、ダイは自分のものを重ねていた。
ついでに頭をしっかりと押さえ、開いた唇から舌を滑り込ませて、ポップの咥内を堪能したりなんかする。ゆっくりと唇が離れる頃には、ポップの目は潤み、紅潮は耳まで達していた。抗議を口にしたくても、なかなか息が整わない。そんな姿に、ダイは悪びれもせずに告げる。
「いってらっしゃいのキスだよ」
爽やかな笑顔のダイに、ポップは口元を押さえて肩を震わせていた。たまにダイは、こういうことを恥ずかしげもなくしかける。何年一緒にいても、恥じらいを忘れないポップを見つめるために。
「……こ、この天然スケベ野郎っっ!」


風に乗って、魔法使いの塔から怒鳴り声と破壊音が聞こえてくる。
村の住人達は畑仕事をしながら「お二人は、今日も元気で仲良しさんだべな」と、いつもの会話をするのだった。