時はかげろう

マトリフの部屋には、いろいろな物が雑多に散らばっていた。魔道具、魔道書、ワイン、非常食、その他もろもろ。最近、寝込むことが多くなった老人の部屋を、ダイは片づけている。
「俺の面倒は、お前にみてもらうぜ、ダイ。本当ならバカ弟子にしてもらうんだが、いないモンはしょーがねぇ。お前で我慢してやる」
傲慢な物言いに苦笑しながら、ダイは頷いていた。マトリフは偏屈な老人だったが、ダイは彼が好きだったので。
片づける手をダイはふと止めた。意味の分からない書き付けや謎の地図に交じって、それはあった。古ぼけた画帳。表紙をめくると、中には懐かしい笑顔があった。
「マトリフさん…これ…」
ダイが示した画帳を、チラリとみるとマトリフはぶっきらぼうに答えた。
「俺の手慰みだよ。上手いもんだろ」
「…ポップですね」
「まあな。あいつは描きやすい奴だった」
素直でないマトリフの言葉を聞きながら、ダイは画帳を捲り続ける。そこにはいろいろなポップの姿が簡単な素描で描かれていた。どれも生き生きと表情豊かで、今にも語りかけてくるようだった。笑みを浮かべていたダイが、ある頁で動きをとめる。そこには、ポップとレオナの姿があった。
「これは…結婚式?」
「馬子にも衣装だろう」
自分が出席できなかった結婚式。ダイは、じっと二人をみつめていた。絵の中のポップはバンダナではなく金のサークレットを締めて、華美でない正装をしている。それは見たことのないポップの姿だった。かすかな痛みを覚えながら、つぎつぎと頁をくっていく。
それからの頁にはポップ以外の人物の素描も増えていた。それは小さな赤ん坊たちが、成長していく過程でもあった。
「ポルとベルですね」
「子守も兼ねて、ここによく来たからな」
マトリフの声もまた、懐かしむ響きをおびていた。弟子とその娘たちと岩屋で過ごした時間は、彼にとってもかけがえのない時間だったのだろう。それを現すかのように素描の筆致は柔らかく、愛情に溢れていた。口の悪いマトリフだったが、描く絵は正直だった。
ふと思いついたことを、ダイは何気なく口にする。
「……何だか、ポップって変わらないなぁ…」
するとマトリフは、くくっと笑い始める。どうして笑われるのか理解できないダイは、むっとしながら問いかけていた。
「何で笑うんですかっ」
マトリフはにやにやと笑いながら、面白そうに答える。
「もし、今、あいつが生きてても――その絵とさほど変わっちゃいないだろーよ」
だが、ダイは告げられた意味が理解できない。きょとんとなった表情に、マトリフは簡単な質問を投げる。
「ダイ、俺はいくつに見える?」
急に問われて、ダイは答えにつまる。うーんと考え始めたダイに溜息をつくと、更にマトリフは言った。
「聞き方を変えるか。バダックと俺と、どっちが老けてみえる?」
「バダックさんです」
今度の問いは答えやすかったから、ダイはすかさず答える。答えてから、あれ?と首をかしげてしまった。バダックは、もう枯れ木のような老人だったが(いまだ矍鑠としているが)マトリフは、たしかバダックよりも年上だったはずなのだ。思いついた疑問の答えを、マトリフは教えてくれた。
「魔法使いってヤツはな、魔力が高いほど老化が遅いもんなんだよ。あいつの魔力はずば抜けてたからな。20すぎの外見で老化が止まってたみたいだ。今のお前が隣にいたら、親子ほど年が離れていたとしても兄弟にしか見えなかっただろうな」
だから、絵の中のポップも老けていないらしい。説明に納得しながら、ダイは呟いていた。
「そうなんだ…だからレオナも、今も綺麗なのかな?」
「…女は魔法使いよりもすげー魔法を使うからな。化けるのはお手の物なのさ」
──パプニカ女王レオナは、現在も20代にみえるともっぱらの評判だった。


帰還から五年が過ぎていた。ダイはパプニカで17才になった。レオナがダイの親代わり…というのもおかしな感覚だったが、周囲はダイをパプニカの王族と同列だとみなしているようだった。いまだに馴れない感覚を、友人のバルトスに零したならば。バルトスは、大きな眼をさらに見開いていた。
「何で?お前、そのうちポルかベルのどっちかと結婚すんだろ?いずれ王族になるんだから、いーんじゃねーの?」
当たり前のように告げられた事実は、ダイにとって初耳なことだった。
「えええっ?そ、そーなの?!」
「…他人事みたいに驚くなよ。父さんも母さんも、そう思ってるみたいだし。陛下も、そうじゃないかな?」
バルトスは、何でもないことのようにすらすらと答える。本人よりも、なんだか状況に詳しいようだった。ダイは、初耳の事実に頭がぐるぐると大回転してしまっている。
「ポ、ポルやベルが困るんじゃ…」
「大丈夫だろ?あいつら、あれでも王族だし。当然、覚悟してると思うぜ。お前、わりと男前で性格もいいし」
ま、俺には負けるけどな、と続ける幼なじみを呆然とダイは見つめていた。それから、ようやく我にかえって叫んでいた。
「俺が困るよ!そんなの、全然、考えたこともなかったのに…!」
「……お前って、コドモだよなぁ…」
ふ、と大人ぶってこたえるバルトスの手には、しっかりと菓子が握られていたりするが。ダイはがっくりと肩を落としながら答えていた。
「バルにだけは、言われたくないよ」


とりあえず聞いたばかりの情報を確認しようと、ダイはレオナの部屋へ向かっていた。この時間なら…休憩時間だとおもったので。扉をノックしても答えはなかったが、扉に鍵はかかってなかった。首をかしげながら部屋に入れば、誰もいない。留守なのかな…と肩をおとしたとき、ふと鏡に視線が移った。それは大きな鏡だったが…どこか、以前と違うような気がした。不審におもって近づいたならば、微かに鏡がずれていた。鏡は、扉もかねていたのだ。
悪いとは思いつつも好奇心を抑えきれず、ダイは鏡の裏の部屋へと足を踏みいれていた。
その部屋は、隠し部屋のようだった。踏み込んだダイを迎えたのは、二枚の絵画だった。一枚はポップとレオナの結婚式の肖像画。もう一枚は、ポップ一人だけの絵だった。肖像画…という雰囲気ではない。日常の一場面を切り取ったような、それでいて静謐な絵だった。左手にある窓から光が差し込み、ポップは机に向かって天球儀に触れようとしている。どこか夢をみているような表情を浮かべて。色数こそ少ないが、光と影が画面を美しく彩り、引き込まれてしまう絵だった。描いたのは、二枚ともマトリフに違いない。本人は「手慰み」だといったが芸術に疎いダイでも、この絵が名画だとわかる美しい絵だった。
「あの人らしい絵でしょう?」
背後からかけられた声は、レオナだった。バツの悪い表情をみせながら、ダイは振り返る。
「うん…すごく。マトリフさんには、ポップはこんな風に見えてたんだね」
レオナは悪戯っ子を発見しても、咎めなかった。だから、ダイは訊ねることができた。
「こんなに綺麗な絵なのに、どうして飾らないの?」
「マトリフさんが生きてる間は隠しておくことを条件に、貰ったの。でも…ずっとここに置いておくと思うわ。私が生きている間は、きっと」
そう答えるレオナは、愛しそうに絵を見つめる。絵の中のポップは生き生きとしていて、今にも動き出しそうだった。王宮に、ポップの絵は他にない。ポップが絵を描かれるのを好まなかったからだという。さすがに師匠の要請はことわれなかったらしいが。絵画に切り取られた時間は、かつてレオナと共にあった時間だった。愛しくも切ない、過去の形見だった。
「本当は、ダイくんにも秘密にしたかったのよ?」
秘密をうちあけるレオナは、とても綺麗で…どこか寂しげに見えた。
申し訳なさに小さくなって、ダイはただあやまるしかない。
「ご、ごめんなさい」
「でもばれちゃったなら、しかたないけど」
「また来ても…いいかな?」
おそるおそる問いかけてみる。できればポップの絵を、何度でも見たいと願って。
レオナはあっさりと頷いていた。同時に、何処か人の悪い笑みを浮かべながら続ける。
「かまわないわ。でもなるべく人目につかないようにしてね」
「…どうして?」
首をかしげるダイは17才になって身体は成長しても、昔のまま部分をかなり引きずっている。純粋な疑問に、悪い大人のレオナは答えていた。
「レオナ女王は勇者ダイを愛人にしてる──なんて噂に信憑性を与えることはないでしょう」
「な、な、な、何、それ…っ!」
ぼん!と顔を真っ赤にそめて言葉につまるダイに、レオナは魅力的に笑みを浮かべる。
「ウワサよウワサ。下世話な部類に入るわね。自分の娘より若い愛人ていうのも、悪くはないと思うんだけど。ダイくんは、どう?」
「俺、俺は………」
「私は嫌ですからね。自分より年下の義父をもつのは、まっぴらごめんです」
レオナにずんずんと迫られて、ほとんど涙目になったダイを、別の声が救った。
戸口に呆れた表情を浮かべたポルガが立っていた。
「あら、ポル」
「マリンが探していましたよ、母上」
悪びれた様子のないレオナに、優秀な補佐役でもある娘が休憩時間の終わりを告げていた。
「もうそんな時間かしら。じゃあダイくん、ゆっくりしていってね」
軽やかに笑いながら手をふって、レオナは去っていく。残されたダイとポルの間には、微妙な沈黙が流れていた。ポルの視線に気づいたダイは、拳を握りしめて力説した。
「お、俺、レオナとは何にもなかったからっ!本当だよっ!」
「母上は、あなたをからかってるだけです。本気にしないで下さい」
ポルガは溜息をつきながら、呆れたように軽くかぶりをふっていた。
「あ、そ、そうだよね」
あは、あはは、と場をとりつくろうように笑いながら、ダイは本来の目的を思い出していた。
突然かもしれないけれど、どうしても聞かずにはいられなかった。
「───ポルは、俺と結婚したい?」
前触れのない、それこそ唐突な問いだったが。ポルガは取り乱さなかった。静かにダイの問いを受け止めると、静かに答えてくれた。
「正直にいえば、どちらでも構いません。あなたが求婚するなら受け入れますし、ベルを選んでも祝福します。別の誰かと結婚しても、同じように。どちらにしても、あなたは私たちの家族ですから」
「…何だかヘンな感じがする…」
上手く誤魔化されたような気がしても、ダイにはどうすることもできない。ただ解ったのは、そこに恋愛感情らしきものは存在しないということだった。
むー…っと考え込むダイを見ていたポルガは、ふと眉をひそめる。何かを思い出すかのように。そして、ポップの絵を見つめる。絵とダイをかわるがわる見比べながら、考え込んでいた。
気配の変わったポルに、心配そうにダイは問うた。
「どうかした?」
「……父さまは、変わりませんね」
絵の中のポップを見つめて、ポルガが言った。
「魔力の高い人は老化が遅いんだって、マトリフさんが…」
「あなたは変わりました」
ダイの言葉をさえぎったポルガの言葉に、ダイは眉をしかめる。
「成長したって、言ってよ」
だがポルガはダイの心境におかまいなしだった。
「そうして並んでいると、三つか四つしか違わないように見えます」
「俺とポップは三つ違いだったから…」
自分の言葉をダイはかみしめる。もし、あのときすぐに帰ってきたなら。
今の自分の側には、こんな風なポップがいたのかもしれない。
そう思うと、絵を見る目が感慨深くなる。だがポルガは、ダイの様子などお構いなしに、自分の思索にふけっているようだった。
「ダイ、あなたに親族はいませんでしたね?」
「う、うん」
「母方の親族もアルキードの滅亡と共におそらくないはず……」
続けざまの問いと、その後の沈黙。ダイは真剣にポルガが心配になっていた。
「ポル、大丈夫?」
しばらくポルガは答えなかった。押し黙ったまま、何かを懸命に考えている。
その様子に、ふとダイはマトリフの言葉を思い出していた。もし大魔道士に三代目がいるならば、それはポルガに違いない、という言葉を。
ようやく顔をあげたポルガの表情は、どこかひきつっていた。
だが告げられた言葉はダイの表情をひきつらせる。
「私は、あなたにそっくりな人物を見たことがあります。今の、あなたに」
「そ、それって、何時?!」
「10年前───父さまが、亡くなった夜です」