しあわせについて

「…思ってたより小さいんだ」
ダイをじーっと見つめた少年は失礼なことを口にした。そういう彼だって、ダイとさして変わらない背丈だったのだけれど。
「バル、そういう事は背が伸びてからいえ」
すぱーんといい音をたて、手にした書物でバル少年をなぐりとばしたのは、黒髪でポップにそっくりな少女――ポルだった。
「いたいよ、ポル!」
「痛いように殴ったんだから、当然だ」
表情を変えることなく、ポルはかみついてくる年下の少年をあっさりとあしらう。だが、あしらわれた方はムキになって叫んでいた。
「だって、ホントのことじゃん!俺、勇者さまにはすごく期待してたんだぞ!父さんよりも剣術に優れてて、母さんよりも力があって!アバン先生の弟子で、ラーハルトの主だって聞いてたんだから!」
「…どんな夢をみてたんだ、いったい」
叫びながらも、憧れるように目をキラキラさせる夢見る少年の姿に、ポルはどこか冷たい視線をなげていた。一方、傍らで聞いていた当人──ダイは困ったように笑うことしかできない。
「期待はずれで、ごめんね」
「勇者さま、あなたが謝る必要はない」
とりあえず謝罪を口にすれば、やはり平静な声でポルに告げられた。ダイは、前々から気になっていたことを口にすることにした。拒否されたならどうしよう、と内心どきどきしながら。
「あの…勇者さまじゃなくって、ダイって…呼んでもらえるかな?」
「………」
ポルは答えなかった。ただダイを見つめ返していた。彼女が何か口にするよりもはやく、バルが顔を輝かせて答えていた。
「そっか、ダイでいいのか!じゃあ、俺もバルって呼んでいいぜ!ポルやベルも、愛称でいいよな?!」
「もちろんですわ」
「――御自由に」
どこか突き放した物言いを敏感に感じたバルが、むーっとしながら指摘する。
「なんかカンジわりーぞ、ポル」
「気のせいだろう」
だが答えるポルは、態度を改める気はないようだった。
帰還してから、いろんなことがあったけれど、ダイは今、パプニカの城で暮らしていた。そしてダイの部屋には、三人の来客がある。少年と二人の少女だった。
少年は、バルトスという名前だった。ダイとほぼ同い年で、二人の王女の弟分だった。城に行儀見習いとして預けられている少年は大きな眼と、銀髪を持っていた。両親は、マアムとヒュンケルだった。父方の祖父の名を貰い、性格は母方の祖父にそっくりな少年は、すぐにダイとうち解けていた。
金髪の王女、ベルダは穏やかで控えめな性格だった。母であるレオナに生き写しであるだけに、ダイはどうしても奇妙な感覚を覚えてしまう。そして黒髪の王女――ポップにそっくりなポルガは、クールな性格だった。初対面のダイを殴り倒し問答無用でケリを入れた面影は、城内ではこれっぽっちも見当たらない。知的で冷静な行動に、やはりダイは慣れない。彼女もまたポップに似すぎていた。
大戦から、20年が過ぎた世界は平和だった。
大地は破壊から復興し、政治も安定していた。
マアムとヒュンケルは結婚して、12才のバルトスを始めとした1男4女の五人兄弟の親となっていた。武術師範や剣術師範として各国を飛び回る二人は、忙しい合間をぬってダイに会いに来てくれた。大人になった二人に抱きしめられるのは、不思議で気恥ずかしい気分だった。
同じく結婚したアバンとフローラの間には18才になる皇太子と、14才の弟王子があった。先日、ダイに会いに来た彼等はアバンの息子らしく気さくな人柄で好感をもった。
クロコダインに連れられてやってきたブラス、獣王遊撃隊の面々とも涙の再会をしたし、旅にでていたラーハルトとヒムの二人組みも、駆けつけてくれた。
勇者ダイの帰還が発表されたとき、世界中は喜びに沸き立ち、ダイをしる人々が次々に会いにきてくれたのだ。20年が過ぎても、みんな元気だった。ロモス王やテラン王も引退はしていたが、まだまだ健康だったし、不健康で最年長なマトリフでさえ憎まれっこ世に憚るの格言どおりかくしゃくとしていた。
ダイは、あの苦しい戦いをともに潜り抜けた人々に残らず再会した。みんなダイの帰還を喜んでくれた。本当に嬉しかった。
けれど一番会いたかった人には、会えなかった。
大魔道士ポップは、5年前に世を去っていた。

レオナに告げられたとき、ダイは後悔した。
どうして、もっと早く帰ってこなかったのかと。
声をたてず、ただぼろぼろと涙こぼしつづけるダイを、レオナはずっと抱きしめてくれた。雛鳥をまもる母親のように。
止められない涙を流しながら、ダイは問うていた。
「ポ、ポップは…怒ってた?」
「いいえ」
レオナはダイを見つめながら、ゆっくりと首をふった。ダイは信じたかったけれど、どうしても信じられなかった。耳の奥には、蹴り落としたときの罵声だけが残っていたから。それを思い出したくなくて、首をふりながら声をしぼりだす。
「でも、でも、俺をずっと待っててくれたのに…」
「ええ。いつもいつも待ってたわ」
「俺を…恨んでた…?」
おそるおそる問いかければ、レオナは穏やかに微笑む。大人が子供を安心させる笑みだった。
「まさか!あの人は、あなたを大切に想ってたの。恨んでなんて、いなかったわ。ただ、待てなくてすまないって。あなたに謝りたがってた」
「謝るのは、俺のほうだ…!」
とめられない涙でぐしゃぐしゃになりながら、ダイは聞いた。聞かずにはいられなかった。
「レオナ、レオナ…教えて。ポップは、幸せだった?」
「あの人は、私をとても幸せにしてくれたわ。だから、私と同じくらいにあの人も幸せだったって…信じてるわ」
答えたレオナは、とても綺麗だった。
ポップの死因は魔技熱という、不治の病だった。
周りに心配をかけないよう隠しながら、闘病生活の果てに逝ってしまったのだという。

霊廟に、ダイは行けなかった。行きたくなかったから。
ポップが生前使っていた部屋のテラスからは、自分の剣が突き刺さっていた岬がよく見えた。ここで、彼はずっと待っていたのだろうか。
あの岬に、自分が現れる日を。
テラスにいたダイの背後から、誰かが近づいていた。
「…何が本当の幸せなのか、それは本人にしかわからない」
「ポル」
静かな声にふりむけば、そこにはポルがたっていた。冷静な仮面を脱ぎ捨てた顔には、怒りがあった。
「あなたについて語る父様は、心から幸せそうだった。けれど同じくらい悲しそうだった。私は、あなたを許せない」
「………」
糾弾されて、ダイは押し黙る。
ポルは、なおも続けていた。
「どうして、父様を蹴り落した?どうして、連れていかなかった?私は、あんな…あんな顔の父様を、見たくはなかった…!」
自分の父親が、ポルは大好きだった。
けれど、このテラスから外をみつめる父親は、嫌いだった。
遠い空を見上げる視線には、悲しさと寂しさと愛しさがない交ぜになった深い思いが込められていた。他の誰にも向けることのない、秘められた想いの先にいるのは、もういない大切な存在。母もまた、同じ想いを共有していたから、何も言わなかった。
けれど、自分は。自分と妹は。
何もできない無力さを、かみ締めることしかできなかった。妻も娘も友人も、その存在の代わりになれなかった。
だから――せめて祈っていた。
どうか、思われ人が還ってきますように、と。
「もっと早く、還ってきてくれればよかったのに…っ!」
悲鳴のような叫びは、ダイを傷つけた。
それは、ダイが望んだ傷だった。
優しい歓迎よりも、帰還の遅さを詰られたかった。できることなら、親友に。もう、二度と叶わないことだったけれど。
傷の痛みに耐えながらも、ダイは思い知る。
愛されていたのだと。
いなくなってしまった彼は、愛されたがりだった彼は、きっと幸せだったと思う。こんなにも愛されていたことに、気付かないはずはない。自分に向けられる愛情には、少し鈍感だったけれど。この想いは、知っていたに違いない。彼もまた、彼女たちを同じくらいに愛していたに違いないから。
そしてダイに傷つけられながらも、彼女らはダイを迎えてくれた。
おかえりなさい、と。

取り返しのつかない喪失と痛みを抱いてなお、ダイは幸せを感じていた。いなくなった彼の愛した世界と、愛した人々は、ダイに優しかった。彼を思い出させる全ては、ダイを優しく包み込んでくれた。
喪失を嘆き、悲鳴を上げつづける心の痛みは、決して癒されない。それでも世界は、回りつづけていく。痛みも傷痕も、確かに存在した幸せのかたちだった。
決して忘れられることも、失われることも、なかった。