Tea with the DRAGON

「もう大丈夫。しばらくすれば、ポップくんは目を覚ますわ」
レオナが確信に満ちた声でつげた。声に頷きながらも、ダイはポップから目をそらさなかった。食い入るように、じっと寝台に横たわる姿を見つめていた。地面に倒れていたときとは異なり、胸は規則正しく、ゆっくりと上下している。それは紛れもなくポップが生きているという確実な証拠だった。
「もう安心だから。ダイくん、あなたも少し休まなくちゃだめよ」
「うん…でも、オレ、もう少しだけここにいたいんだ。レオナ、先にヒュンケルとクロコダインを頼むよ。二人とも、オレよりやられてるから…メルルがきっと苦労してるよ」
言葉はレオナに向けられていたが、視線は相変わらずポップに固定されたままだった。ゆっくりと頷くと、レオナは席を立つ。
「そうね。メルルを手伝ってくるわ。ポップくんが目を覚ましたら、知らせてね」
「うん…」
心ここにあらずのダイの背中に、慰めるような小さな笑みを零すと、レオナは静かに扉を閉めた。
遺されたダイは、ただじっとポップをみていた。
「早く起きろよ、ポップ。オレ、バンダナ返さなきゃならないんだから。それに、話したいことがたくさんあるんだ…」
謝らなければならないこと。
感謝しなければならないこと。
自分たちがバランを退けたこと。
それから、それから───…。
ダイの瞳に映るポップの姿が、だんだん滲んでぼやけてくる。あれ、と思った時には遅かった。後から後から溢れてくる涙の止め方を、まだ十二年しか生きていないダイが知るはずもない。嬉しいのか、哀しいのか、それとも悔しいのか。ダイ自身にもよくわからない感情の高ぶりが、涙という形をとって溢れてくる。
「…ポップ、ポップ、俺たち、ずっと一緒だよね。ずっと、ずっと友達だよね。ポップ……はやく、おきろよぉ……」
寝台に眠るポップの傍らに腰掛けて。穏やかな寝顔を、涙でくしゃくしゃになりながら見つめる。
この世界に、たった一人しかいない、かけがえのない存在。ダイにはわかっていた。
たとえ世界が自分を否定しても。裏切ったとしても。彼だけは、自分を信じて傍らにいてくれる。
故郷の島を旅立ったときに、結ばれた掌。あれは、約束だったのだ。
ずっと一緒にいる、という。
いろいろと紆余曲折はあったにせよ、約束は果たされているし、これからも守られていくに違いない。
ダイがダイで、ポップがポップであるかぎり。
そこまで考えたとき、暗い思いが脳裏を横切った。
ポップが、ポップであるかぎり───では、ポップがポップがなくなったなら、彼は自分を忘れてしまうのだろうか。ダイが記憶を消されて、ディーノとなった時のように。
そんなのは、嫌だ。
絶対に、認められない。
自分は、もう二度と忘れたりしないから。姿形が変わり、名前が変わり、存在そのものが変わってしまったとしても。魂の奥底に、刻みつけておくから。だから──自分のことを、忘れないでほしい。
我が侭だと、わかっていた。でも、それでも、願わずにはいられない。
「ポップ…」
つぶやいた瞬間。
光を見たような気がした。竜の紋章が、光を放ったような。


「あ…あれ…?」
瞬きをする間に、周囲の風景は変わっていた。さっきまで、確かに山小屋にいたはずなのに。今、自分があるのは神殿のようだった。広い部屋と、白い月長石の床。そこには精緻な文様がびっしりと描かれている。
ここは一体、どこなのか。さっきまで腰掛けていた寝台もなければ、眠っていたポップの存在もない。夢でもみているのかと、恐慌状態に陥りそうな心を何とか落ち着かせる。少なくとも、辺りに敵意はなく、神聖で清浄な空気があった。
「……ダイ?お前、ダイか」
呼ばれた声に振り向いた先に、一人の男がいた。
年の頃は解らない。翡翠色のローブを深くかぶっているため、顔が見えない。だが、声に老いは感じられなかった。アバン先生と同じくらいなのかなぁ、と漠然と思った。
「本当に、ダイだな…」
音もなく近づいた男の手が、ダイに差し伸べられたとき。思わず身を引いていた。敵意を感じたからではなく、全く正反対の理由のために。理由を、ダイは一生懸命考えていた。
初めて見る男だった。でも、ダイは彼を知っていた。何故だか、確信があった。
男は、気を悪くした様子もなく待っている。わずかに優しい波動を発しながら、辛抱強くダイを待っている。
閃くものがあった。
でも、と思った。だけど、と考える。
ダイには、一人の名前しか思い当たらなかった。
「……ポップ…?」
おそるおそる問いかければ、答えがかえる。
「久しぶり……っても、俺のほうだけか」
翡翠色のローブの下から、照れた笑顔が現れる。確かに大人の顔をしていたけれど、それは紛れもなく親友の笑顔だった。
「ポップ…!」
ダイは疑いもなく、真っ直ぐにポップにしがみついていた。
「おいおい、子供じゃあるまいし…って、今のお前は子供だっけ」
「ポップ、ポップ、何で大人になってるんだ?さっきまで山小屋で寝てたのに!そんでもって、ここは何処?!」
矢継ぎ早に問いかけてくるダイの髪を、大人になったポップがぐしゃぐしゃと乱暴にかき回す。掌の暖かさは、少年のポップと同じだった。
「お前…たぶん、暴走したんだな」
ゆっくりと告げられた言葉に、ダイは目をぱちくりとさせた。
「足下に、魔法陣があるだろ?ここは召喚の間なんだ。ダイ、お前は無意識に紋章パワーに引きずられたんだと思う。ここは竜の騎士に馴染みが深いトコロだからな。俺に逢いたいとか、強く願ってくれたんだろ?その願いと紋章が、共鳴でもしたんだろう。お前の力は、時空を越えるほど強力だからな」
正直、ダイにはポップの言葉の半分も理解できなかった。それでもゆっくりと諭すように語りかけてくれる声を聞いているだけで、心が癒されていくのを感じた。
ダイはあらためて大人になったポップの顔を見上げた。
いくつくらいなのか、見当がつかない若々しい顔。でも瞳を見つめると、不思議な思いに捕らわれる。愛しそうに自分をみつめてくれるポップの瞳には、老人の闇と子供の光が同居していて、透明度の高い深い湖を覗きこんでいる気分になった。
ダイは、思ったことをそのまま口にした。
「ありがとう」
「突然、どうしたんだ?」
「ポップは、大人になっても俺のこと忘れないでくれたんだね。俺、俺、不安だったんだ。時がたって、もしもポップが俺のこと忘れちゃったら、どうしようって……」
そのまま、うつむいたダイの背中に、ポップの掌がやさしく触れた。
「忘れやしないさ。お前だって、そうだろ?誰よりも大切な親友を、どうやったら忘れられるって?」
顔をあげたダイの視線の先に、ポップの笑顔があった。
どこか悪戯っぽい、少年のままの。
「俺、絶対、ポップのこと、忘れないよ」
はっきりと誓うように口にしたダイに、ポップは満足そうだった。
「そんじゃ、元の場所に戻してやるからな」
「すごい…そんな事もできるんだ!」
目を輝かすダイの前で、ポップはふふんと胸を張っていた。
「俺が何年生きてるとおもってるんだ。それくらい、ちょろいもんさ」
──目の前のポップは、いくつなんだろう?ダイが首をひねるよりも早く、ダイの身体は光につつまれる。
「うわ…!は、早いよ…!」
「何事も迅速が肝心だ。ダイ、お前は負けない。俺が保証してやるよ」
大人のポップの声は、どんどんと遠ざかって小さくなっていく。
「…小さなダイ。これは夢だ。お前が見た、一夜の夢。目が覚めたら、お前は何も覚えちゃいない──1つを除いて。俺は、お前を決して忘れない。約束だ。だから、安心して眠れ……」
かすかな声はダイを安堵させた。そして眠りの淵へと誘っていた。


「おい」
「…う…ん…」
「おい、ダイ」
「…むにゃ…」
「ダイ、起きろよ!」
「あ…おはよう、ポップ…」
寝台に半身をおこしたポップが、ダイをみていた。どうやらダイは寝台に突っ伏して眠っていたらしい。
「まったく…もう、日がくれるぞ」
「あ…そんな時間なんだ…」
いまだに頭が半分以上寝ているダイは、ポップに言葉を半分以上も理解していな。それに気づくと、ポップは大げさな溜息をついていた。
「せっかくの奇跡の生還なんだぜ?少しくらいは感動してくれよ」
拗ねたように口をとがらせるポップを、ダイは改めてみつめた。
「ポップ…ポップ!?」
「そーだよ」
完全に目を覚ましたダイは、ふて腐れているポップを見つめた。
「ポップ!」
「うわっ!」
ダイは、ポップに思いっきりしがみついていた。
「ポップ、ポップ、起きたんだね、生きてるんだね、ポップ!」
遠慮のまったくないダイの馬鹿力に、ぎゅーっと抱きしめられたポップは、思わず叫んでいた。
「こ、こらぁ!くるしーんだよ!もっぺん俺を殺す気か──っ!ぐえっ」
ポップの悲鳴が感動しているダイに聞こえるには……しばしの時間が必要だった。



翡翠色のローブをゆらしながら、男は立っていた。魔法陣に消えた、懐かしい親友を思いながら。
ずいぶんと長いこと、彼は生きていた。
魔法使いは、概して長命だ。魔法に深く関与すればするほど、老化が緩やかになるために。加えて彼は、竜の騎士から血を分け与えられた人間でもあった。
時は、彼の傍らを知らぬ顔で流れていった。
今は一人、深い山脈の奥にある魔法神殿に暮らす。大魔道士の伝説とともに。
親から貰った名は、すでに役目を終えた。
現在の彼をしるものは、世界で五指にみたない。
時がうつろうように、全てのものは変わっていく。国も、街も、人も、世界も。彼もまた、ゆっくりとはいえ確実に、姿も名前も、存在すらも変わってしまった。
それでも。
変わらないものも、ある。
誰もいないはずの神殿に、人影が現れていた。影は、迷うことなく歩をすすめ、召喚の間の扉をひらく。
その音に、翡翠色のローブは振り向いていた。
「今、”俺”が来てただろ?」
そこには、すらりと背が高い人影があった。


ずっと、忘れない。
それは、大切な約束。