花一杯に君を待つ

泰王が玉座を取り戻してから、十数年が過ぎていた。かつては寒さと妖魔に襲われ、荒れていた国土もようやく回復の兆しをみせている。おりしも季節は夏。戴において最も美しい季節だった。全てがいっせいに輝き始めている。
朝市は、回数を重ねる毎に賑わいを重ねていた。季節のせいもあるのかもしれないが、国土や政治が安定したことが一番の要因なのだろう。道行く民人には笑顔が絶えず、彼らに紛れて歩く旅人の表情もまた、つられたように明るかった。
伸ばした黒髪を軽く結び、身なりの良い旅装をまとった若い旅人は市場の片隅で足を止めた。
花を商う店だった。人の心に余裕ができれば、花を愛でる気分にもなる。そこそこ繁盛する店は、戴の国状を現しているように思えた。
色とりどりの切り花もあれば、可愛らしい鉢植えや苗も揃っている。夏白菊、秋明菊、万寿菊、夕霧草、早百合、山百合…名前も知らない花々の群れ。足を止めて熱心に眺める青年に気付いたのか、女主人が愛想良く彼に話しかけていた。
「お兄さん、良い人に贈り物かい?」
かけられた声に顔をあげた青年は、少しだけ困ったような笑みを浮かべていた。
「…そうですね。でも沢山あって、何にすればいいか迷ってるんです」
「迷ってるなら、これがオススメだよ!」
そう彼女がしめしたのは、売り場の真ん中にある目玉商品だった。白、青、紫、桃、赤。様々な色はどれも淡い印象があり、ふわふわと広がる花弁には透明感がある。華やかでいて、可憐な花は人気らしく道行く人々は足をとめて、思い思いにその花を購入していた。だが青年は、その花を見て首をかしげる。
「それは…豆の花に見えるんだけど…」
不思議そうな青年に、女主人はからからと笑った。
「旅の人は、情緒がたりないね。豆の花でも、綺麗なものは綺麗だろう?それに、この花は優しい花なんだよ。この花を貰うと、優しい気持ちになれるのさ」
しみじみと呟いた女主人は、その花にまつわる話を旅の青年に語るのだった。

これはね、もともとは慶東国の花なんだ。かの美しい景女王が、慶の北部の民の為に路木に願って授かった豆の花さ。花も綺麗だけど、豆も美味しいんだよ。実が大きくてぽくぽくとしてて。煮豆に良いし小豆のかわりにもなる。完熟する前ならサヤごと食べられるしね。ほら向かいでも売ってるだろう?あれは塩ゆでにすると美味いんだ。戴では年に一度しか収穫できないけれど、慶の方では年に二度収穫できるそうだよ。景女王は、良いものを願ってくださった。
武断の方とも伺うけど、景女王は、本当はこの花みたいにお優しい方なんだと思うよ。あの荒廃のいちじるしい折に、あの方は真っ先に戴に手を差し伸べてくださった───そう、そのお礼にね、国が落ち着いた頃、台輔が鴻慈を持って行かれたのさ。慶も当時はまだ貧しくて、炭に難儀していたらしい。その時に台輔は、あの豆の花を御覧になって「戴に持ち帰りたい」と願われたそうだ……表向きはね。本当のところ、台輔が持ち帰りたかったのは金波宮に咲く至尊の華だったとか。でもそれは、叶わぬ願いだよね。いくらお二人が胎果のお生まれで、似合いの一対だったとしても、こればっかりはどうしようもない。叶わぬ想いのかわりに台輔はこの花を求められ、景女王は真心をこめたこの花を台輔に贈ったということだ。そうして贈られたこの花は、戴に根付いて恵みを私たちに与えてくれてるんだよ。
悲恋の花だって?私はそうは思わないね。何しろ始まっていないものには終わりもないだろう?ただ相手を思いやって見つめあう想いは、とても綺麗で優しいものだと思うよ。この花みたいにね。だから、良い人にはこの花を贈るといい。きっとあんたの優しい想いは相手に届いて、相手の心に根付くに違いない。

結局、旅の青年は女主人から花束を購入していた。うかうかと口車に乗せられた感もあったが、つい聞いてしまう、よくできた話だったから、悪い気はしない。花束をもった青年は、ふと女主人にたずねていた。
「この花は、何て呼べばいいのかな?」
「おや、まだ教えてなかったかね。慶の方では花も実も纏めて花豆と呼ぶそうだが、戴では豆だけが花豆で、花の方には別の名前があるんだよ」
女主人は、青年の持つ赤い花を見ながら口にする。それを聞いた青年は、とても嬉しそうに微笑んでいた。
花束をもった青年は店を辞し、朝市をなおもゆっくりと歩んでいく。やがて市の外れ、屋台が店を構えている辺りにでる。夏とはいえ、早朝は肌寒い折もある戴のこと、朝餉用として店をだす屋台にならぶ料理は湯気を放っていた。その一つ、今まさに饅頭が蒸し上がった屋台の前に、赤い髪をくくった少年が翠の目をきらめかせて立っている。熱々の饅頭をうけとって顔を綻ばせている姿は、伝聞にきく麗しい姿とは縁遠いものだった。
青年に気付いた少年が、笑顔で駆け寄ってくる。
「高里くん!おまけして貰ったよv」
「よかったですね、中嶋さん」
饅頭の袋を両手でもっているのは少年姿の少女───現在、戴にお忍びで来訪中の景女王。そして彼女を迎えた黒髪の青年は、泰麒だった。
「あれ、その花は…」
泰麒のもつ花に、すぐに陽子は気付く。何と言っても、自分が願ったものを見間違うわけもない。
「戴でも、切り花にするんだね」
「慶でも?」
「うん。南では観賞用に栽培してる。花豆は有る程度涼しくないと実をつけないから。そっか、戴でも飾るんだ。何だか嬉しいな」
どこか照れたように笑う陽子は、戴でされるこの花の物語を知らないらしい。知っていたら、真っ赤になっているに違いない。
「インゲンを願うつもりだったのに、何だかスナップエンドウやらスイートピーやら、いろいろ混ざっちゃったんだよね。派手な花が咲いたときは、どうしようかと思ったけど……こうしてみると結果オーライかな」
しみじみと花を見つめる相手から饅頭の袋をうけとり、かわりに泰麒は花束を渡した。
「景女王のように優しい花ということで、愛されてるようですよ」
「うわー…何だか照れるけど。スイートピーは好きな花だから、嬉しいかも」受けとった花束をかかえて、陽子は微笑む。まさしく花のようだった。
「この花の、戴での呼び名を教えてもらいました」
「こっちでは、花豆じゃないんだ」
「はい。豆だけが、花豆。花は、相聞連理草と呼ばれているとか」
相聞とは、消息を通じて問い交わすことで、主として男女の想いを交わすことをさす。連理とは、小葉が仲良く向き合って対になっているところからきているのだろう。こちらも男女の仲の親密な意が込められているに違いない。
「この花は、良い人に贈る花だそうです」
真っ直ぐに告げられて、陽子は頬を染めていた。
可愛らしい反応に、泰麒の笑みは深くなる。
民の噂は無責任なものだが、事実無根でもない。
確かに、まだ自分たちは始まってもいないのだ。
この花が、戴や慶に一杯に咲き誇る頃に。
自分たちは、始まるのかも知れない。
相聞連理草の名にふさわしく。



※高里くんと中嶋さんでした。この二人、好きだなぁ。最初にでてきた花は、原産地無視してます。はは。そのくせインゲンは南米産だから十二国には無かったとかいう設定を勝手に作ったりして。もうご都合主義全開です。ただスイートピーを十二国に持ち込みたかっただけです。あとスイートピーはホントは麝香連理草です。麝香にちよっと引っかかったんで、勝手に相聞連理草というのをでっちあげたのでした。