秘密の花園

太師邸の庭で、桂桂が白い綿毛を飛ばして遊んでいた。手にした植物をみて、陽子は懐かしそうに口にする。
「へぇ…タンポポじゃないか」
だが桂桂は、不思議そうに陽子を見上げた。
「?違うよ、これはホコウエイだよ?」
「ホコウエイ?」
そう言われると、今度は陽子が首をかしげた。傍らで二人のやりとりをみていた遠甫は、にっこり笑うと落ちていた小石で、地面に文字を書いてみせる。
「こういう文字を書くんじゃよ」
蒲公英。
書かれた文字には、陽子も見覚えがあった。
「そういえば、こんな漢字だった気がする…」
納得したように呟くと、遠甫が興味深そうに訊ねる。
「蓬莱は文字と音が違うのかね?」
「違う場合も多いです。当て字というか…」
適切な答えを求めて言いよどんでいた陽子は、ふとあることを思い出していた。
「そうか、タンポポがあるのか」
ひとつ頷くと、陽子はきょろきょろと辺りを見渡す。
「陽子…なにしてるの?」
だが桂桂の問いに答えることなく、陽子は目的のもの──蒲公英を発見する。そして、振り向いて遠甫をみた。
「遠甫、こちらでもこの草は食べれますか?」
「うむ。葉は食用で、根は薬用じゃな」
突然の問いに動じることなく、遠甫は答える。次の陽子の行動を楽しみにしているかのように。
「よし!桂桂、根を掘り出して帰るぞ!」
嬉々として告げる陽子に、桂桂は心配そうに告げた。
「…今度は、何を作る気なの?」
「後のお楽しみだ♪」
桂桂と陽子は、庭をかけずりまわって蒲公英の根を掘り出した。
「いっぱいとれたね!」
喜ぶ桂桂を余所に、遠甫と陽子は次の段階の相談をする。
「次は水洗いじゃな」
「大師邸をお借りできますか?」
「構わんよ。水遊びには、ちと早いかもしれんがの」
ほっほっほ、と笑う遠甫の声を背景に、二人は井戸端に突撃するのだった。

その夜、陽子は鈴にこっぴどく怒られていた。
「陽子、いったい何をしたのっ!」
「えっと、まあ、いろいろ…」
「もう子供みたいに泥遊びでもしたんじゃないでしょうね?」
ドロドロになった服を脱がせながら言われると、明後日の方向をみるしかない。
「いや、さすがにそこまでは…」
「桂桂、大喜びしてたみたいだけど?」
何もかもお見通しの鈴に、陽子は苦笑を返すしかなかった。
「ははは…まあ、そのうち分かるよ」
それでも、楽しそうな陽子の姿に鈴もまた微笑むしかないのだ。

それからしばらくたって。
大師邸で、陽子と遠甫はからからに乾いた物体を検分していた。
「もう大丈夫でしょうか?」
神妙な顔つきで陽子がたずねれば、遠甫が頷く。
「うむ、充分乾いておるようじゃ。それで、これをどうするのかね?」
それは良く洗った蒲公英の根を細かく切って、乾燥させたものだった。笊のなかのそれをゆらしながら、陽子は次の工程を告げた。
「とりあえず、炒ります」
「ほほう」
ふむふむと頷く遠甫は、好奇心で一杯のようだった。
大師邸の庭に、虎嘯が簡易竈をこしらえて、どこからか調達してきた銅板をしく。その上で、陽子は乾燥した蒲公英の根を炒った。
じっくりと炒っていくと、香りがたちはじめる。すると興味津々な桂桂は嬉しそうに声を上げた。
「わあ、好い匂い!」
「香ばしいな」
虎嘯も後ろからのぞき込みながら、頷いている。
「…こんなものかな?ホントはもっと粒が細かいほうが良いんだけど…ミルはないしなぁ…」
陽子は根の色あいが変わると、火を消した。そして蒲公英の根をみつめて考えこむ。できるかぎりみじん切りにしたものの、やっぱり粒は大きい。
「これは、茶の一種かね?」
「みたいなものです。本当はもっと粒をこまかくして、お湯を注ぐんですが…どうしたらいいかな」
考え込む陽子に、遠甫が助け船をだした。
「薬のように、薬缶で煮出してみてはどうかの」
「そうですね。その方が濃くでるかも」
というわけで蒲公英の根を蒸らして、薬缶で煮出してみる。湯飲みに注がれた液体は、陽子の記憶の中にあるものに酷似していた。
注がれた湯飲みをもちあげて、桂桂が不安そうに口にする。
「…陽子、何だか黒いよ?」
「そういう飲み物なんだ」
桂桂の反応に苦笑しながら陽子は答える。同じように湯飲みを手にした虎嘯は、桂桂ほど不安そうではない。
「香りは悪くないぞ」
虎嘯がそういうと、桂桂は少しだけ湯飲みの中のものを呑んでみた。そして、泣きそうな声をあげた。
「うぇ〜苦いよ、これ!」
「苦さを楽しむものなんだって。でも、ちょっと薄いかな?アメリカンっぽいな」
笑いながら陽子は言った。自分も手の中の湯飲みを傾けながら、どこか懐かしい味を楽しんでいた。
「蓬莱では、もっと濃いのかね?」
「本来は、コーヒー豆という豆を焙煎して粉にしたものを濾して飲む物なんです。でもコーヒー豆は蓬莱には自生してなくて。輸入ができなくなったときに、タンポポの根を代用していたと聞きました」
遠甫の問いに、陽子は答える。そして、あらためて手の中の黒い液体を見つめた。
「コーヒーは、嗜好品ですね」
陽子の呟きに、虎嘯はにやりと笑った。
「この苦さが癖になりそうってのはわかるぞ」
「わかんないよ…」
桂桂は、相変わらず顔をしかめたまま呟く。
手にした湯飲みを干しながら、遠甫は悠然と答えていた。
「苦みは、大人の味じゃからの」

「これがウワサの<こうひい>とやらですか?」
目の前に置かれた茶杯の中の、黒い液体をしげしげと浩瀚はみつめた。めずらしい姿に、陽子は機嫌良く答えていた。
「ちょっぴり薄い代用品だけどね。タンポポの根を使ったから、タンポポ・コーヒーかなぁ」
「タ…?」
聞き慣れない音に浩瀚は首をかしげる。あわてて、陽子は言い添えていた。
「ああ、こちらではホコウエイって呼ぶんだっけ」
「蒲公英の根ですか」
納得したのか、浩瀚は優雅な動作で茶杯をとりあげていた。
「…苦いですね」
正直な感想に、陽子は微笑む。浩瀚が、皆と同じ感想を口にするのが、何となく嬉しかったのだ。
「虎嘯や遠甫は悪くないって言ってたぞ。桂桂にはストレートは不評だったけど、砂糖と牛乳をたっぷり入れたら大好きだって。鈴や景麒もその方が美味しいらしい。浩瀚も、そうするか?」
「いえ、私はこのままで」
からかうように口にすると、澄ました顔で答えるのだった。
茶杯を皿に戻すと、浩瀚は言った。
「──蓬莱では蒲公英のことを、タンポンと呼ぶのですか?」
「…っ!!」
予期せぬ衝撃に、陽子は飲みかけのコーヒーに噎せた。
「主上っ!?」
げほっごほっと咳をする陽子を浩瀚は気遣うが、それどころではない。先ほど耳にした単語は、本当に目の前の怜悧な男が口にしたのだろうか?
「こ、浩瀚、今、お前、何…て…」
気管をぜいぜい言わせながら、問いかけると。
「?蒲公英のことを、タンポ…」
「わ────っ!」
不思議そうに、再び例の単語がくり返される前に…思わず陽子は叫んでいた。正直、何度も繰り返してほしい単語ではない。おかしな単語ではない。それは解っている。でも、やっぱり、嫌なモノは、嫌だった。陽子にだって、一応、乙女の恥じらいがあるのだ…!
ぜーはーと息を整えると、真剣な顔で浩瀚を見る。
そして、ゆっくりと発音を明確にして、言った。
「浩瀚、いいか、よく聞いてくれ。タ・ン・ポ・ポ。タンポポだ!蒲公英は、タンポポだぞっ!」
「はい。わかりました」
「よし!もう二度と間違えるなよ…!」
ほとんど迫力で浩瀚に是といわすと、陽子は、はあっ…と大きく息をはいていた。
その姿を静かにみつめて、あらためて浩瀚は口にする。
「…主上、お聞きしてもよろしいですか?」
「お前が口にした単語への説明は拒否する。勅命でも何でも使うからな」
「………」
だが陽子にとりつく島はなく。浩瀚はただ、沈黙するしかなかった。

<おまけ>
それは泰麒が金波宮で静養していた、ある日のできごと。
「泰台補、蓬莱のことでひとつ、お伺いしたいのですが」
「僕にわかることでしたら」
見舞いにきた浩瀚の問われて、泰麒は頷いていた。
「蓬莱では蒲公英のことを、タンポポと呼ぶそうですね?」
「はい。このコーヒーは、タンポポ・コーヒーだそうですね」
泰麒の手の中の茶杯には、懐かしい味の飲み物がある。これを作ってしまった陽子の心情を思うと、なんだか微笑ましい気分になった。そんな機嫌のよい泰麒は、浩瀚の不意打ちを全く予想していなかった。
「それと似た音の単語で…タンポンの意味をご存知ですか?」
「…っ!!」
はからずしも、かつての陽子のように泰麒は噎せた。
「大丈夫ですか?!」
気遣う浩瀚に、大丈夫だと身振りでしめしながら泰麒は、ものすごく困っていた。
「だ、大丈夫、です…あの、浩瀚殿は、中嶋さん…景王には、聞かれましたか?」
「…主上は勅命でもって、説明を拒否されました」
「………」
泰麒は遠い目をした。泰麒とて保健体育はならったし、向こうの常識のひとつとして知識はある。だが人が木になるこの世界で、どうやってそれを説明すればいいのだろう…?


※仙には自動翻訳システムがあるから、こんな事はおこるまいと思いつつ。下品でスイマセン…orz。たぶん浩瀚は、そっち系なんだろーなと想像はついてると思います。事実は浩瀚の想像を絶すると思いますが。タンポンは英語で、意味は止血栓。そのまんまですな。
ちなみにタンポポの語源はいろいろありますが、自分は鼓草(ツヅミグサ)→鼓の音がタン、ポポポ…と聞こえるため、タンポポに転化、というのが好きです。ただ鼓は和製楽器なため、常世にあるか疑問なので、蒲公英としました。素直に乳草でも良かったんですが、下品なネタを思いついてしまったので…つい。