御題百選七拾六〜壱百


[ 076.娯楽といえば ]



[ 077.失道 ]

あなたが失道するときは、彼らもまた道を失うでしょう。




[ 078.茶の席 ]



[ 079.ばかみたい ]

「例えば、和州の乱が起こらなかったら。今も、朝廷は靖共のものだったかの」
ぼんやりと呟く遠甫に、手の中の薄い磁器の茶の香りと熱を楽しみながら浩瀚は答えた。
「少なくとも、私は冢宰ではなかったでしょう。岑将軍は、どう思われる?」
ふと話をふってみたのは、自分たちの警護担当である禁軍中将軍が、大あくびを連発していたからだ。四阿の柱にもたれ、だらーっとした雰囲気を纏った男は、自分の髭を掻きながら返事をする。
「そうですねぇ。あれ以上、靖共がのさばるようだったならば、主上が御遊学に行かれている間に金波宮に血の雨が降ったと思いますねぇ」
去邴がしれっと口にした、とんでもない答えに浩瀚は茶を楽しむのを止め、遠甫もまた片眉を上げた。
「それは穏やかでない。だがあの当時、靖共は朝廷を掌握していたと思うが」
静かな浩瀚の声に、相変わらず去邴は生あくびをしながら答えていた。
「朝廷の官吏を、ね。本人は、将軍を手に入れて王師も把握した気分だったでしょうが」
「実際、瑛州師を止め、禁軍を出せるほどに影響力をもっていただろう」
事実に即した指摘をうけると、去邴の目に面白そうな光が宿る。
「少なくとも、瑛州師一師二千五百は誰が自分たちの主か知っていましたよ」
ククッ、と小さく去邴は笑い、言葉を続けた。
「全く警戒していない王宮に、統制のとれた兵が二千五百踏み込んできたなら、どうなったと思いますか?」
当時、一師を完璧に動かせた人間を、浩瀚は一人しかしらない。彼が咬んでいたのなら、また別の一人にも話は通っていたに違いない。溜息と一緒に、言葉もこぼれていた。
「王宮に、そうそう入り込めるものではあるまい」
「当然、内側に内通者がいるんですよ」
楽しそうに去邴は口にする。
「岑将軍は、あの当時、何処に配属されておられた?」
浩瀚の鋭い視線をうけとめて、去邴はますます口元を歪めた。
「しがない門番でしたね」
あっけらかんとした答えに、軽く頭を振りつつ浩瀚はなおも問いかける。
「踏み込んだ一師の目的は?」
「六官と高級官僚の粛正でしょう」
「乱戦となれば、取り逃がすこともあり得るだろう」
「六人くらい、乱戦前にかたづけられます。大掃除が終わった後、主上にお戻りいただくということで」
去邴は立て板に水のように答え続ける。内容の危険さは百も承知なのだろうに、答えには澱みも迷いもなかった。
「はたして主上が納得されたかのぅ」
「納得されなくとも、死人は口をききません」
呆れた風な遠甫の言葉さえ、気にかける様子はない。物騒さとは裏腹な気軽な物言いに、どこか疲れを覚えながらも、浩瀚は問わずにはいられなかった。
「掃除が終わり風通しのよくなった朝廷を、どうする気だった?」
「冢宰は、台輔兼任で。当座の間、靖共の代わり程度なら何とかなるもんです」
「それだけでは、間に合わぬ」
もっともな指摘に、去邴は声をあげて笑った。悪戯を成功させた悪ガキのように。笑顔を納めると、挑戦的な視線で浩瀚と遠甫を見つめた。
「例えば10人の官吏がいたとします。そのうちの6人は平凡な官吏で、2人は怠惰な官吏。最後に残った2人は大抵能吏です。予王の女人追放令で、堯天を追われた女官吏は何人いました?元の地位を追われ、復帰できなかった女官吏の総数を想像されたことは?その中に、能吏はどれくらいいたことか。これは慶国の9州、全てにいえることなんですが」
指摘された事実は、解っていたこととはいえ背筋を冷えさせる。誰が彼女たちに話をもっていくのかは、考えるまでもない。
目の前にいるのは、だらしなく皮甲を着込み、貧相でくたびれた風情の男だった。戦いを始める前に戦後処理の手配まできる貴重で、危険な将にはとても見えなかった。
「梁将軍は、高名だったの」
「大抵の元官吏は喜んで話を聞いたでしょうね」
ふと洩らされた遠甫の呟きには、浩瀚も同意せざるを得ない。瑛州師左軍将軍梁菖といえば仮朝の時代に瑛州師をよくまとめた、何処の派閥にも属さない道理をわきまえた優秀な軍人として有名だった。予王の勘気にふれ仙籍を剥奪、追放されたと聞いたときは浩瀚も行方を探った。召し抱えることができたなら、僥倖だと思ったのだ。残念なことに、彼女の行方は知れなかったのだが。それを見越したかのように、去邴は言った。
「元麦州候にも、話を聞いていただくことになったかもしれませんよ?」
もしも追放中の浩瀚の元を石菖が訪ねて来たならば。是非はともかく、話は聞いたに違いない。そう考えたなら、去邴の話は現実的で生々しいものがあった。
改めて、去邴を見つめた。密やかに伸ばされたこの男の手は、浩瀚以上に長かったのかもしれない。それはどこまで及び、どこまで有効だったのか。確かめるよりもさきに、去邴は両の手のひらをさらけ出すように浩瀚に見せ、肩をすくめながら言った。
「今は、殆どが元の地位か、上の地位ですね。いろんな宛先で推薦状を、けっこう書きましたよ。御覧になったと思いますが。もちろん彼女たちは、こんな話は全くしりません。今となっては、ばかみたいな笑い話ですからな」
靖共の息がかかった者を罷免し後任者をさがせば、図ったように適任者が推薦されていたことを浩瀚は思い出す。それらは何れも、不遇をかこっていた女たちだったことも。赤王朝において女性を新たに登用する意味は大きく、彼女たちはすんなりと採用され、女たちの不審を打ち消すのに一役買ったのだ。
四阿の中を風が流れる。浩瀚が手にしていた茶は、とうに冷めていた。
「まあ、俺は今の方が気に入ってます。面倒な政は性にあわない。殊恩党や元麦州候には感謝してますよ」
精緻な乱の計画を練っていた男は、実際に乱を起こした男に告げた。
そうして満足そうに呟く。望むものを自ら手に入れた少女を思って。
「───主上には、笑顔が似合う」

※拙速は巧遅に優る、みたいな。



[ 080.話術 ]



[ 081.抜擢 ]

桓魋に推挙され禁軍右将軍となった題肩は、禁軍中将軍に一人の男を推挙した。現在の役職は、禁門の門番の伍長だった。陽子には、とんでもない大抜擢に思えた。だが浩瀚や桓魋の言葉によれば、かつては禁軍の師帥の一人だったが、何やら靖共の怒りを買って降格されたらしい。上層部の評判は良くないが、同僚やかつての部下たちには、今でも人望があるのだという。桓魋もいずれは抜擢する心積もりだったようだが、題肩の推挙は彼にとっても意外だったようだ。
心から題肩を尊敬し信頼する桓魋だったが、この推挙には考えこんでいた。相談を受けた浩瀚も、即断を避けた。偶然、二人の会話を聞いた(盗み聞きともいう)陽子は、題肩が彼を推挙する理由を直接聞いてみようと思った。
錬兵場にこっそりと現れた陽子を、題肩は咎めなかった。温和な笑顔を浮かべた彼は、己の堂室に女王と大僕を招きいれ、茶を入れてくれた。

「貴方が中将軍に推挙した人は、どんな人だろうか?」
生真面目な顔で問いかける女王に、題肩は穏やかな声で答えた。
「そうですね――人となりは…保証できかねます。信頼も信用もできない男です。迂闊に頼れば、痛い目にあいます。ただ、決して主上を裏切ることはありません」
矛盾した答えに陽子は首をかしげ、背後の大僕は眉をしかめる。それを題肩は、穏やかな眼差しで見つめていた。
「えーっと…理由を聞いてもいいかな?」
「主上が、女王だからです。あの男は、自分とは異なる種類の人間を、とても大事にするのですよ」
何でもない、さも当然のことのように題肩は言った。
光あるところに、影はある。光は、影に気づかない。だが影は、光があることを知っている。そしてあの男は、影に属する男だった。影であるがゆえに、光に焦がれる性質だった。それを知るからこそ、題肩はあの男――岑去邴を禁軍中将軍に推挙したのだった。

※ノリとしては「光あるところに影がある。まこと栄光の影に、数知れぬ忍者の姿があった。命をかけて歴史をつくった影の男たち。だが人よ、名を問うなかれ。闇にうまれ、闇に消える。それが忍者のさだめなのだ。」または「隠密同心心得の条。我が命、我がものと思わず。我門の儀、あくまで陰にて 己の器量伏し 御下命如何にても果たすべし。尚、死して屍拾う者なし。死して屍拾う者なし。死して屍拾う者なし…!」 みたいな(笑)



[ 082.主 ]



[ 083.涙 ]



[ 084.夏至の頃 ]



[ 085.駆けろ! ]



[ 086.噂 ]
「こんなところで、何をしてるんだい?」
堯天の上品とは言い難い飯堂の片隅で、利広は旧知とでくわしていた。
風漢と名乗る男は不機嫌そうな顔つきでもって、ちらりと利広をみる。
「噂を聞いた。あまり良くないたぐいの噂だ」
ぼそりと呟いた声は不穏な響きをおびている。それに気がつかない振りでもって、利広は穏やかに告げた。
「ふうん…それは、私が聞いた噂と同じものかな?」
「…雁の商人が、堯天で続けざまに死んだ。説明してもらいたいな」
飯堂には、まばらに客が座っている。風漢の隣の卓にだらしなく座る貧相な男は、突然話しかけられても動じなかった。首を軽くふると、何でもないことのように答える。
「人は死ぬものです。何も不思議はない」
「雁の商人が、3日間で10人ほど死ぬのは、珍しいと思うが」
風漢に追求されると伏せていた目を上げ、男は口元を歪めた。
「正確には12人ですよ」
男と風漢の間にある張りつめた空気を気にもとめず、利広は言った。
「詳しいね。座ってもいいかな?私は利広、君は?」
「どうぞ。俺は去邴といいます」
去邴の隣の席に座りながら、利広は疑問を口にしていた。
「私が聞いた話では、雁の商人が6人ほど殺されたって話だったんだけど。いつの間に増えたんだい?」
「残りは、病死や事故死だ」
「日常茶飯事でしょう」
面白くなさそうに風漢は答えるが、去邴は顔色一つ変えず、手酌で酒杯をみたしている。しれっとした態度を苦々しげに見つめ、風漢は確認した。
「お前、一枚かんでいるのか?」
「俺がそんなことをすると思いますか?」
さも驚いた様子を、風漢は無視した。
「俺は真実が知りたい。禁軍中将軍、岑去邴」
低い声で告げられた貧相な男の正体に、内心、利広は驚きつつも顔にはださない。去邴は大げさに肩をすくめると、片手で酒杯をかかげて風漢を見つめる。値踏みするような視線でもって。
「真実とは、何です?真実のなんたるかを実際に知ることの出来るものは、果たしていますかね?延王君」
「ここで哲学を語る気はない。去邴、お前は雁の商人を虐殺したのか」
「虐殺、ね。響きが気に入りませんな」
不満そうな顔で去邴はつぶやくが、風漢はたたみかける。
「お前が、殺したのか」
「やれやれ───どうしても、そういう言い方をしたいようですね」
かすかに怒ったような表情を、去邴は浮かべていた。
二人の会話を耳にした利広は、思わず呟いていた。
「12人、か…」
「もうひとり、虫の息がいますよ。とどめをさす前に、邪魔がはいったもので。だが、長くはもたない」
利広をみやると、去邴は軽く口にした。
「どうやって病死や事故にするんだい?」
「濡れた紙と衾褥があれば、朝には病死です。事故は、もっと簡単ですよ。試してみますか?」
利広の問いに、何でもないことのように去邴は答えていた。
「俺は、答えを待っているのだがな」
陰気な声で風漢が口をはさむと、去邴は改めて風漢に向き直る。手にした酒杯をあけると、そっと音もなく卓に戻していた。空になった酒杯の底を、しばらく去邴はみつめ、おもむろに言葉を綴った。
「……先日、花街の高級娼妓が、仕事から帰る途中、人気のない通りで襲われました。毒のついた短刀を使われたんです。ご存じですか?あれは、楽に死ねる武器じゃない。彼女は、這いずるように禁軍の詰所にたどりつき、情報を残して息絶えました」
言葉をきると、去邴は顔をあげる。
真っ直ぐに風漢を見て、言った。
「俺の友人でした」
するどい視線を受け止めて、ようやく風漢は楽しげな雰囲気になる。興味深そうに去邴に告げた。
「俺の知る女は、昔、去邴という男を殺し損なったことを、残念がっていたがな」
「そういうこともありましたか。まあ、ささいなことです。お互い仕事でしたしね──個人的なものじゃない」
懐かしむような去邴の答えに、利広もまた興味津々な問いを発していた。
「君は、個人的理由で殺したんじゃないのかい?」
「彼女は、特別な女だったんですよ」
はっきりと去邴は言った。
「美人で、頭がよくて、率直だった。俺は、彼女を心から賞賛していました。尊敬していたといっていい。彼女を通りで殺そうと決心した連中がいると考えただけで、猛烈に腹がたちました。俺は、当然と思ったことをしたまでです」
「雁と慶の関係を、お前は考えなかったのか?」
もっともな風漢の問いに、去邴は危険な笑みでもって答える。
「黙っておけないこともあります。それに方針の問題もね。我々の協力者を殺害したものを、罰することなくすませることは出来ません。その種のことをしでかして、まんまと逃げおおせることができると思われては、たまりませんからな」
なるほど、と利広は思った。高級娼妓が、情報を束ねるものだというのは裏の世界の常識といっていいい。おそらく殺された彼女もまた、高度な情報を取り扱っていたのだろう。そして、情報故に殺された。だが、それは滅多にあってはならないことなのだ。裏の世界にも、それなりの秩序は存在するのだから。
ふと思いついたかのように、風漢が言った。
「浩瀚は承知してるのか?」
「あの方なら、最小の流血で最大の効果をあげたでしょう。俺には無理な話ですが」
去邴は、あっさりと自分の暴走を肯定する。悪びれない様子に、利広は苦笑を禁じ得ない。
「何でもひとりでやりすぎるのは、よくないことだと思うよ」
「だが、見事な復讐だ。浩瀚とて認めざるをえまい」
「それでいいのかい?風漢」
利広に問われると、風漢は小さく笑った。
「ここは慶だ。それに俺の知る女は、一流の女だった」
それから何かを思い出すように、目をふせる。
「もしも雁だったなら──始末は、俺がつけただろう」
「…なるほど」
結局、殺される方にも要因はあるのだ。意図した連中にしてみれば、むしろ場所が慶でよかったのかもしれない。利広がみるかぎり、去邴よりも風漢の方が数段危険だ。
「それで、気分はよくなったのかい?去邴」
利広が問えば去邴は、ほろ苦い表情を浮かべた。
「残念なことに、全く。もっと爽快な気分になると思ったんですがね。終わってしまえば、もう思い出せない。思い出すのは、在りし日の彼女のことばかりですよ」
風漢は何も言わない。去邴の言葉を、黙って聞いていた。
「一流の女、か。私も会ってみたかったね。今夜の酒は、私が奢ろう──死せる彼女のために」

※去邴のお仕事の一例。『砂漠の狂王』のシルクがかっこよかったので、ほとんどWパロな感じです。どもすいません…去邴はシルクほど、堕落してないはず…たぶん…。
付記【御題における流血耐性度】
   陽子<浩瀚<桓魋<令法<題肩<石菖<去邴<風漢・利広・遠甫 
浩瀚は、シビリアンコントロール希望なので陽子も含めて、流血に嫌悪感をもっててほしいです。手を汚すことは厭わないと思いますが。桓魋からは武官で、思考回路の切り替えができる。あとは、どれだけ無神経になれるかみたいな。最後の三人は、文官武官ではなく年の功ってことで。



[ 087.大きな翼 ]



[ 088.ありがとう ]



[ 089.犠牲 ]






[ 090.キセキ ]



[ 091.大きな実 ]



[ 092.ころも ]



[ 093.母のように ]



[ 094.八つ当たり ]



[ 095.刑罰 ]

正義の半分は、悲しみでできています。
残りの半分は?
希望ですよ。


※『このささやかな眠り』参照



[ 096.枯れた草 ]



[ 097.緊張の糸 ]



[ 098.穏やかな笑み ]
「たとえ安全であったとしても、私は主上をお連れするつもりはありません。ましてや今は危険極まるときです」
きっぱりと題肩は言った。声音には、反駁をゆるさない響きがあった。
「人が人に、どれほど残酷になるのか。それを目にしたとき、主上は正義や慈悲の確かさが、いったいどこにあるのかと疑問をいだくでしょう。どんなときにも変わらないものを見ることができ、今、露わになっている不正が小さなものにすぎぬと、この目に映るようになるには半生を必要とするのです。時がくれば、主上もそういう地点に達することができます。だが、今は駄目です」
「今が駄目なら、いつなら良いんだ!」
陽子は声を荒げた。瞳には怒りが渦巻いている。傍らに控える景麒は、主の本気の怒りに身を固くし、居並ぶ高官もまた女王の勘気に息を呑んだ。
題肩はひるむことなく、真っ直ぐに陽子を見つめていた。
「主上が御自愛されるならば、いつでも」
真摯な声だった。ゆるがない静かな声は、ゆっくりと陽子に染み入り怒りの炎を沈めていった。やがて理解は泉のように沸き上がり、乾いた内部を潤していく。ああ──自分は愛されているのだと。子供が、大人の愛情を本能的に悟るように。
「…題肩、私は──」
言葉につまる陽子に、題肩は笑みをみせる。これから戦場に赴く将軍とも思えない、穏やかなものだった。
「朗報を、青鳥に運ばせます。どうか金波宮でお待ち下さい」
敬愛する女王に深く一礼すると、禁軍右軍将軍、題肩は堂室を後にする。
その顔に、もはや笑みはなかった。

※シチュエーションとしては、内乱があって、桓魋が出陣してて、援軍として題肩(ダイケン)が行くとき、陽子が同行したいとごねた…みたいな。時期的には赤楽10年未満のどっか。題肩の台詞は、カドフェルの台詞を参考に。理想のオヤジを目指しております。



[ 099.望むもの ]



[ 100.夢の終わり ]