最近の業務より

【 名刹の金堂 】

奈良の名刹の金堂を構造設計させていただく機会を得ました。日本建築センターで評定を取得すべく準備中です。
耐震設計のルートは時刻歴応答解析です。 SEIN La CREA & SEIN La DANS では、静的弾塑性増分解析から架構モデルによる動的弾塑性解析までを連続的に処理することができる重宝なプログラムですが、私どもは勿論のこと、プログラムも発展途上の状態で苦闘の日々です。また、剛床の仮定条件に合わせるためだけに床面の面剛性を確保する必要があるだろうか、という素朴な疑問に対して、非剛床解析はひとつの見解を提供してくれます。
長い歴史の時間に鍛えられ、洗練された様式に昇華した伝統的な木造建築、そしてそれに注がれた先人の知恵を可能な限り再現できればと思っています。

千葉の構造計算書偽造事件について

千葉県の姉歯設計事務所が構造計算書を偽造した事件について、一構造設計者として個人的な意見を申し上げます。

私の印象では、今回の姉歯事務所の構造計算書偽造事件は、起こるべくして起きたと思います。事件となればひとりを悪者に仕立てて、非難する資格もないような人までが自分は安全な場所から袋叩きにする、というお決まりのパターンで終わりそうな雰囲気もありますが、考えるべきこと多い事件と思いました。私には、同業者として他人事とは思えません。

売りやすいからという理由で構造を犠牲にするマンション供給者がいて、見える範囲だけで判断して購入する消費者がいる限り、この種の事件は再び三たび起きると思われます。問題のマンションは外壁がタイル貼りでした。タイルの予算を構造に廻していたら、この事件はなかったかも知れません。タイルは後からでも貼れますが、構造を後から補修したり補強するのは至難のわざです。
建築は、売れる商品がいい商品という安易な売り物ではなく、社会性の高い商品であるべきと思います。建築は、見える範囲の性能だけでなく、見えないところにも重要な性能があり、さらに時間が経って初めて現れる性能もある、ということを説明できない供給者には、責任を全うできるかどうか疑問です。
発注者(事業主)、意匠設計者、構造設計者、施工者等の全員が責任感を持つべきです。特にリーダーとなる発注者や意匠設計者の責任は大きいと思います。関係者全員が、いい建築をつくろうと心をひとつにしてはじめて、いい建築の必要条件がようやく揃います。しかし、自分だけの利益や目先のことしか考えない人が混じれば、供給体制に欠陥が生じます。

姉歯さんの行為は許し難いことですが、『安物買いの銭失い』という言葉が死語ではなかったと思いました。お気の毒ではありますが、消費者も、大切な買い物に対して検討が足りなかったわが不明を反省すべきところがあります。マスコミの口調のままに100%被害者を信じて疑わず居丈高に他人を非難するだけでは、人間の尊厳は感じられませんし、そのような態度からは何の経験も得られないと思われます。
供給者側の良識に期待するだけでは限界があろうと思われますので、消費者にも智恵が必要です。高額な物件だけに、被害補償の制度や保険があればと思われます。また、消費者が気軽に相談し、それに応える専門家の存在も必要と思われます。一般消費者に対して確かで有益な情報を発信することも私達の使命と思います。

購入者(消費者)の意識がすべての出発点かも知れません。注文建築の場合、建築主が欲張った要求ばかりして金は出さないなら、それなりの建物しかできないでしょう。マンションの事業主は、ある意味で購入者の要望を代弁して設計者に注文していると考えられます。

意匠設計者の中には、竣工写真以外には興味がない、としか思えない芸術家気取りのデザイナーがいます。それほど極端でないとしても、建築設計全般をまとめるべき立場にありながら、建物の安全性と見た目の美しさのどちらが大切か、優先順位について価値判断や明確な説明ができそうにない設計者も少なくないように思われます。
構造に関して思考放棄した意匠設計者も見かけます。構造は自分の管轄外とばかり、構造に関する責任は専ら下請の構造屋にありとして、意匠以外は責任範囲外と考えてのことか、無理な構造を好んで設計したがる人もいます。確認さえ通れば構造に問題なし、としか考えていない人も少なからずいます。
歯に衣着せずに言えば、一部に構造を犠牲にする意匠設計者がいて、この人達は建築主以上に厄介です。建築設計のプロであり、プロジェクトリーダーの立場の人であり、しかもわれわれ構造屋にとって発注者ですから、姉歯事件を他人事には思えないのです。この手の人は問題が発生すれば、貴方はプロでしょうと構造屋に責任を問うてくると予想されます。なぜか構造は他人事なのです。

私自身の仕事の中でも、近隣に杭を打った住宅は皆無だけど、この建物には杭が必要であることを説明できなかったことや、芸術家もどきのデザイナーに押し切られて、デザインのために無理をした構造は数少なくありません。構造計算書の偽造とは程度の差が多少ありますが、苦い記憶が甦る仕事には事欠きません。
構造屋が建築主に直接お話しする機会があっても、あれも欲しいこれも欲しいという消費者に、しばらくは結果の出ない構造に予算を割り振るよう説得するのは、骨の折れる至難のわざです。しかし、構造設計者の声がまともに建築主に届いていないと感じられることも多々あります。意匠設計者のフィルターを通っている間に大切なポイントがずれてしまうことが少なくないと思われますし、また、構造に関する判断材料を建築主に提供していないケースがかなり多いと思われます。

構造が建築のすべてでないことは確かです。しかし、構造は、建設時の施工なら大した費用でない場合でも、完成後には完全な施工が望めない上に、極端な費用がかかります。杭の不足や鉄筋不足をイメージして下さい。また、不具合が起きてしまってからでは、挽回が事実上不可能または極めて難しいことを、もっと主張すべきだったと反省しています。供給者それぞれの立場の人達が、建築に関して総合的な判断をしない限り、いい建物は望み難いと思われます。

いずれにしても、構造について世間の関心を集めるキッカケとなったことは、構造設計に携わる私達には有難いことと思います。そして、本当の意味で社会の期待に応えられる構造、そして社会で大切にされる建築を提供できるよう、皆様と協力して精進したいという想いを強くしています。 (平成17年11月25日)