北海道音楽大行進
週末開催
全国的にも有名な「北海道音楽大行進」は、旭川の初夏に彩りを添える大イベントである。
全道各地から保育園・幼稚園・小中高校・一般・職場の吹奏楽団、鼓笛隊、バトングループが旭川市内を華やかに行進する。開催日程は、北海道護国神社の例大祭に合わせて6月5日に行われてきたのであるが、平成14年より週末に変更されるようになった。参加者の減少に歯止めをかけるためである。
週末開催が効を成して、参加者、観衆も増加し始めた。平成15年は84団体3700名参加、15万人の観衆を見込んでいる。主催者側(旭川市、旭川市吹奏楽連盟、道新)としては大成功といったところであろう。
慰霊音楽行進
平成15年で第71回目となるこのイベントは、回数の多さからわかるように戦前から行われてきた。
戦後、昭和23年(第20回)で一時中絶、28年から地元の北海日日新聞社、33年から北海タイムス社に引き継がれた。
昭和4年春、時の北海タイムス旭川支社長が、東京の銀座通りで陸軍戸山学校軍楽隊の行進を見て感激し、「軍都旭川にも。」と考えたのがきっかけで、各青年団・学校等のブラスバンドが集まり、この年の護国神社例大祭の奉納行事「慰霊音楽行進」としたのが第1回目である。
「慰霊音楽行進」、その名の通り、元々は英霊の慰霊のため行われてきており、経路も旭川駅から市内中心部を抜けて護国神社到着であった。参加人員が一万名を越えた昭和43年より逆の経路となり、その後いつの間にか「ロータリー→宮下通10丁目」に変わってしまった。
※写真左:昭和4年の第1回慰霊音楽行進、騎馬憲兵を先頭にして参道を行進中
※写真右:昭和10年頃の行進風景
慰霊はいずこ
行進の名前から慰霊という言葉が無くなり、神社からは遠ざかり、今度は例大祭から日程をずらす。
買い物公園に人を呼び戻すため。イベントとして成功させるため。・・・時代とともに、行進の目的が変わってきた・・・そんな空虚な言葉で片付けて
しまってよいのだろうか?
参加人員が減ったとか、観客が減ったとういうのは道民が御英霊への慰霊・感謝の気持ちを忘れてしまったからに他ならないのである。
(正確には、忘れさるような教育を戦後されつづけた、といったほうが良いかもしれない)
散華された御英霊、そして御霊をお慰めしようとした先人たちに思いを致すときに今日の状況を申し訳なく思うのは私だけだろうか?
※道内で「慰霊音楽行進」として開催している地区もあることを追記しておく。
参照資料:北海道護国神社史