13歳で体操を始め、オリンピック金メダリストや多くの国際選手育てた片山太一・辻野朝晟・芳村猛の指導を受けた。才能はすぐに開花し、近畿大会の吊輪で優勝。全国中学校大会では団体3位になる。その後、体操の名門、洛南高校に入学し、インターハイ団体2位、国体2位、高校選抜個人10位、吊輪4位、全日本ジュニア5位となる。
順天堂大に進学すると、1年生からレギュラーとなる。ゆか・吊輪・跳馬を得意とし、チームに貢献。日本のトップレベルで活躍。インカレ団体3位、全日本選手権団体5位、国体個人3位などの成績を残す。順天堂大を卒業すると、2年後に控えた福島県での国体要員としてオファーを受け、福島県に移住、教員となる。1995年の国民体育大会(福島)では、天皇杯優勝に貢献、男子団体で銀メダルを獲得した。度重なるケガのため世界戦の出場は叶わなかったが、現在は高校で教鞭を執りながら、地域のジュニアアスリートの育成に尽力している。