§1・・・「バイクとの出会い」 |
最初に免許証なるものを手にしたのは15歳の時である。現在の「原付自転車免許」である。 最初に乗ったのは「スズキモペット」という50ccのまさに原付自転車そのものであった。自転車と同じようにペダルがあり、ペダルを回しながらエンジンをかけるのである。 坂道になるとペダルを踏まなければ止まってしまうほどの力のないしろものであった。 写真は現在スズキが発表している当時のパンフレットから。 (購入した色は白であった。価格は約4万円) |
数年後、父が通勤用にホンダスーパーカブを購入し、 暇なとき乗り回したことを覚えている。(当時5万円くらいであった)高校生の時バイクの後ろに△印の付いた55cc(二人乗りのができる)に乗りたいと思うようになり、その時のためにと自動二輪の免許を取った。 実技試験は250ccのスクーターで行われた。一周100メートルくらいの楕円形のコースを、一度も足を着かないで、右折・左折・停止の合図をハンドルから放した手で動作することができれば全員合格という簡単な試験であった。 大学合格記念に自宅からJNRの駅までの通学用に、セルモーター付きで馬力アップした55ccのスーパーカブを購入してもらった。音が静かでパワフルなバイクに虜になった。その後ホンダベンリー号(125cc)などへ乗り継いでいった。一番欲しかったのはホンダドリーム号であったが、高価で手が出なかった。 昭和46年、ホンダからN360そしてホンダZに次ぐ3代目の軽自動車「ライフ」が40万円程度で発売された。そのころからバイクより車に興味が移り、その時のためにと早速自動車学校へ入学。3万円(給料の1ヶ月分より少ない)程度であったと記憶している。
バイクとの運転の違いは、アクセルとクラッチが足になっただけで、ブレーキ、変速ギア、クラッチ合わせのタイミングなどの感覚はあまり変わらなかった。 運転には自信があり、教官もあまり文句は言わなかった。路上試験も近づいたある日、50分の路上教習中、教官から「教習所近くの喫茶店で駐車の練習でもするか」といって立ち寄り、30分ほどのコーヒータイム。何食わぬ顔で路上教習を終了したこともあった。 路上試験と本試験は厳しく指導されたが、平素の教習は教官にもよるが、いいかげんなところがあったように思う。交通事情も今と全く異なり、昭和42〜3年頃は酒を飲んで運転していても何のお咎めもなく「気をつけて帰れ」と注意される程度であった。飲み屋の前に堂々と駐車し、一杯やって帰宅するドライバーもいた。 先輩の車(スバル360)で市内に飲みに行き、全員いい気分になって車で帰宅途中に、 ラジオから流れていたフォーククルセーダースの「おらは死んじまっただ」という曲をみんなで声を出して歌ったことを今でもはっきり覚えている。 ガソリンが1g40円台の時代、車も信号も少なく、今では考えられない懐かしい思い出である。 運転免許証を手にし、最初に購入した車はホンダライフであった。親の助けを借り新車を41万円で購入。給料の10ヶ月分くらいであったと思う。 納車予定日に車が間に合わず、その間乗っていたのが中古のホンダZ(後ろ姿が水中めがねに似ている)。チェンジがダッシュボード直下に直接取り付けられている。その支えが金属疲労を起こし、ぐらぐらしている。心配していたことが現実となったのは、信号待ちの時であった。動きの悪いチェンジをローに入れた途端、支えもろとも足元に落ちてきたのである。一瞬何が起こったのかわからなかった。 幸いチェンジがローに入っていたためそのまま前進し渡りきったところで 停車。チェンジ全体を手で持ち上げ上下左右に動かしながら何とかサードに入れ、半クラッチの状態で発進することができた。途中の板金工場(自動車修理工場ではない)に寄り、溶接をしてもらった。 また、バッテリーがあがり、押し掛けの経験もある。クーラーが出始めた頃、暑いのに窓を閉め汗をかきながら、さもクーラーがついている振りをしたこともある。楽しく懐かしい思い出である。 ライフの出来はよく、何度かデートにも利用した。
車内の狭さが都合?が良いときもあった。約2年後ライフの後継車「ライフTWIN」
が発売された。エアコン、タコメーター付き、ツインキャブで40馬力に迫る。
ただし、馬力は回転数をやたらと上げて稼ぐもので、エンジン音はうるさかったが、
当時としては高性能であったため迷わず購入した。 最高出力36PS/9000r.p.m 最大トルク3.2kg-m/7000r.p.m 車両重量520kg 当時の日本は列島改造全盛時代で、 1年間に支給されるボーナスとベースアップが同じくらいであったため、 比較的簡単に購入できた。といっても50万以上の出費は若いサラリーマンには無理であった。 トヨタのパブリカ(空冷で800ccか1000cc位)50万も魅力的で手にしたい車であった。 このtwinは軽であるにもかかわらずやたらとガソリンを喰うため、2年後に手放すことにした。 というより、家族も増え、軽より小型車が欲しくなったのである。シビックに乗り換えるなら、 このtwinを40万で下取りすると言われ即刻購入した。 新車のシビックに乗って1年も経たないうち、 近所の子供に石でドアーをガリガリとやられた。 深緑のボディーカラーでいつもぴかぴかに磨いていたもので、 鏡のようになったドアーに映った自分の顔を石でなぞったのである。 いくら子供とはいえ、菓子箱一つで示談成立とは。トホホ・・ 説明書の表紙をスキャン 5-Door,5速マニュアル車(チョークがついていた) 最高出力75PS/5500r.p.m 最大トルク11.1kg-m/3000r.p.m 車両重量785kg このシビックから現在6台目のシビックまで、 実に30年近くシビックオンリーでやってきた。 同僚や家族から「いつまでシビックに乗っているの?」と聞かれるが、 次の車に替えるとき、自分の興味や好奇心を見抜かれ、 他人とは少し違う購入後のサービスをいつも提供してくるディーラーの気遣い (商魂)によるものが大きいと思っている。 そのサービスを提供してくれたディーラーが「クリオ店」になり、 シビックは「プリモ店」へ引き継がれた。車庫の大きさ、経済的な理由などから、 「クリオ店」の「アコード」には手が届かず、 それまでよくしてもらったディーラーから別れることになった。
現在はシビック「X」に乗っている。購入時メーカーは1500ccリーンバーンエンジン(19.4km/g)の方ばかり宣伝していたが、試乗の結果、新車独特の匂いとか軽快さがあるもの、高速道路を4人乗って上り坂をスーッと走り切るような動力性能は期待できなかったため、少し燃費が悪くなるが気分良く走りたいため1700ccに決定。 ナビなどを付け諸費用・税金を込めると大台を軽く突破。同僚から「シビックにそんなに金をかけてもったいない・・・」と言われたが、実際に乗ってみると、思った以上に軽快で粘りがあり燃費も良い。
最高出力130PS/6300r.p.m 最大トルク15.8kg-m/4800r.p.m 車両重量1190kg
(ちなみに1500ccIEは105PS/5800,最大トルク14.2,車両重量1170kg) 車長は短かく車庫にぴったり。しかし室内はとても広い。特に後部座席は床がフラットで前後も広くゆったりとしており、一番の自慢である。 当時カーオブザイヤーにも選ばれ。、記念にCar Of The Yearのキーホルダーをもらった。 130PSという馬力はViと同じであるがトルクがアップした分、力にゆとりが生まれ、高速道路や長距離ドライブも快適。 タイヤが大きいため回転半径が5.5mもある。取り回しは少し面倒だが、安定してカーブを回れる。 5万kmでタイヤ交換したとき、タイや店の提案で、思い切ってREGNO-GR9000にした。その後12万km走ってもまったく 問題なく走りにはとても満足している。
また、インターナビが利用できることも今の時代にぴったり。単なる道案内ではなく、 旅行に出かけるときなど、事前に立ち寄って見たいところをインターネット上の 「InterNavi」で探し、その場所のデータ、写真、地図をPCカードにダウンロードし 利用している。 しかし年をとるにつれ、長時間運転も苦痛になってきた。車の掃除も面倒になってきた。 そして、集中力や視力の低下で、とっさの判断が出来なくなり、スピードを落とすことで何とかカバーしている。情けないと思うが事故を起こしたら万事休す。いつまで車に乗り続けることができるやら。 楽しかった思い出を覚えている間に、ここに残しておきたい・・・ そして・・・ 2012年2月17日 まだまだビンビン動き回っている愛車とお別れの日だ。 走行距離は178,800km 使ったガソリン 11,277g ガソリン代は 1,329,895円 ちなみにガソリンが一番安かったのは 2002年3月:89円/g 最高金額は2008年8月:177円/gだった。 本体価格に税金、整備代、保険料、ETCなどを加えると、 月平均4万円以上の出費となったが、 楽しい思い出もいっぱい作ってくれた。 なにより事故も故障もなくよく動いてくれた 愛車シビックに愛着を感じつつお別れすることにした。 |