kawai fruits banner

Inside Farming Vol.11 (Japanese)



インターネットで見た1997年(前半)

インターネットに接続している時間の半分は待ち時間で、そこにある情報の5分の4はつまらないものかもしれない。けれども1997年、私は多くの時間をネットサーフに費やしてしまった。そして事件が起きるたびにブラウザのブックマークが増えていった。

まず、96年12月に発生し、4月の強行突入で決着したペルー大使館人質事件。
ペルー日本大使館行われたパーティにMRTAのメンバーが潜入(12月に各国の大使館で盛大なパーティが行われているという事も初めて知ったが)、人質を取って仲間の釈放や刑務所の待遇改善などを要求した事件であった。なぜ日本大使館が狙われたのか、そして武力解決の是非 、この事件を引き起こした責任の所在、大使や日本政府の事件への対応など、今でも私には分からない事、疑問符が付くような事ばかりだった。ネットではMRTAの主張を知る事のできるページが存在し、政府やマスコミの論調とは違う視点の情報を得る事が出来た。

1月にはロシア船籍のタンカー「ナホトカ」(1万3千トン)が座礁。重油が流出した。私も微力ながら船首部分が漂着した福井県の三国町で油回収ボランティアに参加させていただいた。インターネット上ではボランティア情報や三国町の様子などが日々報告されていて、阪神淡路大震災以降インターネットの有益な利用のされ方の一つとして定着していることを実感した。

4月。その計画に疑問を持たれながらも強行に遂行された諫早湾問題も忘れる事はできない。景気が悪化したこの年の瀬になってやっと古い公共事業の見直しや中止を表明した政府だが(しかも経済的な要因から)予算使いきり体質が変らない限り行政のスリム化はありえない。ギロチンのように干潟と海を切断したあのショッキングな事業で干潟という二度と戻らない自然を犠牲にして何が得られたのだろう。水害に対する住民の安全か、新しい経済活動の土地か、それとも公共事業を完遂したという行政のメンツか。

そして6月に起きた神戸市須磨区の少年殺人事件。その残忍な犯行に対する怒りと犯人が被害者と顔見知りの中学3年生という異常な事態に言葉が無かった。犯人像については専門家のプロファイリングも、黒い車に乗った男も、土手をよじ登る男も、ネットで酒鬼薔薇と書いたホームページが存在したという話も全くの見当違いであった。
犯人である少年の逮捕後は、少年法の枠組みでは扱えない事件としてマスコミでは被害者の通学する学校名の公開が当たり前のようになされた。果ては顔写真を公開する雑誌も現れ、ネットでは更にその雑誌からスキャンした少年の顔写真や実名が流通し、父親の職場から家族構成、現在の住所などがまことしやかに流れた。
下世話な興味さえあればこの事件と少年に関する不確かな情報(あるいはデマ)は際限なく目にする事ができた。それはつまり、インターネットというダイナミックに躍動する新しいメディアの裏側に潜む狂気を目の当たりにする事だった。


Go to Inside farming index page


kawai@wmail.plala.or.jp

写真、本文とも Copyright(C) 河合果樹園