Inside Farming Vol.9 (Japanese) 品質は向上するのに、価格は下がる、豊作貧乏というジレンマ 今年は果実には適した気候だったようで、多くの果実が豊作だ。同時に多くの果実の価格が低迷していると聞いている。豊作の年は果実の品質も高いのだが、品質に反比例して価格は下がってしまうのだ。こんな年に農業者はいわゆる「豊作貧乏」という状態に追い込まれる場合が多い。中学生の頃教わった需要と供給のバランスによって価格が決まるという市場原理がこの複雑な経済社会に当てはまるのか分からないが、不思議なことに農作物はしっかりとこの論理に当てはめられてしまう。「農産物は商品寿命が短く、短い季節に商品が集中してしまうから当然のことなのだ」と私は自分を納得させる事ができない。第一そんなに農産物は”だぶついて”いるのだろうか・・。 「いい物が安い」なんて消費者にとっては大変に結構な事だ。 しかし農産物価格低迷の恩恵を消費者は本当に受けているのか?市場(いちば)の価格は大きく低迷したとしても、小売りの価格はそこそこしか変っていないのが実態ではあるまいか。"豊作だから低い価格で取り引きされる"という流通の慣行は、それによって利益を得る誰かが農産物の価格を叩くための「方便」として利用しているのではないか。ついでに言えば、色・大きさ・形などで何等級にも細分化された農産物の規格も、選果というさまざまな経費を増やす一方で農産物の取り引き価格を抑えるための誰かの策略ではないのだろうかとさえ感じてしまう。誰か知らないけど。 工業製品の価格設定の現場に立ち会った事は無いが、多くの製品の価格(希望小売価格)は原価を計算し、利益を考え、流通の経費を乗せ、時には商品の持つ市場インパクトなどを考慮しながら経営者の判断によって決められているに違いない。多くの場合、高品質・多機能なものは高額な価格が、そうでない物は安価な価格が設定される。そして生産コストが下がってくれば競争力をつけるために価格を改定する。最近、家電などで見られるようになった「オープン」という価格設定もあるが、その実態は需要と供給で形作られる価格ではなく流通の中の値引きや値崩れをあらかじめ織り込んだ上での価格設定といえるだろう。 農産物ではどうなのか。 河合果樹園の贈答林檎は生産者が価格を決めている。当然経費を考慮するが、ある程度コストパフォーマンスと、小売店に対する価格競争力を持った価格設定をしている(ちょっと宣伝。やっぱり需要のある価格でないとね)。 しかし、販売を委託している団体などを通じて市場・(卸)・小売へと流れる果実の価格は誰が決めているのか(我が園も多くのロットをこのルートで販売している)。多くの農家は農産物の収穫と販売が同時なために、販売を団体などに委託しているというのが実態だが、そもそも「販売を委託している」という意味は、いくらでもいいからとにかく販売して下さいということだったのか。少なくとも、現在の委託販売と流通のシステムは生産者の意志が価格に反映されるシステムではない。なぜなら私は自分の商品の希望小売価格を誰からも一度も聞かれた事が無いし、誰に対しても主張した事がないからだ。たぶん農産物はなんの疑問も無くずっとそうやって販売されてきた。 他の果物や他産地との競争、ある程度の価格の停滞は市場原理として受け入れよう。そして市場に対して理不尽に高額な価格を要求する事もしてこなかったし、これからもしないだろう。ただ、品質の高い物を大量に生産した時に、それに見合う対価が獲得できないだけでなく、逆に「豊作貧乏」という状態が生まれることを「当たり前だと思う事」を止めたい。そして疑問に思いたい。まずそこから出発したい。 そういえば、私が販売委託している団体に農産物を持込んで、選果され、箱詰めされて市場に出るまで「市場手数料・委託団体の上部団体への手数料・委託団体手数料・輸送運賃・集荷料・資材費・労務費・償却費・上部団体宣伝費・出荷経費・負担金・団体宣伝費」という経費がかかっている。そしてこれらの経費は出荷した数量に応じて負担していく事になる。市場価格が低迷して収入が減る一方で、手数料は前年と変らずに出荷量が増えるとどうなるか・・・。「豊作貧乏」の一端はこんな身近にもあった。 Go to Inside farming index page kawai@wmail.plala.or.jp 写真、本文とも Copyright(C) 河合果樹園 |