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Story of the househusband Vol.6

ドリフの学校コントに想う 〜さよなら、長さん〜


  40歳前後の世代にとって、子供の頃の一時期を語る上でドリフターズは欠かせない存在だ。だから、いかりや長介さん(以下、長さん)が亡くなったのには、特別の想いがある。長さんの年齢が、丁度、親と同じくらいの年齢だということも、その想いに拍車をかけるような気もする。そして、追悼番組として放映されている「8時だよ!全員集合」を見ると、「俺たちひょうきん族」が登場するまでの長い間、土曜日の夜の主役はこの番組で、いつも楽しみにしていた子供の頃のことを思い出す。

 学校の教室を舞台にしたコントは当時のドリフの定番だった。長さん演じる「先生」と加藤茶さん、志村けんさん(以下、敬称略します)が演じる「勉強のできない子」との掛け合いを中心に、キャンディーズなんかも登場したりした(キャンディーズの誰が一番好きか?なんかを語り合うのもノスタルジーだ(懐))。

 大人になった今では、勉強の出来ない子を演じる加藤茶や志村に対して長さんが「バカ」を連発して怒ったり、メガホンで容赦なく叩いたりする行為は、どうかな?と思う。また、答えを間違えた志村を加藤茶が指差して馬鹿にする演技は、「あからさま」過ぎて目のやり場にも困る。当時PTAが子供に見せたくない番組の烙印を押したのも判る。
 でも、加藤茶や志村は、答えを間違えて怒られても、友達から馬鹿にされても、懲りずに「ハイハイ」を連発ながら挙手して、次の質問に答えようとしている。答えても、また、同じように怒られて馬鹿にされるのだけれど、長さんが後ろを向いた隙に、何か仕返ししてやろうとして笑いを誘ったりする。
 加藤茶や志村の演じる子供には劣等感がない。屈託がなく、悪びれる様子もない。一方、舞台上の他の生徒達には「勉強のできない人を馬鹿にして笑っちゃいけない」なんていう倫理観が全くない。この結果、番組にウエット感や意地悪感もない。だから、笑っていられる。

 そう考えると、ドリフの学校コントは、「勉強なんかできなくたって、いいじゃん。」という価値観を前提に作られたもののように、思える。だとすれば、ドリフの学校コントを子供に見せたくないと感じる親こそが、「勉強ができないこと=悪いこと、恥ずかしいこと」という前提に立っているのかもしれない(ちょっと、こじつけっぽいけれど)。

 いずれにしても、気がつけば、園主もそんな親の一人である(虚)。(2004/4/21)




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