シリコンPINダイオードで137-Csのγ線は見えるか?


 シリコンPINフォトダイオードでγ線のエネルギーを測定しようとすると、空乏層が薄いためエネルギーの大きなγ線が発する高速電子を捕らえきれなくなる。この効果のために、基本的にどんな波高分布スペクトルが観測されることになるのか、簡単な計算をしてみた。

 γ線測定によく使われるGe検出器やSi検出器は一辺が数cmもある大きな結晶を使っているので、入射したγ線は光電吸収や多重コンプトン散乱によりそのエネルギーのすべてまたは一部をいったん高速電子に与え、高速電子はさらに結晶中ですべてのエネルギーを失いそのエネルギーに比例する数の電子・ホールペアを生成する。一方、PINダイオードでは有感部である空乏層の厚みが〜100μm程度と薄いので多重散乱の確率は極めて小さく、空乏層内でγ線が全エネルギーを失うのは光電吸収に限られる。では光電吸収が起こればそのエネルギーをPINダイオードで検出できるのかというと必ずしもそうはならない。光電吸収で空乏層内に発生した光電子(高速電子)は大きな運動エネルギーを持っており、空乏層内ですべてのエネルギーを使い果たすことなく空乏層外に抜けてしまうものが存在するためである。このとき光電子がつくる電子・ホールペアの数は本来の光電子エネルギーに相当する電子・ホールペアの数よりも目減りしたものとなる。つまり、波高スペクトル上、本来の光電ピークよりも低いエネルギー領域に特性エネルギーを持たないブロードなバックグラウンドが増加することを意味する。

 高速電子が物質中でどの程度の距離を走るか、それを知るにはβ線の最大飛程(L)を調べればよい。データブックから読み取ったグラフを以下に示すが、たとえは、光電子のエネルギーが100keVでは最大飛程が約60μm、1MeVでは約2mmとなる。

 

計算法

 γ線のエネルギーが低くてその光電子の最大飛程(L)がPINダイオードの空乏層の厚さ(d)に比べて十分小さければ問題ないのだが、高エネルギーのγ線が入射した場合、どんなエネルギースペクトルが得られるのだろうか。例えば、話題の137-Cs(セシウム137)が発するγ線(662 keV)をシリコンPINダイオードで観測できるのだろうか。そんな疑問に迫るため、簡略化した仮定のもと、波高スペクトルのシミュレーションをおこなった。計算の手順を以下に示す。

1.入射γ線:137-Cs(662 keV)、PINダイオードの空乏層の厚さ:d=150μmを想定

2.空乏層内で発生する高速電子のエネルギースペクトルを決定

3.高速電子の発生位置、飛散方向を乱数で付与

4.空乏層領域で高速電子の飛行距離を求め、飛行距離に比例したエネルギー損失が生じると仮定してパルス波高(=エネルギー損失)を計算

5.十分なカウント数に達するまで3,4を繰り返す

それほど複雑な計算ではないので答えを解析的に求めることも可能であるが、あまり手間をかけたくなかったので、このように超シンプルなシミュレーションに頼った次第である。

 

高速電子のエネルギースペクトル

 光電吸収が起こるかコンプトン散乱が起こるかは、γ線散乱断面積の大きさで確率的に決まる。Siに対する散乱断面積が下図の破線で示されている。〜600keVでは光電吸収はコンプトン散乱よりも3桁小さい。(Siの代わりにCdTeを使えば光電吸収の確率を2桁ほど大きくできることも示されている。)

 これを反映させるため、空乏層内で発生する高速電子のエネルギースペクトルを以下のようにモデル化した。光電子とコンプトン電子の比率(スペクトルの面積比)を1:1000とし、また、ほとんど回路ノイズで決まる測定器分解能を20keVとして描いた。

 実際はコンプトン電子のスペクトルは上図のようにフラットではないが、おおよその傾向を知るには支障ないと考えた。計算に使用した全電子数は106個である。

 

空乏層の厚さを反映した波高分布スペクトル(計算結果)

 高速電子がその全エネルギーを失う前に空乏層外に出てしまう効果を反映して、元々弱い光電子ピークはさらに一桁小さくなっている。コンプトン・エッジのあたりでも同様に強度低下が見られる。他方、〜100keV前後の低エネルギー領域ではカウント数が数倍に増大している。もちろんトータルのカウント数は106個で変わりない。

 ここで計算したパルス波高スペクトルは単一エネルギーのγ線(662keV)に対するものであって、実際は複数の特性エネルギーをもつγ線が重複したり、宇宙から来るγ線のバックグラウンドがあったりする。なので、2つの理由(散乱断面積の低下と薄い空乏層によるサイズ効果)によって強度が極端に低下した光電ピークやコンプトン・エッジを見極めるのはかなり困難なように思える。おまけにコンプトン・エッジ以下の領域に強力なバックグラウンド・ノイズ(連続スペクトル)を生成し、低エネルギー領域の特性スペクトルを隠してしまうことが予想される。

 一方、この計算結果から、PINダイオードをガイガーカウンタとして使う場合には検出回路のノイズを下げれば下げるほどカウント率が向上することが読み取れる。PINダイオードから得られるパルス信号は波高が小さいところに密集している(計算結果のグラフが対数表示であることに注意されたい)。パルス波高に対する閾値を下げればよりたくさんのパルスを拾えるのだが、あまり下げすぎると今度は回路ノイズを拾ってしまう。閾値の設定はそのバランスで決まるわけで、PINダイオードを使う場合には特にローノイズアンプの設計が重要ということになるだろう。

 

測定例

 残念ながら137-Csの線源を持っていない。そこで、先に紹介(PINフォトダイオードによるγ線エネルギースペクトル測定(2) (2011/11/01))したγ線検出器で我が家のホットスポットを測ってみた。ガイガーカウンタの計数値が周囲よりも数倍高い場所である。原発事故以来だいぶ時間がたっているので今残っているのは134-Csや137-Csでは無かろうかと思いつつ測定してみた。β線の影響を避けるため、検出器の周りを厚さ3mmのアルミ板で覆った。測定時間は16時間弱。

 結果は下図のようになった。参考までに241-Amの測定結果を図中黄色で示した。このピーク位置をもとにパルス波高値をエネルギーに換算したが、エネルギーが低いので校正誤差がかなり含まれると思われる。(エネルギー軸の誤差は5%くらいありそう。)図中に示した核種はまったくの当てずっぽうである。そもそもカウント数がきわめて少ないのでノイズ(確率のいたずら)といっても良いようなものだ。ただ、計算結果と見比べると、もし、Csのピークがあるとすれば定量的にはこのくらいの大きさになるだろうという推測はできる。


追記 (2011/12/21)

 計算のプログラムを公開してほしいという要望がありましたので、参考までにアップしました。

 プログラムでやっていることは本文に記載したことをそのまま手順化しただけのことです。また、空乏層(有感層)の厚さが50μmと300μmに対する計算結果も併せて掲載しました。

 本計算では空乏層=有感層という単純な仮定を置いていますが、もし、空乏層以外のP層やN層内部で発生したキャリアが途中で再結合することなく電極まで到達できると仮定すればSiチップの厚さそのものが有感層となります。この場合、”空乏層の厚さ”を”Siチップの厚さ”に置き換えれば同じ計算が適用できます。(PS100-7のチップ厚みは300μmくらいだっだでしょうか。)

 プログラム言語はBASICです。BASIC/98(電脳組)というWindows95時代のアプリケーションです。

10 '
20 DIM A(1000),B(1000)
30 '空乏層の厚さ:DD
40 DD=150 '単位はμm
50 '
60 FOR J=1 TO 1000000
70 RAA=RND '光電吸収かコンプトン散乱かを込める乱数
80 RAX=RND 'コンプトン電子のエネルギーを決める乱数
90 IF RAA >= .999# THEN
100 EEE=662 '光電子のエネルギー(662keV)
110 ELSE
120 EEE=478*RAX 'コンプトン電子のエネルギー(コンプトン端478keV)、均一分布を仮定
130 END IF
140 RBA=RND
150 RBB=RND
160 THETA=3.14159#*RBB '光電子またはコンプトン電子の放出角度
170 XPO=RBA*DD/2 '光電子またはコンプトン電子の空乏層内での発生位置
180 IF THETA < 1.5708 THEN 
190 LENG=(DD/2-XPO)/COS(THETA)
200 ELSE
210 LENG=-(DD/2+XPO)/COS(THETA)
220 END IF
230 '
240 'Si中におけるエネルギーEEE keVを持つ電子の最大飛程LL(μm)を計算:β線の最大飛程グラフの近似式を用いる
250 LL=3E-014*EEE^6-8E-011*EEE^5+7E-008*EEE^4-3E-005*EEE^3+.0092*EEE^2-.054*EEE+.4132#
260 '
270 IF LENG > LL THEN 
272 EER=EEE '空乏層内の飛行距離が最大飛程よりも長ければ、全エネルギーが吸収される
274 ELSE 
276 EER=EEE*LENG/LL '空乏層内の飛行距離が最大飛程よりも短かければ、飛行距離に比例したエネルギーが吸収される
278 END IF
280 '
290 '検出器の分解能:20keV
300 RES=RND
310 EER=EER+20*(RES-0.5)
312 EEE=EEE+20*(RES-0.5)
314 '
320 ES=INT(EEE)
322 IF ES >= 0 THEN
324 B(ES)=B(ES)+1 '空乏層内で発生した光電子またはコンプトン電子のカウント
326 ELSE
328 END IF
330 ER=INT(EER)
332 IF ER >= 0 THEN
334 A(ER)=A(ER)+1 '光電子またはコンプトン電子が空乏層内で失ったエネルギーのカウント
336 ELSE
338 END IF
350 '
360 NEXT J
370 '光電子またはコンプトン電子が空乏層内で失ったエネルギーの分布をsampleファイルに記録
380 OPEN "C:\sample" FOR OUTPUT AS #1
390 FOR I=0 TO 999
400 WRITE #1,I,A(I)
410 NEXT I
420 CLOSE #1
422 '空乏層内で発生した光電子またはコンプトン電子のエネルギー分布をsample2ファイルに記録
424 OPEN "C:\sample2" FOR OUTPUT AS #2
426 FOR I=0 TO 999
428 WRITE #2,I,B(I)
430 NEXT I
432 CLOSE #2
434 '
436 '
440 END

 

 戻る