翌日水曜日は出勤する、仕事は熱が入らないが、気はまぎれる。
自宅に戻り、ニュースを見ると新潟の地震で2歳11ヶ月の男の子が4日ぶりに助け出された映像を見る。私の次男と同じ年齢である。
あの映像を見ていると不思議に涙が出てきた、「人間そう簡単には死なない」と思った。翌日母親が遺体で発見されたようだが、「あの男の子は母親が助けたんだ、親は命を張っても子供を助けなければならない」なにかあの映像を見て自分のもやもやした気持ちの中から一筋の光が見えてきた。

 11月8日はDMの受診日である。この日は神経伝達速度検査と、管理栄養士による栄養指導がある。
OPLLを宣告され、ストレスで血糖値が上がっているのではないかという不安があった。
事実、OPLL宣告以後、血糖値は正常範囲を超えている。
そして、自転車に乗っていない、途中から毎日歩くようにはしているが、自転車に比べると運動量は少ない。
 検査の結果HbA1Cの値は4.8%、食後2時間血糖値は77mg/dlである。
医者からは「コントロールは非常にいいですよ、薬をアマリール1.5mg/日を0.5mg/日に減らし、食事制限も2000kcalまでなら増やしていい」と言われた。
神経伝達速度の結果は、速度的には健常者の1割程度落ちているようである。糖尿病の神経障害が起きていてもおかしくない状態でだそうだ、主治医にOPLLのことを告げる、左手の痺れはOPLLではなくて糖尿病の神経障害による痺れではないかと診断される。
 その診断が正しければ、この手の痺れはいまのコントロールが続けばいずれは神経障害はなくなるはずである。
ストレスでHbA1cが6%以上になっているかもしれないと思っていたので、すごく安心した。
歩き続けた結果である。もう少し、自分の体を信じてみようと思い出した。

食事制限も2000kcalまでと言われたが、自分で計算すると2100kcalになる。
あまり、カロリー制限にとらわれず、やってみてくださいとアドバイスを受ける。


人間簡単には死なない、
自分の病気は死ぬ病気ではない、
ゆっくりと自分の体を信じて、病気と取り組まなくてはと、

少しだけいつもの自分を取り戻すことができるようになる。

私の父親も毎日のようにメールをくれる。

 自分の病でそんなに落ち込んではいけない。
 良寛禅師が「死ぬ時は、死ぬがよろしいに候」という言葉を遺しているよ、と教えてくれたのは○○社長だった。聞いたときは「エッ」と思った。癌とはいえ、まだそこまではとも思った。しかし、別の本には「生きるためには死の敷居を低くすることだ」とあった。人間常に死と隣り合わせにいる。その「死というものさえ受け入れる心がないと生きていけない」と言うことのように思う。「たかが病気ぐらい」だ。そしてまだ初期じゃないか。まだ30代半ばじゃないか。子どもが2人もいる。落ち込むな。ドンと構えろ。そして冷静になって病と対峙しない限り、治らないよ。いやその病だと限ったわけでない。北大病院で、冷静にみてもらえ。北大の診断が、たとえそうだとしても、さらに疑え。医者は間違っても病名を付けたがるものだ。病名をつけたから治るものでもないのに、それを自分の成果だと勘違いする医者がいる。医者の使命は患者の病を治すことなのにそんなことはどうでもよくなって学会論文を発表して実績にしたいと思う。冷静になって受診しないと何しに病院へいくのかわからんようになる。 医者の言葉にへこたれるな。医者を名医にするのは自分だと思え。
 結局自らの病は自分しか直せないのだ。落ち着いて自分を見直せ。 おれはどうしてもまだ痩せすぎが原因としか思えないよ。急激に痩せると、いろんな障害が出てくるものだ。その一つのあらわれと思う。急激に痩せた時には精神的にも不安定になる人を多く見ている。特にタバコを吸っていてやめた人には多い。永年すってきたのだからどんな障害が出てもしょうがないよ。カルシュームを取らないと精神不安になる。そして骨の病にもなる。牛乳を一日1リットル飲めよ。いまや牛乳は水より安い。そしてさらにビタミン補給をすること。養命酒をしばらく朝晩飲みなさい。玄米食に野菜を多く取ること。神経系統にはビタミンがないと障害が起きる


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