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 6月26日(土)

 曇りと予報だった天気が6時頃からぎらぎらのお日様が出てきた。
 4時半に起床、錦糸町にWさんを迎えに行き、5時には高速で千葉方面に向った。会社のコンペだ。
 曇りかぽつぽつ落ちると覚悟していたが、かんかん照りになってしまい、スコアー前半52回、後半49回の
 101にて終了。少し不本意であるがコースの難しさから言って納得。3位になったのも良かった。
 帰りはアクアラインを経由、海ほたるで一服し、羽田へWさんを送る。
 家内がビッグサイトにいると言うので、羽田から高速で向う。一緒に帰ってきた。体調はとっても良い。

 6月25日(金)  

 出張あとで疲れているが、朝から忙しい日となった。特に二日いないと、結構ばたばただ。
 とりあえず、書き込みの返事は打つが日記に手がつかない。 

 6月24日(木)

 青森二日目、市内の得意先を回り、八甲田の山中を抜け蔦温泉へ抜けるルートを通った。ずーっとうす曇り
 途中酸ヶ湯の前を通る。
  この温泉は混浴らしい。入った事はないが酸性が強い。
 玉川温泉ほどの強さではないらしい。混浴といっても女性は昔のお嬢さんが多いらしい。
 青森から1時間弱で蔦温泉に着く。今回の出張の一番大事なところだ。1時間あまり打ち合わせをした。
   
 この後、奥入瀬の入り口、十和田湖町を経由し、八戸へ。2時45分に八戸を出て、青森空港へ、5時15分の飛行機に
 ギリギリ間に合った。羽田に着いたら家内も札幌から帰ってきて、一緒に夕食。
 2日間夫婦とも忙しい日だった。  

 6月23日(水)

 私は青森へ、家内は札幌へ出かけるために5時半起床。家内は7時に羽田の団体カウンター前に集合で、
 私の知人も来ていた。札幌のアミノアップ化学の工場見学だ。この会社はAHCCはもとより、今月の日経に
 掲載された低分子化技術がポリフェノールの体内吸収容易にする。これは老化現象を防ぎ、いわゆる若返り
 ができる。つまり、癌のような生活習慣病を防いでくれる。この工場見学と札幌グルメの旅とか言って行きました。
 
 私は初日は黒石、弘前方面のお得意先を回り、仕事を終えてから、わいはまーるのよしさんと会った。
 お酒なしで、コーヒーでのプチオフ会だった。8年の癌との闘い経験はとっても力の強い顔立ちでした。
 お互いネット上の知人話で盛り上がり、お互いの検討を讃えた。1時間と短かったがとっても充実した。
 これからも良き友人であり、同志であり続ける。
 弘前で道路のセンターにラベンダーが植栽されていてあまりのきれいさに写真を撮った。
 

 6月22日(火)

 昨日は、台風の関係で大変な一日でした。
 もし帰れない時は、妻に病院に行ってくれと頼んで診察券など預けたけど 何とか一緒に今日は病院です。
 3ヶ月ぶりの先生の顔を見て安心している自分が居る。
 PET検査は異常なし! 動く画像を見せてもらう 全身のシルエットがぐるぐる回る。
 黒い所は頭・心臓・膀胱?万能ではない為最初からこのように黒く影となっている所もある。
 でも がん細胞がある場合には、この黒いものが突然現れるとの事。
 西洋医学の進歩は本当に凄い!
   脳、心臓、膀胱は黒くなっている。

 気持ちは 『強く』と思っていても、自分の体調に変化がなくても、咳の出る風邪を自力で治しても広がる不安・・・
 これだけは なかなか取りさる事は出来ない。
 多くの仲間が 癌と共存し治療している。
 今では、心強い仲間が一杯いるのに、このときだけは多少弱気になるけど? 仕方ないだろう。
 こうして、一回、一回の検査を乗り切り記録更新して行かなければ。
 白血球が4600と上がった。CEA0.11、SCC0.9、CYFRA1.6等全て問題なし。

 術後の検査の為の気管支鏡の検査が入るようだ。
 9月には CTの検査となる。
 これで、明日の青森と妻の北海道もすっきりとした気持ちで行ける。

 6月21日(月)

  11時の便で金沢へ、13時頃に会社の近くにて食事。金沢に行くと、これが食べたくなる。
 いなりうどん大盛り、割り込み、550円。薄揚げを刻んでたまねぎとねぎを少し甘くしうどんの玉は2個、それに
 生卵をいれてもらう。久し振りにうまかった。
 13時半から打ち合わせ、5時終了。
 鱒の寿司を買って来た。
  1,050円也。
 今回はグルメチックな食事はできず、忙しい一日だった。
 明日は検査結果がでる。

 6月20日(日)

 毎日、朝晩が涼しくぐすっり寝ていられる。さすがに今日は台風の影響か曇り空だ。
 今日は長野友人が娘さんの結婚が決まり、東京に挨拶に来ると連絡があり、お昼を一緒に食べる事になった。
 15年前ぐらい、私達夫婦が子供を連れて志賀高原にスキーに行ったのもこの友人のお陰だ。
 あの頃小学生だった娘さんがお嫁に行くということで感慨深い。我が家も21歳と19歳だから、まだまだと
 思っていても、そのような時期が近づいているのは間違いない。
 夕方バンドの練習。ミニライブが8月に決定し、練習にも熱が入りそうだ。いよいよ今日で21曲完成となる。 

 6月18日(金)

 今日は3ヶ月ぶりの検査日だ。3月はCTで今回はPETだ。
 この3ヶ月間は一度の風邪だったが、なんとなく不安を感じた。だからなおさら検査で何もないようにと思う。
 この病気をした以上、検査と検査の間に何もなければ気楽だが、ちょっとの変化は怖い。副腎転移の時の
 咳は、乾いた咳だった。寝汗をかいた。そのようなシグナルが結果転移だったわけで、風邪を馬鹿にできない
 ことはようく理解している。来週火曜に診察だから、なんとか今回の検査をクリアしたい。
 
 仕事が毎晩遅く、ゆっくり日記を書く時間がない。家に帰ってROMっているだけで、実際は元気だから書くことも
 ないのが現実だ。この調子で行きたいものだ。

  13時半からのPET検査で注射を打って30分ベッドで安静にし、その後椅子で30分安静に、ようやく検査に、PETの
 器械にはほぼ30分寝ているだけで3時過ぎに終了。おなかが空いて急ぎ食堂へ、にらもやし炒め麺を食べて会計へ。
 会計に行ったら、血液検査がまだですねと言われ、血液検査へ。3時半に終わり、会社に戻った。

 6月15日(火)

  昨日、今日と快晴が続き、朝晩は涼しいくらいで寝やすく、疲れがとれていっている。
 14日に本の出版でお付き合いをしていた狭山のNさんが、92才の生涯を閉じた。世界平和を訴えつづ
 けて、学校を救え!教育とはなんだと叫びつづけた巨星が落ちた。なんとか本を書いて、自費出版でしたが
 出版社を紹介し世の本屋さんに本が並んだのでした。さほどは売れませんでしたが、訴えは少し届いた
 かも知れません。彼の世界平和への心はいつのまにか私の心の奥にしっかりと根付いている。
 彼の言葉で好きな一節がある。
 “人生とは 人間一人、一人の 壮大な旅路である” 俊一
 “人生は短し 争いについやす 時間はない” 俊一
 心から冥福を祈る。

 6月13日(日)

 金曜の夜中、実際は土曜の午前2時ごろにおなかが痛くなり、トイレに座ったものの、出るものが出ず
 気持ち悪くなり、だんだん頭から血が下がって行くのがわかり、脂汗が・・・。これぞまさしく貧血!
 次女が起きており、声をかけて、家内も起きてくれて、廊下にぶっ倒れてしまい、(意識あり)しばらく足を上げて安静に
 していたら今度は猛烈な腹痛で、再度トイレにようやく悪いものが。。すっきりして朝まで爆睡できた。(食中り??)
  土曜日は朝ゆっくり起きてノンビリモードに入ってしまい、だらだらの一日になってしまった。反省!
 
 日曜日は早めに起き家内とゴルフの練習に。今までの練習のおかげで家内は相当飛ばす様になった。
 いよいよゴルフ場デビューも近いか。
 4時からバンド練習。課題曲4曲はなにげにうまく良き、これでレパートリーが18曲。4時間スタジオに
 いたせいか耳鳴りと頭痛。寝る頃には治まった。しかしやかましいバンドだ。
 元気とは凄いことだ。病気のことを考えていないことが元気なのだと痛感。

 6月11日(金)

 10日は5年目に入るにふさわしい、素晴らしいオフ会になった。
 心の通い合った温かい仲間の集まりで、私の5年目の船出を祝福していただいた。

 しげさん&しげ妻さん、コスモスさん、ふーちゃん、AKKOさん、そして私達夫婦で7人の会食だった。
 それぞれが癌患者と看病の立場で共通の痛みをもっており、また癌の程度も違えば、現在の治療の状況が
 違っているが、でもこの情報交換の場はお互いを強め、そして痛みを分け合い、気を落ち着かせる。
 この3人の闘病の記録と、今は亡きのぶどんのご家族の看病の記録はかけがえのない貴重な参考資料だろう。
 4時間と言う時間があっという間だったと感じたのは私だけだろうか。素晴らしい日になった。
 
 今日は忙しい一日で、午後から半日会議。夜は久し振りの飲み会で、疲れた日だった。

 6月9日(水)

 私がまだ、癌の知識もなく、医師からとつとつと癌告知を受けたのが4年前の今日だった。
 今日は告知記念日。正しくは受告知記念日かな。
 本当に抑揚なく、まったくの気を使うこともなく、淡々と肺がんですと言われた。
 今でこそ癌の種類だとか、放射線のこととか、手術のことか、本当に詳しくなってしまい、今なら冷静に
 聞ける気がする。
 明日から5年目という表現が出来るわけで、世の中的に5年生存と言いますが、私の理解では最終手術を
 してから丸5年生存して初めて使える言葉のような気がする。でも癌が発見され、様々な治療をしてきて
 4年が過ぎて、もしこのまま1年なにもなければそれも5年生存かなと思える。
 でも5年たって再発と聞いたこともあるし、別の原発の発症もあるわけで、この病気はきが抜けない。
 これからも気を引き締めて1日1日を大切に生きていこう。

 6月6日(日)

 8時半起床。11時に大学に行く予定で、用意し歩きながら向かう。
 途中、大通り公園のテレビ塔、公園を撮影。
     
 
    時計台に丁度馬車が停まっていた。
   今日も学祭は続いていたが仕事をさっさと終わらせようと頑張った。
 13時半に終了し、長女から聞いていたラーメン屋を目指した。地下鉄南北線中の島駅から徒歩7分にある
 “すみれ”。行くといきなり長蛇の列に遭遇。約20分で席が空き、みそラーメンとトッピングは煮卵とメンマ。
   
 味は濃い。それと温度が下がらないように表面に浮く油が全体の味をしつこくしている。メンマの量がすごく
 多く隣のカップルに手伝ったもらった。
 どうもしげさんの言っている店とは違うみたいが、とりあえず美味しかった。
 帰りに札幌駅の近くの西武で海鮮を購入した。毛蟹2はい、ほっけの開きを2枚、きんきの開きを1まい、
 宗八がれいの干物を4枚、鵡川の子持シシャモ、すべてクールバックに入れて、保冷材も入り一万円也。
 他に札幌大丸限定の“ゆきプリンCカップ”を買い、電車で千歳へ。
 東京に着くと雨だった。入梅したようで、しのつく雨の中家内が迎えに来てくれた。
 22時にベッドに落ちてしまった。(爆睡)

6月5日(土)

 10時のJALで千歳に向かった.11時30分に着。JRにて札幌駅に行き、徒歩で北大に向かった。
 途中時間もなく普通の中華屋さんに入り、味噌ラーメンと小ライスで昼飯を終わらせた。
 天気は晴れていて暖かい。途中急に雨も降ったが、梅雨のない北海道ですから、その後また晴れた。
 おりしも北大祭の最中で、大学構内のメインストリートに模擬店が200店も出ていて、焼き鳥、海鮮、他
 たくさんの人出だった。
 
  私は仕事だから、わき目もふらず、先生のお部屋に行き仕事を6時に終了。
 夜は友人のY氏とA氏と合流し、車屋という海鮮会席に行き、北海道の味を堪能。その後宴会は2件、3件と
 延々2時まで続いた。やはりタバコを吸う店は強烈で身体にいかにも悪そう。一緒にいた人も将来癌患者に
 ならないように祈りたい。久しぶりの午前様に、身体はふらふらなり。
 ホテルに戻り寝る。

 6月4日(金)

 朝からとても良い天気で体調も抜群だ。

 私達のバンドでTシャツを作ろうと言う話で、ロゴを考えて見た。
 餃子4人娘も考えなくては。

 6月3日(木)

 4年前の6月5日と6日は検査入院のために入院をした日だ。今年はちょうどその日は北海道に行く。
 身体はまことに正直であり、あれだけ咳をして身体がだるかったのに、ほんとうにすっきり抜けている。
 考えてみたら、そんなことを言いながらも結局会社を休んでいるわけではなく、いつもと同じペースで
 生活をしながら風邪を治しているのだから、ノープロブレムだ。
 今月は18日にPETがあり、これをクリアーして行きたい。

  6月2日(水)

 ショックな事件があった。小学校6年生女児、同級生の首をカッターナイフで切り殺害。
 殺すつもりだった。
 動機は交換日記代りのチャットかホームページ掲示板に書かれた相手の言葉だった。
 小学生が掲示板の言葉に殺意を抱くまでにいたるとは信じがたい。それよりも根本的にカッターで
 人を切れば死に至るという教育がされていないように思う。取り返しのつかないことをしたと思えるのは
 もう少し大人になってからだろうか?本当に残念な事件だ。
 私も掲示板で思いっきり、笑える言葉を書いたり、多少過激な言葉を書くこともある。ひょっとして
 誰かを傷つけていたかもしれない。特に不特定多数の方が見るものだから、気を付けなくてはならない。  
 
 体調はとても良い。今年はエアコンのお世話になりそうだが、やはり好きになれない。病院に入院中は
 25度に設定してあり、結構快適だったが、会社は若い人が多く22度に下げるので、気をつけている。

 6月1日(火)

 昨日に比べ12度温度が下がり、涼しい一日だった。これじゃ身体の調子も狂うはずだ。
 せっかく風邪がスッキリしてきているのに壊れそうだ。
 会社で若い人達は外が涼しいのに、中は暑いとエアコンをがんがんかける。私は一人ジャンパーを着て
 エアコンの噴出し口に風の方向を変えるため板紙を貼って対応しているが、足元から寒いのだ。
 若い人は暑いのだ。自分も若いと思っていたが、術後少し体感の温度が変化したようだ。

  5月の1ヶ月間を振り返ってみたら、やはりそうとうハードな月だった。連休5日間の金沢、5〜10日までの
 学会関係の仕事、その後気が抜けて、とてつもなく暑い日があり、がくっと体調が狂った。
 14日に宇都宮へ行き、15日〜19日までの玉川温泉。それから体調が戻るまで10日以上かかった。
 年齢的に体力が落ちているのかな。湯治の温泉が実は結構疲れるものなのだと実感。
 まるで普通の健康人と変わらないペースで過ごすことは少し無理がありそう。弱気にはなっていないが、
 天候と自分の体力を見ながら一日を大切にして行こう。普通に出来ることの喜びも大切にしながら。   
 6月になった。6月は告知記念日が控えている。今月の題は告知から5年目にした。
 
 今日ダイアモンドコスモスさんから、先日の講演会のビデオを送ってもらった。 
 

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