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3月1日

曇りの天気です。早くに目が覚めニュースを見たら、羽田空港がコンピューターのダウンで離陸が出来ない。
本日は会社の会合があり社員の皆が7時30分のJALで金沢に向かう予定です。何とか飛び立って欲しい。
昨晩は、傷が痛むのと、寝方が分からなくなっているのか、とうとう痛み止めの座薬を入れてもらいました。
運動不足もあるようなので今日も出来るだけ歩きます。
 
 

3月2日

昨日は嵐のような、また雨が降りました。
目が覚めると、雨で洗い流したようなキレイな空と、強い風が多少は温かく感じました。
花粉は多いようです。せっかくの天気でも布団を干す事は出来ません!
歩け、歩けと出かけ熱くなりコートの前を空けたり、菜の花、木の新芽を目にすると、春!
少しずつ時間が薬となり痛みは楽になっているようです。
今日の歩きは力強く早いのです。私が後ろからせっせと着いて行かなければ、そんな歩きも
出て来ました。(チョット一安心)
こんな事書いていると、子育てしている時の事を思い出します。
一日、一日が違い、良くなっている実感があるからです。
これで、癌の心配が無ければ言う事無しなのに…!

傷の消毒をする私も随分と慣れて来ました。
気になる部分はあるけど…6日にはすっきりと抜糸が出来れば嬉しいです。 M
 
 

3月3日

ひな祭り、気持ちに余裕がなく人形を飾れませんでした。
でも、始めて主人がゆっくり一晩眠ってくれました。
夜中に何回となく目は覚ましていましたが、起き出してリビングに行く事もなく
何とか…身体の向きを変えながら眠ってくれました。
手術して17日目、やっとです。本当は、この頃に退院させて欲しいと言っていたので、時間は薬です。
春の天気は長続きしません、朝から曇り、午後からはまた雨です。

朝一番に会社に顔を出しました。
久しぶりにスーツを着たのですが、ズボンもカッターも、一回り大きくて…!
美味しく食べられるけど量は減りました。(年齢のせいもあるのかも?)
顔もすっきりいい男になったのかも…?!M

ようやく眠れるようになってきました。左下腹部の痛みと痺れが和らいできました。歩く時もあまり響きません。
傷口に集中できるようになり、今度は粘着のかゆみがあります。家内が見ると傷の上のほうが1センチぐらい
空いていて少し汁が出ている様子です。これが乾いてくれないと御風呂にも入れません。6日の抜糸までに
少しでも良くなってくれれば6日の夜にはシャワーに入れます。早くシャワーに入りたい!
 

3月4日

寒の戻りか、東京はとても冷たい風が吹いていました。
午後から家内とウォーキングで郵便局、成田不動尊、永代橋、中央大橋、佃島の石川島公園、相生橋を回り
約10000歩を歩いてきました。寄り道しながら楽しく歩いています。歩きますと傷口から、下腹部にかけての
痛みが和らいでくれます。体力をつけ、足の筋肉を落とさないようにと思っています。
体重が増えてくれません。只今食事の後で65キログラムであります。結構食べているのですが増えない。
家内は羨ましがっておりますが、私は増えてくれた方が嬉しいのです。
体調は大変良く過ごしております。寒暖が激しいので皆様風邪を召さぬように。
 

3月5日

今日はランチを兼ね晴海トリトンへウォーキングをしました。風は冷たいのですが陽射しが暖かく助かります。
今日は頼りにしている家内の調子があまり良くなく、テンションダウンです。
今倒れられては大変です。もっとねぎらってやらねば。みなさんとにかく健康が一番ですよ。
家に帰って少し寝たら元気になりました。歩くと食事がおいしいので皆様もウォーキングをお勧めします。
 

3月6日

今日は九時前に病院に入り、血液検査、レントゲンを撮り、10時過ぎに診察が始まりました。
いよいよ抜糸です。消毒をして、チクリチクリと針を取りました。
レントゲンに写るガスの影について詳しく教えていただき、私のガンの抗がん剤との反応について
詳しく伺いました。もし予防的に抗癌剤をするとすれば、通院で打てば会社を休むことなく出来るという事です。
しかし現在ターゲットが無いので打つ必要はないでしょうと言われました。微妙ですがやはり体をわざわざいじめる
必要もないし、正常細胞をもやっつけてしまう抗癌剤はする必要はないと判断しました。
副腎癌を調べて見たら、やはりあんなに大きくなっていたと言うことは、横隔膜を刺激して咳が出ること。
それに炎症反応があったことも副腎の肥大を表していた様子です。
12月、1月の咳の症状やいろいろ考えると、ちゃんと体は信号を送っていますね。
体の変調は必ずなにかと、どこかに悪くなっていると思わなければなりません。当然主治医に言わなければ
いけません。
今日は会社に1時間ほど寄ってきました。帰ってきて寝てしまいましたら少し頭が痛い。寝る時はちゃんと
寝なければいけませんね。

血液検査による数値が良くなっている。
ギリギリまで考えて、輸血をしなかったので…ずっと気になっていました。
自分の力でここまで回復した事が一番嬉しいです。人間の体の自然治癒力が根本的に一番なのですが、
これが少しでも崩れ、力関係が狂う事が全ての始まりなのです。
本当に良かった!
後、傷の一部にくっついてない部分がありました。まず、一週間様子を見ます。
消毒してきた私にとって気になっていた部分でした。また、来週です。 M
 

3月7日

28回目の結婚記念日です。朝から冷たい雨が降っていましたが、会社に1時間あまり出かけました。
午後から長女のアルバイト先へ行き、長女にごちそうになりました。長女はこの後金沢へ。
次女と待ち合わせをし早めの夕食をし家に帰りました。
こんな病気になったから思いますが、夫婦仲良く、家族の結束が固く、みんなで立ち向かっている。
私としては身勝手な言い方かもしれないが、本当にありがたい。支えがあると言うのは本当にありがたい。

抜糸の後が痒く、また傷の上のほうが2センチほど開いており、どうも来週縫いなおしをしなければ
ならないような様子です。私の皮膚がくっつきにくいようです。血が出ている訳ではなく、皮下脂肪が
溶けて傷口を塞いでくれないようです。夜ほぼ1ヶ月ぶりに全身シャワーを浴びました。H

一人でシャワーを浴びている主人に、「大丈夫?一人で大丈夫?!」と何回も声を掛けました。
まるで、小さい子供に声を掛けるように…。気になるのです!
25年目の銀婚式にいろんな事を楽しみにしていた矢先に見つかった ”癌” でした。
26、27、28回目と迎えられた事に、大きな意味を感じます。
ありがとう!(誰かにではなく、何にでもなく、全てに ”ありがとう”かな…) M
 
 

3月8日

今日は温かそうです。
でも、花粉が多い為に主人は目が痒い、急に鼻水も…薬が効いて今年は助かると思っていたのに
ここに来て花粉のピークをむ迎えているのでしょう。 効いている中でもこんな調子です。
ウォーキングをしながらマスクの下は鼻水でグシャグシャだそうです。
私には花粉症がない為に分からないのです。
やっと、「痛い」症状が和らいできた、自然と痛い顔が少なくなりホッとしています。
夜も薬のお蔭もあり、ゆっくり眠れるようになりました。
時間という自然の薬に感謝です!
 
 

3月9日

朝から眩しいまでの朝日が射しています。
空は、青く、富士山はくっきりと見える。
最高の天気です! でも、天気予報では真冬なみと言う言葉のおまけ付きです。
おまけのとおり、窓越しの天気とは全く違い…真冬!
玄関のドアを開けると、体ごと押し返されるほどの北風です。我が家が9Fという事もあります。
歩き出すと、陽射しはポカポカ、風は場所によっては向かい風、追い風、とにかく凄い。
3月と言う季節がこんなに寒かったのでしょうか…?

シャワーの為のデガダームを貼ろうとして、ビックリ!
下着に大きなしみが付いていました。
開いている傷が小さくなっているので安心していた、でもその小さい傷から出てきたもののようです。
退院から毎日消毒、張替をしてきてはじめてのことでビックリしました。
 

3月10日

風が強く、とっても冷たいです。空は青空、ウォーキングにもってこいであります。
今日は相生橋を渡り石川島公園、中央大橋を渡り、隅田川を上流に歩き、永代橋を渡り、今度は
隅田川を下り河川の公園を歩きました。河川の土手は、今は菜の花が満開です。
永代橋の中央区よりの桜が花を開いております。ますます春を感じます。
歩く速さも1時間掛からないスピードに上がってきました。走ると左の下腹部が痛い。
花粉がピークでクシャミがひどい。鼻水もつらい。目頭が痒くてどうしようもない。早く終わって欲しい。
傷口も後1センチぐらい開いている様子です。いつになったら湯船に浸かれるやら。
 

3月12日

御昼に家内と天気が良いので車で横浜に出かけました。四時からM先生の診察を受けました。
右肺か肝臓と、前立腺と背骨に弱い反応がありオーリングの指が開きました。そんなに気にすることは
ないと言われました。一応温灸器を使用してやってみてくださいとのことでした。
夜、家に帰り風呂アガリに久しぶりに温灸器をした所、3箇所ともアチチぐらいの熱さでこれは困ったことです。
でも慌てる事はない、毎日温灸器をして行けばいずれこの熱いのも消えるでしょう。それくらいの気持ちで
やらなきゃやっていられない。いつも体の仲に癌があって怯えるのもいやだし、出たら潰せば良い訳です。
手術して1ヶ月で免疫力も下がっていることでこのような反応が出たのでしょうと、楽観しています。
とりあえず注意しながら行きましょう。
本日はウォーキング御休み。
 

3月13日

今日は朝からM病院T先生の診察です。血液検査、レントゲン4枚撮影。
術後ほぼ1ヶ月、水の溜まりもなく、ガスの影も正常、血液も正常です。創は先生が縫いましょうとのことで
いきなり麻酔もなくやろうとされましたが、麻酔だけはして頂き、あと5ミリくらい開いていたと言う事で1針
縫いました。これで全部塞がってくれれば良い訳であります。急遽明日、CT撮影と、脳のMRI撮影を入れて
頂きました。T先生に昨日のM先生の3箇所の反応について御話をしておきました。
西洋医学の先生にオーリングのお話をしてもなかなか信じてもらえないですが、一応言うことで自分が
安心できますし、次の血液検査で前立腺の腫瘍マーカーPSAを調べて欲しい事を伝えました。

その後10階のC棟へ行き、メールで相談を受けていた、M君に会い、お話をして来ました。胚細胞腫は
精巣癌から発症するもので、10万人に一人と言う珍しい癌だそうで、抗癌剤が80%効果がある旨を
聞き、受けるも受けないも自己免疫力を上げて、基礎体力をつけることをお勧めしました。
彼はまだ32歳の若さですから乗りきってくれると信じます。お互いがんばらねば。
 

3月14日

今日は午後からCT撮影と脳のMRI撮影をして来ました。結果は来週木曜日の外来です。
M君を見舞いました。毎回外来で行った時に見舞ったのですが会えなくて、久しぶりに会えました。
呼吸がしずらいらしく随分辛そうでしたが、今日は少し元気そうでした。

そう言えば私の花粉症の話しを全然していませんが、実は2月20日頃から鼻がジュルジュル、
くしゃみがひどくなり、T先生に言いましたら、ジルテックと言うお薬を処方をして頂き、夜寝る前に1錠飲むだけで
ほとんど治まっております。毎年つらい思いをしていましたが今年は本当に楽をしております。眠くなると言われ
ましたが、それもほとんど大丈夫です。一昨日当たりからピークが終わった様に感じますのは私だけかな?
 

3月15日

今日は遅く起きて、なおかつ何にもしない一日でした。家内のおとうさんが金沢から御見舞いに来て
下さいました。ウォーキング休み。
 

3月16日

朝から姪の見舞いに千葉へ行って来ました。今日もなんにも予定なしですが、明日から会社に行きます。
早めに寝てリズムをつけなくてはなりません。体がずーっと休みモードです。
創は、縫った後はまだ痛みが残っています。痛み止めの薬はまだ手放す事ができません。
今週の木曜日に抜糸です。
 

3月17日

昨日から子供の様に今日の会社の為の用意をしました。
送り出す私は正直不安です。ここ1ヵ月半あまりの主人を見てきて、フッとこのまま休ませてあげられれば…
などと考えたり、この人から仕事を取ったらどうなるのかしら…?
まだ、若いのだから仕事は当然!? 本当は、私に生活力があれば…とか考えると何が一番なのかは
解りません。
でも、仕事に復帰する事が目標でもあり、スーツに着替えた少しスリムになった主人は術後とは思えません!
「行って来ます」と言って出かける主人の後姿を見て、今日一日何もありませんようにと送りました。

仕事も、健康も当たり前だった頃に比べて、お互いに感謝と言う気持ちにきずかされています。
痛み止めを飲んでいても、抜糸が残っていても、仕事ができるまでに回復した事に手術をしてくださった先生
お世話してくださった看護婦さん、会社が主人がいない間も頑張ってくださった同僚、HPなどを通じ応援して
くださった方々、主人と私の友人、親族、また、沢山の人に心配かけてしまいました。
とにかく、みなさんに「ありがとう」を伝えたいです。

さぁーこれから、目に見えない大きな敵と上手くやって行かなければ…!
まけないぞぉー!  M
 

3月19日

会社に出て三日目になりました。通勤も慣れ、一安心です。
1日目はほぼ社内におり、事務整理や報告を聞いていました。2日目は夕方から得意先に訪問をしました。
今日も得意先に出かけましたが、体調は問題なく、帰りの歩きも疲れは出なくこれも一安心。
一日一日慣れていくしかありません。
創の方も殆どくっつき明日抜糸すれば、ザブンと湯船に入れると思います。肩まで御湯に入れないせいも
あるのか、肩がすごく凝ります。
まだ完全社会復帰とは言えませんが、頑張っていきます。
 

3月20日

今日は先日の脳のMRIと胸部、腹部のCTの検査結果と診察でした。全て問題無しです。
創は今、糸を取ると泣き別れになるので、抜糸をしてもらえませんでした。でも風呂に入ればいいよと
あっさり言われ、先生から、でも感染したらした時で、なんとかなりますよ、です。まあ来週かな?

お話の中で、抗癌剤の事について、1周間に1回通院で点滴にて、やって見ませんかと言われました。
現在はターゲットは無いのですが、私の低分化癌は性質が悪く、予防のために血流に乗っている
癌をやっつける目的にやって見る価値があるのではなかろうかとのことです。
3年経っていきなりどこかに発症して、ドーンと抗癌剤を入れる手もあるのですが、それを避けるためにも予防的
抗癌剤治療を勧められました。
副作用も少なく、体の負担は大変低いとの事です。4月に入ってから結論を出す予定です。
次に癌が出たときにまた、切って取れば良いではないですかと先生に言われましたが、背中は八の字で大きな
創が2本もあるし、もう切れる所無いじゃないですかと言ったら、まだ前に一杯ありますよと言われた。
でも取りきれる所に発症すれば良いですが、取れないところだとやはり抗がん剤になります。
それを考えると健康食品の予防と並行して抗癌剤も一つの選択肢のような気がします。
本当にこの病気は一筋縄でいきません。
 
 

3月23日

連休の3日間は予定も無く、家族4人がバラバラに自分のやらなくてはいけない事をこなしている。
仕事に復帰した主人は最初の心配はウソの様に当たり前に仕事を終え帰宅する。
この1ヶ月半の出来事がなんだったかな?と言うように…。

普通、当たり前、などと言う時間の大切な事を痛切に感じます。
所が、お風呂の時間になると私の目の前には大きな傷跡の背中が、これが現実と言わんばかりです。
傷を保護してお風呂へ、上がると消毒の日々。
私達人間はすごく上手く出来ていて、時間や痛みと共にイヤなことは忘れます?!
忘れてはいけない事も…少しづつ薄れて行くのです。
だから、気持ちも切り替え、次に進む事が出来るのですが、良い事でもあり不安でもあります。

病気と共に随分と寒がりになった主人、”暑さ寒さも彼岸まで” の言葉があるように春が待たれます。
気温も、気持ちも、桜も…。

イラク戦争が連日テレビで放送される。
人間同士の闘い、まるで ”癌”の自分の体の中の細胞と細胞の闘い…?
分っていても止められなくて、解決方法を模索している。
まるで、戦争と同じです。
両方とも、明るい未来が早く見つかるといいのに…!
テレビの戦争と言うニュースをみながら、ふぅと思いました。

土曜日の新聞にて、病院でする ”免疫療法” の記事を読む。
以前から目にしていたけど、新聞に書かれているとは…?!
西洋医学だけの先生は効果が無いと言うでしょう。
でも、患者側にはとても気になる記事でした。
ただ、どの治療もお金が掛かりすぎる! 結局、どんな良い治療もお金のある人しか受けられない
これが現実なのかも知れない。
良いとされている健康食品も決して安くない。癌をやっつけるのにお金がかかる!
 
 

3月27日

桜が咲き始め、温かい日が多くなりました。

残る一針の抜糸が出来そうです。
病院では変らず多くの人が順番待ちをしています。
こんなに病気の人が多いのか…? 病院通いをするまでは知らなかったこの現実!
なんだか悲しい現実ですね。

無事抜糸を終えました。
でも…が付きます。 いつ開いてもおかしくないと言うおまけ付きです。
またでもです。 表面的な事なので心配無いようです。
ただ、消毒と保護はもう少し…です。

主治医の先生について転院することになり、本当に良くしてもらったこの病院は今日までです。
約1年あまりでしたが、私達夫婦にとってはこの病院で出会った先生方、看護婦さん、補助さん
同室の患者さん、全てが私達の財産です。
激動の1年でした!

次の治療…抗癌剤…ダメージの無い治療が本当に出来るのか…?
気になります!
主人が、生きて行く為に、良いと言われる事はなんでもしようと思ってますが…。
一番悩む、考える事です。  (時間をかけて考えよう、だって今はターゲットがいないのだから)
主人のように、急に大きくなる腫瘍の場合は、免疫力だけではどうしょうも無いそうです。
難しい問題です。
 

3月30日

28日、29日に学会の仕事で福岡に行って来ました。九州について暫くしたら、家内から電話が入りました。
残念ながら金沢のOさんが3月28日の午前九時過ぎに家族に見取られ52歳の若さでご逝去されました。
Oさんメールを紹介していたのですが最近はあまりに辛く掲載出来ませんでした。でも最後は穏やかな顔で
安らかに永眠されたと聞きました。また一人戦友無くしました。心からご冥福をお祈り致します。
大腸癌で肺と肝臓に転移しており何もしなければ余命3ヶ月言われ、約2年頑張ってくれました。
もっともっと生きて欲しかった。
2月8日に見舞った時は水が溜まりだいぶ浮腫んでいましたが、まだまだ元気で想像も出来ませんでした。
3月に入ってだいぶ痛みがあり、モルヒネを使い抑えておりましたが、本当にこの病気は憎いです。
どうしても命を持って行かないと収まりきらないのかと腹さえ立ちます。宿主が死んだら癌よおまえも死ぬの
だからじっとしてろよと言い聞かせていたのに。辛い辛い旅となりました。
家内が通夜、葬式に行きました。私は来週お参りをしてきます。
友よ安らかに御眠りください。あなたの悔しい分まで私は頑張ります。
 
 

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