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2003年1月1日

新年あけましておめでとうございます。
未年が始まりました。皆様にとって最高の年でありますようお祈りいたします。
4年目に入ります。素晴らしい! 何もなく始まりました。とっても嬉しいのであります。
毎月検査はして行きますが、できればなにも起こらず行ってほしいものです。5月に術後1年を迎えます。
これで一山を越えられます。これから何回も山を越えて行って長生きをしたいのであります。
ゆっくり行きましょう!ことしもよろしくお願い申し上げます。

今年も深川七福神にお参りしてきました。
午前中は寒かったのに、午後からは少し陽射しも…自転車で一気に回る。
自転車でも2時間かかりました。人出も多かった。
最後に、不動尊に寄りいつものようにお参りをいしました。
子供達は田舎に帰り、姪は風邪で我が家にダウン、私達、夫婦は元気です。
今年も1年この元気が続きますように…!! M
 

1月2日

寒い…!!!
昨日とは違い今日は随分と寒い。
朝から、やはり見てしまいました。箱根駅伝を何時の間にか、我が子がこの年齢になっている。
自分達の子供の年齢と思うと、見ていても気持ちが入ってしまう。
何かに打ち込んでいる姿は、本当に美しい!
なんだか、元気をもらえるから不思議です。

1日にプリンターが壊れ、ビックカメラへプリンターを買いに出かける。
東京の町は人が帰省で少なくなっていると思ったけど…なんだか人でいっぱいでした。
大都会に休みはないようです。

寒い外に出かけると、すぐ咳が出る主人を見ていると、なんとなく不安です。
私なんて…全く出ない! 何が違うのでしょう…? また、すぐ肩が痛い、凝ると言う。
これも私には理解できない事の一つです。
何気なく言う痛い!肩が凝る!咳が出る! ついついドキッと反応する自分にも余裕がなさ過ぎて
イヤになる。 予防も、注意も必要だけど…過剰反応もいけないのかも?!
横で見ている私も、強くならなくては…。
静かな、お正月です。  M
 

1月3日

箱根は雪!
雪の中走る大学生達に本当に感激。
その雪は駅伝と一緒に東京にも来ました。
東京でお正月に ”雪” で迎えるのは始めてかも…???
寒い、寒い一日です。
病気をしてから、とても寒がりになった主人です。歳のせいもあるのかも。
また、体を冷やさない事が大事とM先生に言われた事もあるのかも。
これだけ寒いと、少し運動をと思っても、なかなか。
明日は、2人で少しは歩かないと…!反省しながらも部屋の中。  M
 

1月6日

仕事始め。八日間の休みの眠さや、気だるさから何とか抜け出し早めに会社に出かけました。
北陸の寒波がそのまま東京に寒さを持って来ています。
冷え込むとどうも肩が張り、少し咳が出ます。でも風邪をひきそうで引かない状態をうまくぐり抜けて
おります。咳が出たらプロポリスを一匙なめるだけで止まってくれます。炎症を抑える効果は抜群で
寝る前になめると一晩快適に咳も出ずグッスリです。たまに寝汗をかいて夜中に着替えをしておりますが
休みの間あまり疲れなかったのだと思う。今日は程よい疲れです。グッスリ眠れそうです。
眠れると精神的にも体調が良くなるのがはっきりわかります。九時間の睡眠は多いですが、これが
私のエネルギーなのであります。おやすみなさい。22時25分
 

1月11日

仕事始めから5日間があっと言う間に過ぎました。得意先を駆け足でご挨拶しました。
10日の夜に、なんとなく風邪気味ですが熱も出ず、咳が少し出るので久しぶりにFクリニックに寄り、
咳止めの御薬をもらってきました。先生も私の元気な顔を見て、大変嬉しそうでした。
2000年の5月にここで発見をしていただいたのですから、先生にその時の事を伺ったら、肺の白い影を
見てビックリされたそうです。でもあまりに私が元気なので安心をされた様子でした。
今日から3連休になり、ゆっくり朝を起きました。唇の横に風邪熱が出て少し痛いのであります。
我が家は明日次女のバトンの全国大会があり、金沢の両家の母親を招待しました。今日はのんびりです。
 

1月13日

今日は成人の日で、あいも変わらず成人式でもめている様子を見ると、情けない思いをいたします。
昨日次女の全国バトントワリング大会が浦安のNKホールでありました。さすがに全国に出てくる学校です。
大変レベルが高く見ごたえがありました。わがK女子高等学校は銀賞シルバーでありました。
朝練、夕練と努力をしてきた結果を存分に発揮できたと思います。とてもすばらしいでした。
3連休も終わります。正月気分もこれまでですかね。両家の母親も東京を楽しんでおります。
今日は晴海で豆腐料理を食べ、午後は銀ブラを楽しみ、夕方は金沢から送ってもらった、美味しい
旬のお魚の料理です。11日にはたら鍋を、昨日はいかのさしみ、がすえびの煮物、今日は御刺身の
昆布締め、カワハギのから揚げ、やはり故郷の味は格別であります。ごめんね皆様。本当においしいです。
私の体調はベリーグッドあります。チョット咳が・・・・。
 
 

1月14日

一月とは思えないほど温かい今日は、なんと三月並みです。
さん連休も終わり、仕事に学校にとまた忙しい毎日です。
母達を東京駅に送り、今回の東京での何日かを楽しんでくれたので安心しました。

先週から始まっているTVドラマ、たかがTVドラマなのですが…テーマが ”癌” 
告知、余命と厳しい内容なのでどのように表現するのだろうと見ています。
TVドラマの 死 の設定は殆ど癌です。
私達のような、癌患者と家族にとっては辛い内容です。
今は、こんなに多くの癌患者がいる時代なのに…時々表現が安易でがっかりです。
そんな事を話しながら見て居ました。
そこにかかって来た電話で、主人と私は、また、癌の厳しさを知らされました。
主人の友人、Uくんの亡くなった知らせです。
彼は、大腸癌でここまで頑張ってきたのに…奥さんは私の同級生という事もあり、長い長い
付き合いです。
40代でU君も、主人も癌と言う病気と出会ってしまい…なんで私達なの…?と、世の中を
恨んだ事も、何か悪いことしたかなぁーと話した事もあります。
癌でも、死なないのだ!と思ってきたのに…!
それからは、主人も私も涙が出るだけで…悔しくて、悔しくて、悲しいだけでした。
やはり、”癌”=”死”なのか…?????
そんな、弱気な気持ちに陥りそうで怖いです。

二人とも、なかなか眠れませんでした。  M
 
 

1月15日

とにかく無理をお願いして休みを取りU君の告別式に出かける事にしたようです。
辛そうです!この現実を受け止めるのは…。

弔辞を読む事になりました。
主人の書いた文を読み、二人で考えて見ました。
読んでも、考えても、涙が出るのです。
学生時代の事、お互いに結婚してすぐの頃の事、先に東京に転勤できていたU君が
引越しの手伝いをしてくれた事…などなど次々と出てきて…。
バタバタと金沢に帰る用意をして主人は休みました。
出来あがった弔辞をたまたま読んだ、二人の娘達は、「私達でも涙出るのに…お父さん明日
これを最後まで読めるの…?」と涙ぐんでいました。
私も心配です!
でも、泣いても、詰まってもいい主人の気持ちで送ってあげれば。
私も主人に付いていてあげたいけど…朝の1便、日帰りで帰りの事も考えて…送り迎えの方に
回りました。とにかく、寒い金沢なので…。
寒いと、空気が乾燥すると、軽い蒸せたような咳が出るので心配です。  M
 

1月19日

16日、6時に起きタクシーで浜松町、モノレールで羽田へ7:45JAL141便で小松へ、金沢の家内の
実家に着いたのが、ほぼ10時でした。義父に弔辞の清書をおねがいしてあり、あらためて下読みを
したらまた涙が出て、これで本番で読めるのかなと心配をしました。
11時から御葬式が始まり、彼の遺影がスポーツシャツで本当ににこやかな笑顔で、その顔を見ながら
弔辞を読みました。始めての経験であり、こんなに辛いものとは思いもしませんでした。式場でのお別れ、
火葬場での最後のお別れで、頭を撫でてやりました。
野辺送りを済ませ、式場に戻り、中陰の席に着きました。御坊さんの御隣で彼の在りし日の思い出や
人柄について偲びました。51歳の若さで黄泉に旅立たれ、悔しい思いもあるでしょうが、家族は
出来るかぎの事が出来たと思います。大腸癌と3年10ヶ月の闘いでした。ゆっくり休んでください。
19時55分のJAL148便で東京に戻りました。
17日は忙しい一日で得意先を駆けずり回り夕方のANA759便で再び小松へ飛び、今度は私の実家に
泊まり、寒い寒い金沢の夜を過ごしました。夜中にトイレに行くのが寒く、これじゃ血管切れてもおかしく
ないと思いました。
18日は、9時から17時に会議で、17時半から新年会、久しぶりにカラオケを唄いました。咳も出ず調子は
大変良かったのですが、パーティー会場は禁煙ではありません。これがつらいのなんの、みんなタバコを
やめなさーーーーーーーーい。あなたのためですよーーーーーーー。
19時から2次会に行き、家に戻ったら11時半でありました。くたくたであります。
急ぎふろに入り寝たのが12時半でした。
19日は8時半起床、朝食後H病院のOさんを見まいました。呼吸が大変つらそうで酸素の補充が必要で
今はメモリ1を吸入しております。腹水が溜まっており、約10キロ体重が増えたそうで、両足ともむくみが
ひどい状態でした。でも本人はいたって元気でした。Oさんの奥さんが腹水を取るのに、曼珠沙華の花と
えごまをすり潰し足の裏に湿布すると良いということで、Oさんの足の裏に貼ってあげている姿がとっても
暖かく感じました。5月に玉川に行くんだから早くよくなってねと声を掛け病院を後にしました。
16日に送ったU君の御家にお参りに行ってきました。ご家族の方達も少し元気になっておられました。
奥様と息子さん二人がご挨拶回りに出かけてて、今回は残念ながらお会いできませんでした。
15時35分のANA756便で東京に戻りました。
昨日は家内のMの誕生日、羽田で花を買ってきました。本当に世話になっています。
家内の支えがあればこそ今があります。ありがとう。ありがとう。
4日間に金沢を2回往復をして、少し咳が出るくらいで体調は良いです。今日は早めに風呂に入って
キュット美味しい金沢の日本酒を飲んで早く寝ましょう。
 

1月23日

21日、22日は3年ぶりに出張で青森に行って来ました。両日とも雪が降り続き、気温はマイナスでした。
21日は市内と弘前を回りました。夜食事に行って、帰りに雪の降る中を歩いてきましたが、咳が
止まらず、やはり冷たい空気を吸うと咳が暴れます。喉が痛い。夜にプロポリスを飲んで喉にヴェールを
するようにして寝ました。プロポリスの効果は抜群で、痛みも抑えてくれます。暖房を入れていなかった
のに寝汗をかいてしまいました。最近寝汗が多いのがちょっと気になります。
翌日は八戸、十和田を回りましたが、八戸は太平洋側で殆ど雪がありません。しかし風が冷たい。
十和田は丁度中間位で雪はありますがお日様がでています。御土産にホタテのひも、茶屋の餅を買い
ました。1泊2日の寒い出張でした。
今日は東京にこのシーズン六回目の雪が降りました。青森から持ってきたみたいです。
朝から背中がぞくぞくしており、やはり風邪気味か?おじんくさいけどちょうど貼るカイロを持っており、
背中に貼ったらなんとか一日を過ごせました。風とインフルエンザが流行っています。気を付けなくては。
 

1月25日

10時に起床、久しぶりにまったりとした土曜日になりました。東京は暖かく過ごしやすい日になりました。
朝から車のガソリン補給と洗車をしました。昼に髪の毛を短く切り、スッキリしてきました。
これからM病院へMじいを見舞いに行きます。12月に会ったのですが、27日に入院をしたそうです。
だいぶ体力が落ちてきている様子です。
ベッドに寝たきりの状態で、声を掛けてもウンと言うくらいで状況はあまりよくありませんでした。
酸素、ドレン、点滴、体中にパイプが繋がり顔、も入れ歯をはずしているので小さくなり、いかにも病人に
なっていました。30日にまた見舞います。
 

1月26日

昼近くまで寝てしまいました。今日は成田不動尊へ次女の本厄のお参りに行ってきました。
神頼み、仏頼みをして厄を払ったり、病気平癒を望んだり、いろんな御頼みをしております。
どうしても都合の悪いときに行く事が多いですが、やはり日頃から精進する事が大切であります。
娘達は非科学的だと言いますが、心の拠り所であったり、自分に渇を入れたり、自分に言い聞かせたり
いろんな形でお参りがあると思います。とにかくお参りをすることで、自分が気持ち的にゆったりできれば
それで良いと思います。宗教宗派を超えて気持ちの納まり所がよければそれで良いのです。
今日はあまり咳も出ず、体調も良いです。縫った後の傷が少し痛んでおります。
最近書いておりませんが、飲んでいる物を紹介します。
3食前にAHCCを2包、GCPは朝食前に3錠、朝食後にマルチビタミン3錠、マルチミネラル5錠、ビタミンCを
3錠摂っています。咳止めはたまにツムラ麦門冬湯を飲んでいます。なるべく化学的な薬に頼らずに
やって行きたいと思っております。
 

1月30日

大ショック!
本日脳のMRI、胸部、腹部のCTを撮影し、外へ御茶をしにいっていて、私だけ早めに病院に戻って
いつものように待合室で待っていたら、めずらしくH先生がまだ順番がこないのに、チョット説明があるので
先にお話をしますと言うことで、別の診察室に呼ばれました。
H先生から、副腎に転移が見られます。入院し検査をしましょう。副腎の転移はほとんど手術で摘出で
根治する率が大変高いと言われました。家内が来て、K先生が変わりに詳細説明をしていただき、
入院予約をしました。副腎の腫瘍は7センチの大きさであります。
K先生も同様の説明で、他の臓器でなく、副腎で良かったのではないでしょうかと言われました。
手術の根治率が高いのであれば、先生の言葉を信じ手術を受けるほうが良いと思います。
しかし転移などとは考えてもいなかったので、相当ショックであります。
最近咳は多少出ていましたが、まさかホルモンを司る臓器に転移ですので、実感が湧きません。
T先生や、先生方がおしゃっている、副腎で良かった、手術が難しくない、を信じ前向きに頑張ろうと
思います。また皆様の応援をお願い申し上げます。手術はいつになるか分かりませんが、また
掲載致します。

さすがにここに書くまでに時間が必要でした。
昨日、主人の口から聞かされたとき ウソ と思いなんて冗談をと言おうと言葉を飲み込みました。
主人の顔から…色がなくなり、真っ青でした。
事の大きさに私の心臓が、血が騒ぐばかりで…2年10ヶ月前に引き戻されました。
私でこうなんだから、主人は…?  頭の中が真っ白です!
ただ、先生の説明を聞き ”いいふうに考えよう、落ち着こう”と思いました。
2年前から始まったこの癌…今までこうしてこられたことが不思議です。
さぁーこれからがまたスタートです、頑張らなければ…。
元気も空元気ですが…気持ちをコントロールする事は難しい! 正直です!あんなに美味しかった
食べ物が…全く、なんで…???私達には次々と…???悪いことしたかなぁー…???
早く現実を受け止めて、しっかりしなければ…!
主人の気持ちを考えると、ただただ心配です。

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