豊島氏は、1100年代から文明9年(1477)、江古田原で太田道灌との戦いに敗れ、落城するまでの約300年間を平塚城、練馬城と共に東京23区の約半分に当たる、豊島の庄を治めていた。文明9年、江古田原で太田道灌に敗れた豊島泰経は石神井城に戻った後、金の鞍をつけた馬に跨り、城内の三宝寺池に入水、それを悲観した妹の照姫も池に身を投げたとの伝説が有る。地元石神井地区では、この伝説から毎年4月に 照姫祭り(H9.12.23更新)が開催される。 現在、城跡は土塁や空掘が保存され、三宝池の辺には殿塚、姫塚が祭られ、また城跡の大部分が都立石神井公園として都民の憩いの場となっている。
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