北条早雲に岡崎城を追われた三浦道寸は、新井城に逃れたため、早雲は新井城を攻撃したが、三方が海に囲まれたこの城を攻め落とせず、戦は持久戦になった。その後、3年間篭城を続け、ついに兵糧も尽き果て、永正3年(1516)7月11日、城門を開き、打って出、三浦道寸を始めとして多くの兵が討死にした。この時多くの兵の流した血がこの湾に流れ込み海上が油のようになったところから、油壷湾の名がおこった。 現在城跡は、一部が油壷マリンパークに、その南側は東大臨海実験所となっている。実験所の中には、空掘りや土塁が多数残っている。
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