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岩手県花巻市城内
東北本線花巻駅下車徒歩15分
鳥谷ヶ崎公園


ほとんどが市街化されたが、西御門の復元や、時の鐘、水濠、本丸跡の公園化など比較的歴史保存が心がけられている。
説明版によると、「花巻城は、十世紀のころ鳥谷ヶ崎城と称して、安倍氏の居城であったと言われている。中世に入り稗貫氏がこの地方を領したが、永禄年間(十六世紀後半)鳥谷ヶ崎しろの本城を移した。天正十九年(1591)稗貫氏が滅亡し、この地方は南部氏の一族である北条愛が稗貫・和賀二郡の八千石の城代となり、鳥谷ヶ崎城を花巻城に改めた。その後、慶長三年(1598)北松斎が二代目の花巻城代となり、同十九年(1614)南部利直の庶子南部政直が稗貫・和賀二万石の花巻城主となったが、故あって寛永元年(1624)に非業の死を遂げ、以降は藩士が交替で城代となり花巻城を治めた。花巻城は、地形に恵まれた要塞堅固な城であり、明治元年(1868)に開城となるまで、伊達藩境にほど近い要衝として南部藩の拠点となった。 その形態は、丘陵地を利し、周辺に深い堀を設けた平山城で、規模は、東西約710m、南北約500mを計り北から本丸、二の丸、三の丸からなる梯郭式城郭構造となっている。 現在、本丸跡が市指定史跡として保存されているほか、公共施設や道路、民家によって占められているが、往時の威容は西御門跡付近や散見される土塁、堀跡にその名をとどめている。また城内の建物や文化財についても、円城寺門や、時鐘(いずれも市指定有形文化財)、さらに当時の武家住宅の趣を今に伝える松川家、伊藤家などがあり、貴重な文化遺産となっている。 平成九年七月 花巻市教育委員会」 と書いてあった。

クリックすると別ウインドウで表示します 西御門桝形
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クリックすると別ウインドウで表示します 本郭跡
(広場になっている)

クリックすると別ウインドウで表示します 菱櫓跡からの眺め

クリックすると別ウインドウで表示します 武徳殿
(弓道場)

クリックすると別ウインドウで表示します 水掘

クリックすると久保田城説明板を別ウインドウで表示します 長屋前御門跡
(石橋の先は水掘)

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