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茨城県真壁群関城町 関東鉄道常総線とばのえ駅下車西へ徒歩約20分 関城跡または北朝方坑道跡
天正13年(1585)真田昌幸築城。慶長5年、徳川秀忠は38,000の大軍で真田昌幸、幸村の率いる、城兵2,500の上田城を攻撃したが攻めあぐね、この地に数日間釘づけにされただけに終わり、関ヶ原の決戦に遅れるという大失態を演じたとの記録がある。現在、遺構は本丸・二の丸には土塁や堀跡などがあり、本丸の三基隅櫓は昔の姿を留めている。
関城案内図
高師冬(北朝方)が坑道を掘って城を攻撃したとの伝説の坑道跡
土塁跡