とんでもねぇ勇者ども外伝
〜罠日記〜



 僕のお気に入りのわんこが帰ったあとの執務室は、ひどく静かに感じられた。窓からさしこむ、沈みゆく太陽が放つ光がそれに拍車をかけているようだ。
 穏やかなにぎやかさが消えたここに残るのは、わんこと僕が使ったからのティーカップと茶菓子がきれいになくなった小皿。
「それにしても……」
 僕は思いだしてくっと笑った。
 この部屋に入ってきて、僕の姿を見た瞬間。「壱夜(いちや)先輩……!」と目をまん丸に見開いた驚愕のあの表情は、忘れようたって忘れられるものじゃない。
「ホントに変わってないんだから」
 くるくるとよく変わる表情は、別れた三年前そのままだった。
 笑いを抑えようとしても抑えられない。クスクスという笑い声が、一人きりの執務室にひろがる。
「今回ばかりは、父さんに感謝かな」
 あまりというか、かなり好きではない父親ではあったが、今回の件を自分に任せてくれたのは正直感謝している。そのおかげで久しぶりに、あの子に会えたのだから。

 僕のお気に入りのわんこ――スル君こと駿河(するが)は、僕がまだ学生だった頃の後輩だ。もちろん、ちゃんとした人科に属する『人間』である。
 僕が彼を『わんこ』と呼ぶのには理由がある。……まあぶっちゃけ、彼が犬っぽいっていう単純な理由だったんだけどね。
 好奇心が旺盛で、人懐っこくて、色々な表情をするスル君は、まさしく犬。僕にはたまに、たれた耳とふさふさの尻尾の幻影が見えるぐらいだ。
 スル君は、人様から『ひねくれ者』の烙印を押されている(らしい)この僕が、素直に『可愛い後輩』と認識出来る少年だった。
 ただひっついてくるだけ、可愛いだけの無能な犬ならば僕は彼をこんなに気に入りはしなかったろう。
 実際当時はそんなバカがけっこういて、僕はそんなやつらをあしらって(ぶちのめして)きたのだから。
 だが彼は、ただの犬じゃなかった。スル君は頭も悪くないし、実力もある。
 また、己の保身のために、誰にでも尻尾をふるようなバカ犬でもなかった。僕自身を知って、本当に信頼してくれてることがよくわかった。
 一見、まわりに流されてるように思えるけど、肝心なところではちゃんと自分を持ってるんだよね。なんだかんだ言って面倒見いいから面倒事に引っ張り込まれてるけど。あれが器用貧乏、苦労性って言うのかな?
 見ていて本当に面白い。一緒にいるとなおさら楽しい。
 家族嫌いである僕が、弟のように思った唯一の人間。だから僕は、あの子が可愛くてしかたがない。
 親友であり、寮の同室であった志摩(しま)もスル君のことはかなり気に入っていたようだ。
「これで今日の日記のネタが出来たな」
 机の引き出しから、一冊のノートを取り出す。けっこう分厚いそれは、いわゆる『十年日記』とやらだ。一ページに十年間の同じ日の日記をつけられるってやつ。
 これがなかなか、暇つぶしにちょうどよい。
 数行しか書くスペースはないから、何を書くかとそれほど悩まなくていいし、長く書きたい時はメモ帳に続きを書いて貼っておけばいい。
 ぺらぺらとページをめくっていると、とある一ページで手が止まる。
「芽吹きの月、六日か……」


【芽吹きの月六日
今日は入学式だった。つまりちょうど、学園に入学して一年になる。
そんなわけで新入生が入ってきた。まあ、僕より年上の新入生もいるようだけれど。
新入生代表の挨拶をしてる子が、少し気になる。小柄で歳も僕の一つ二つ下だろうに、他の生徒を押しのけ代表とは……さぞ優秀なんだろう。
頭のいいだけのつまらない馬鹿でないことを祈る。



「ああ、そうだ。この新入生代表ってスル君のことだっけ」
 ……へー、僕って最初からスル君のこと気にしてたんだ。でもあれだよね。希望どおり『馬鹿』ではなかったんだから、僕の見る目もなかなかかな?
 そんなことを思いながら、数ページ、まためくる。
「ん?」
 ひどく、筆跡が乱れている箇所がある。多分、いらついていたんだろうけど。
「なになに……」


【芽吹きの月十日
馬鹿がいた。途方もない馬鹿がいた。腹立たしいことこの上ない。
その新入生は「ずっと壱夜先輩に憧れてて……。だからこの学校に来たんです。本当は僕が代表になるはずだったのに、校長に気に入られているからってあの馬鹿は……!」とか突然しゃべり始めた。
しかもそれだけではなく「知ってますか? あの駿河とかいうやつ、親無し子なんですよ。まったく校長はなんのつもりであんな奴を代表にしたんでしょうね。学校の威厳を地に落とすつもりでしょうか」と、聞いてもいないことまで言い始めた。
……馬鹿はこいつだ。レベルが低いったらありゃしない。
親がいないからなんだ。校長に気に入られているからなんだ。僕から言わせれば、ひいきされるのも多少は実力のうちだ。
それに希陽校長は、個人的な感情だけで学校を運営する人ではない。
ああ、うるさいな。厄介な馬鹿が入ってきたものだ。】



「あー……これか」
 脳裏に馬鹿の姿が浮かんだ。『碧翠』の字(あざな)を持つ、馬鹿の姿が。
「このころから馬鹿だったな、そういえば……」
 他人をけなして、自分を正当化しようとする……僕の一番嫌いなタイプの馬鹿だ。
 実力はたしかにあるんだろうけど、その傲慢さが成長をさまたげてるって、どうして気づかないものかね?
「そういえば、最初の頃はうるさいぐらい僕にまとわりついてたんだっけ」
 一応僕も、新入生代表をやった身だ。格闘など実践に関しては志摩に負けるだろうが、頭脳戦では勝ててると自負している。
 碧翠のも頭脳戦重視の戦いをしようとしてたから、だから『憧れ』とか言ってたのだろう。
「でもあれだよね。あの直情型の性格なおさないと、頭脳戦はかなり無理な話だと思うけどねえ」
 ぺらぺらとページをめくると、また違う日付。


芽吹きの月二十日
寮の部屋に帰ると同室の志摩の姿がなかった。そしてしばらく後、機嫌よさげに帰ってき志摩の横には一人の少年……例の、代表君の姿があった。
どうしたのかと尋ねれば、どうやら代表君は放課後の食堂で上級生にからまれていたらしい。そこに志摩が乱入したという。
「いやー、こいつつえーのな! 助っ人いらねえかとも思ったんだが、あんまり多勢に無勢だからてつだっちまった!」と嬉しそうに笑う志摩を見れば、代表君がかなり強かったのは一目瞭然だ。それで気に入っちゃって、わざわざ連れてきたらしい。
……どうせ志摩が助っ人に入ったのも、多勢に無勢を見かねてというより、彼の暴れっぷりに触発されて自分も暴れたくなったからに違いないのだ。
とりあえず二人とも大した怪我はないが擦り傷だらけなので消毒だけしてやった。
代表君――駿河というらしい――はちゃんと礼を言って、それから家に帰っていった。
うん、礼儀正しい子は嫌いじゃない。】



「そんなこともあったなあ……」
 スル君は昔からいちゃもんつけられてたからなあ。
 僕や志摩を含め、はては校長までスル君びいきだったことからわかるように、けっこう人に好かれやすいし、小柄なわりに実力もあるし、なんだかんだいいつつ素行も悪くない。
 だけどそれを面白く思わない輩もいるわけで。碧翠のもそのいい例だろう。
「でも、この日からよく遊ぶようになったんだっけ」
 志摩は相当スル君を気に入ったらしく、スル君の姿を見つければからかいに行くのを僕はおもしろいと見ていた。いや、むしろ……そっせんしてからかってた?
「…………」
 ――まあ、そこはそれ。可愛い後輩に対する愛だからヨシ。
 最初のうちはとまどっていたっぽいスル君も、会う回数が増えるたびにうち解けてくれたし。
 こんなこと本人に言ったらすごい怒るんだろうけど、なんとゆーか……怯えて警戒態勢に入ってる小動物を餌付けする気分だったね。
 たいがいのペットに対する飼い主がそうであるように、僕もまた飼い主馬鹿になったわけだけど。
 そんな僕は、志摩いわく極端なんだそうで。
 気に入った人物――ようするにスル君や志摩自身などのことを指すんだろう――にはけっこう甘いし、面倒見もいい。けれど、一度敵だと認識したら容赦しない。色んな方法から完膚無きまでに叩きつぶす。それが僕だって。
 まあ、自覚あるけど。たしか志摩がこのことを呆れたようにつぶやいたのは……そうだ、この数日間の出来事のせいだったな。



【落日の月12日
今日、食堂と玄関前の掲示番に怪文書が貼り付けてあった。
怒りを忘れないよう、一字一句目に焼き付けてきた文書を書き記しておく。

* 今回演舞代表の一人に決定された格闘科一年駿河君は代表の座にふさわしくないことをここで明確にしたい。
彼の両親はそれぞれ某国の騎士団、魔法師団に所属している身だったが国から逃亡を図っていることが判明した。
二人は国を守る身であったにもかかわらず、国から、民から逃げ、お互いの傷をなめあうように夫婦になったのだ。
諸君、そのような者の血をひく駿河君が、本当に代表にふさわしいだろうか。
今一度言おう。駿河君は代表にふさわしくない。彼には汚れた血が流れているのだ。
諸君の勇気ある決断を願う。 *


誰がやったかはわからないが、ずいぶん低俗だ。おおかた今度の発表会でスル君に負けて代表からはずれた者がやったことだろう。
実にくだらない……が、やったことの責任は取ってもらう。】

【落日の月13日
怪文書を書いた犯人を捜すことにした。志摩も協力してくれるという。
スル君は気にしないでいいと言っていたが、そうもいかない。
怪文書を見た瞬間、スル君の拳は震えるほど力が入っていたし、表情が今まで見たことないくらい険しかったからわかる。
犯人が目の前にいたら殴りかかりたいぐらいには腹を立てていたはずだ。
それに、僕が気に入ってる子に手を出すのはつまり、僕に対する宣戦布告と同じだよ。
――さて犯人くん、見つけたら一生分の後悔をしてもらうからね。】

【落日の月14日
絶世の馬鹿とその相方君が協力を申し出てきた。相方君はスル君と仲がいいようなカンジだからわかるけど……馬鹿の方は少し意外だった。
むしろ、あの怪文書を作ったのはあの馬鹿じゃないかと疑っていたから。
彼にもプライドぐらいはちゃんとあったってことか。まあ、だからといって馬鹿は馬鹿のままだけど。
とりあえず、スル君にばれないように動いてるから、犯人の特定がなかなか進まない。でもあと少しだ。】

【落日の月15日
犯人が特定された。やっぱりスル君と代表を争って負けた奴等だった。
負けた奴等何人かで組んで、わざわざスル君の身辺調査までしたって……ホント、馬鹿としか言いようがないよ。
スル君が斬雪さんと暮らしてることを知って、最初は親が犯罪者か何かだろうと思ったみたいだけど……騎士団と魔法師団の、エリートだったから慌てたんだろうね。
だからあんな中途半端な情報を流したわけだ。
まあ、なんにしてもけじめだけはしてもらわなきゃ。】

【落日の月18日
昨日、一昨日と動き回ってたから日記を書けなかった。この日記にしてから初めてだな。……残念だ。
例の馬鹿ども……怪文書の主たちは学園追放に決定した。僕は特に何もしてない。
ただ、彼らが寮内で下級生を対象にかつあげもどきや恐喝もどきをしていたことを志摩と一緒に話していたところを、教師に見つかっちゃっただけ。
そして、その証拠品を匿名で送ったりしただけ。
全部、自業自得だ。あんなことがなければばれなかったのにねえ。
ついでに例の怪文書の謝罪文もちゃんと書いてもらったし、これでようやく一安心。】


「……懐かしいなあ」
 こんなこともあったっけ。
 ズルしないで実力で勝ち取った代表の座なのに、あんなイヤガラセされるなんて本当にスル君苦労性だよね。まあ、誤解はとけたからいいけど。
 証拠品は色んな人たちにお願いしたら、こころよーく協力してくれたしね、うん。
 でも、志摩だってじゅうぶんやる気満々で協力してくれたのに、僕だけ悪人みたいな言い方しないでほしいものだ。
「――支部長代理、失礼してよろしいでしょうか」
 唐突にノックの音が部屋に響いた。
 あわてて僕は、十年日記を机の中にしまい込む。
「はい、どうぞ」
「支部長から連絡が入っております」
「わかった、今行こう」
「お願いします」
 ……しかたがない、思い出に浸るのはこれくらいにして、仕事に戻ろうか。
 今日の日記のネタはスル君、そう心に留めて、僕は執務室をあとにした。

                 〜とんでもねぇ勇者ども外伝・罠日記 終〜




アトガキ
こんにちは刃流輝(ハル・アキラ)です。
『とんでもねぇ勇者ども外伝・罠日記』をおおくりしました。
みつきさんのキリリクに沿うつもりで書いたのですが……なんか、びみょーに違う?(汗)
壱夜が『くえない人物』というよりも、単なる『駿河馬鹿』に。
卒業から現在に至るまでのはずが、在学中の話になってしまいました……ごめんなさい!
こんな作品ですが、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
それでは。

                                 2004,03,11 



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