Mistake And Fatality



《ご、ごめんなさい。実は、間違えました……!》
 と、そいつは言った。



 どうもここ数日、体の調子がおもわしくなかった。
 肩のあたりがみょうに重く、なにをするにもやる気がでない。頭も痛いし、なんだか吐き気もする。
「あー、もう……なんだっていうのよ」
 忌々しげにつぶやいて、エレナはベッドの上でごろりと寝返りをうった。
「気持ち悪いったらありゃしない……」
 動いて動けないこともないが、出来ればじっとしていたいというのが本音だった。そして、原因もこれといって思いつかず、とりあえず寝るぐらいしかすることもない。
「風邪とも違うみたいだしなあ」
 言いながら、またごろり。
 その時、ドアをノックする音が部屋に響いた。
「どーぞー」
 どこまでもなげやりに応対すると静かにドアがひらき、そのかげからひょっこりと顔がのぞいた。
「お姉ちゃん、だいじょうぶ……?」
 妹のレティだった。
「あー、七、いや六割だいじょうぶ……」
「ろ、六割……」
 ベッドにたおれこんだまま、顔だけむけて返答する姉に、妹はしごく不安にかられているようだった。つぶやいたまま、その場でつったっている。
「なーにー。どーかしたのー?」
 こんな状態の姉にいっていいのか……そんな逡巡をレティは見せたが、思い切ったように口をひらいた。
「あのね、お客さんが来たの」
「――客。客といいますと……それは金づる?」
「か、金づるって……」
「カモでもよーし」
「お姉ちゃん!」
「はいはい。わかってます。お客様は神様でっす!」
 よっこらしょっとかけ声をかけて体を起こす。やはり肩が重い。
 少しだけ顔をしかめるエレナを、レティは心配そうに見つめてくる。
「ねえ、今日はお断りしようか?」
「うんにゃ」
 ベッドから飛び降りて、肩を回す。だるいが動けないわけではない。簡単な仕事なら出来そうだ。
「この商売、信用第一だからね。せっかく来ていただいたんだ、やるよ。今行くから待っててもらって」
「……わかった。じゃあ私、接待してるね」
「うん。よろしく」
 カモ――否、客のところにもどってゆく妹を見送ってから、エレナは思いっきりのびをした。そして、イスにかけてあった仕事着にきがえ、必要な髪留めなどを片手に鏡台の前に座る。
 閉じてあった鏡の扉をひらき、そこにうつる自分の姿を――そしてその後ろを見た時、エレナは思わず叫ぶことになった。
「な、なんですってええええええええええええ?!」
 思わず、鏡を凝視する。その次の瞬間には、バタバタという音とともに、レティが慌てふためいて駆け込んできた。
「お姉ちゃん、なにかあったの!?」
「…………」
「お姉ちゃん!?」
 エレナは、固まってしまったような自分の体にムチを打ち、首だけむりやり動かしレティの方を向いた。
「――ごめん、レティ……お客様には帰ってもらって」
「え? それは別にいいけど……」
「それともう一つ。今部屋を出たら、私がいいっていうまで来ないで。このまま放っておいてほしいの」
 姉の言葉にレティは目をみひらく。
「そんなに調子悪いの?」
「うーん、似たようなものね」
 それだけならどんなにいいか、と心の中でのみつぶやいて、レティは妹を部屋の外に送り出した。
 部屋にはエレナ一人のみ残されたように見える。しんとした部屋の中、なんの気なさそうに言った。
「――さあ、でてらっしゃい。遠慮は不要よ。それとも……」
 すっと青い瞳を細める。そこには間違いなく剣呑な光が宿っているだろうことを、エレナは自分でわかっていた。
「むりやり引きずり出して欲しい?」
 反応はすぐにあった。
《や、やめてください!! 今出ます、今出ますからあっ!》
 慌てるような、とても情けない青年らしき声音がした。しかしそれは、質感のある『音声』としての声ではなく、『思念』としての声だった。
 それと同時に、エレナの前には青白い光でおおわれた、耳の尖った青年がきちんと正座した姿で現れた。そう、鏡ごしに自分の後ろに憑いているのが見えた相手だった。
《ごめ、ごめんなさい! どうか、どーかっ暴力はやめてくださいいいいっ!! お願いですから退治しないで、退治しないでえっ!!》
 どこまでも腰が低い、むしろ低すぎるその様子に、エレナは逆に度胆をぬかれた。
 しかも、よく見れば半泣き状態である。
 ――いったいなんなの、こいつは……。
 『仕事』をやってはや数年、こんな人外エレナは見たことがなかった。


 エレナの仕事とは、いわゆる『呪術師(じゅじゅつし)』である。
 一口に『呪術師』とはいっても、占いを主にする『占術師(せんじゅつし)』、魔に憑かれた人から魔を祓う『祓い師(はらいし)』、病人への対処をになう『薬術師(やくじゅつし)』、魔を祓うのではなく退治をする『退魔師(たいまし)』など、多数の種類がある。
 普通はそれらのどれか選び、専門化するわけなのだが、エレナはあえて一つを選ばず、総合的に学んでいる。どれかが飛び抜けて出来るわけではないが、その代わりどれも平均以上の実力を持つようにした。
 最近ではその噂を聞き及び、近所の人々だけではなく、遠いところから来てくれる人も増えた……そんな時に。
「なあんで私に取り憑いてくれちゃったのかしら、あなたは?」
 にっこりと、怒りを込めた満面の笑みで見つめれば、いまだ半泣きの人外は、ビクリと体をふるわせる。なんだかこちらが悪者になった気分だった。
 しかし、ここ数日の調子の悪さは、まず間違いなく目の前の人外の仕業であろう。
 わざとにしろ、そうでないにしろ、彼がエレナの後ろに憑いていたおかげで、体力の消費も激しく、肩も重かったわけである。
《ごめんなさい、ごめんなさい……》
 泣いて謝り続ける人外に、エレナは一つ息を吐く。
「ごめんなさいばっかりじゃわからないでしょう? なんで私に憑いたのよ……君、使い魔でしょう?」
 エレナの『使い魔』という言葉に、人外は涙を少し引っ込めてゆっくりうなずいた。
《はい、そうです……》
 使い魔とは、呪術師が補佐役として使役する魔物や精霊などのことである。呪術師の実力に応じて、色々な種族を使役することが可能となる。もちろん、エレナ自身もいく人かの使い魔と契約を結んでいる。
「だったら、なんで私に憑けたのよ。使い魔は主人の命令なしにそんなことは出来ないはず……」
 そこまで言ってはたと気づく。
「まさか……君の主人は外道呪術師なの?」
《…………》
 答えをためらうような沈黙が、何よりの答えだった。
 外道術師とは、金品やそれ以外でも自分の利益を報酬として、人に仇なす呪術を使うなどの、『道』からはずれた行いをうけおう呪術師のことをいう。
「ん? ってことはなに、誰かが私を呪って欲しいって頼んだってわけ?!」
 いったい誰が……! と怒りに燃えるエレナに、ためらいがちな使い魔の声がした。
《あ、あのですね……》
「なによ」
《主人に命令されたのはたしかなんですが……》
 そこで腰の低い使い魔は、今度は土下座をした。
《ご、ごめんなさい。実は、間違えました……!》
「はあ!?」
 使い魔――名をアトリックというらしいが――いわく。
 本当は彼、アトリックの主人が頼まれて呪おうとしたのはエレナではなく、妹のレティだったらしい。
 頼んだのは最近レティにいいより断られた金持ちのボンボンA(仮名)。自分をふった恨み、という理由でそんなことを頼んだ至極単純ではた迷惑な……しかし金払いだけはむだにいい男だったという。
 主人に命じられ、レティに取り憑くべく来たのはいいが、エレナの魔力に魅せられ、ついつい間違って取り憑いてしまった。
 『取り憑いて殺せ』という命令を受けた以上、実行しなければ主人の元には戻れない。けれど人違いである上に、魔力が大きいのでエレナはそう簡単に殺せはしない。
 どうしようどうしようと迷っているうちに、とうとうエレナに見つかってしまった……とまあそういうわけらしい。
「間違いって、き、君ねえ……」
 間違いで取り憑かれるなんてしゃれにもならない。怒りで拳をふるわせるエレナに、アトリックは《ひいっ!》と身をすくめた。そしてまた泣き出す。
《だから無理だって言ったんですよご主人さまー! だいたい人に取り憑いて殺すなんて僕はいやなんだ……今までだって全部失敗したのにどうして解放してくれないんですかあ、うわーんっ!!》
「ええい、うっとうしい! びーびー泣くなっ!」
 あまりのうっとうしさに思わず怒鳴った。しかし、そこでふと気づいた。
 よく考えてみれば、自分に取り憑けるということが出来る自体、この使い魔はそうとうな力を持っている証ではないのか。
 たいていの使い魔は、エレナ自身の使い魔であるか、エレナが許可を出さない限りこの家に入ることすら出来ないはずなのだ。
 しかも、アトリックは言った。『今までだって全部失敗したのに』と。
 使い魔というものは、主人の命令を無視することなど出来ない。なのに、この使い魔は失敗してばかりという。今回みたいに取り憑く相手を間違うというのはかなりの例外のはず。ならば。
「アトリック。君、今までのターゲットには取り憑かなかったの?」
《はい。人に取り憑くなんて、かわいそうで……。今回は、成功しなかったら僕のことを消滅させるっていったんです。だから……》
「なるほど」
 やはり。主人の命令を無視するなど、かなり巨大な力を持ってなかったら無理なはず。それほどの使い魔が外道呪術師に使われているなんて。
「――もったいないわね」
《え……?》
 何を言い出すのかととまどうアトリックを真っ直ぐに見つめる。
「もったいないって言ったのよ。君、私に使役される気ない?」
《え、ええ?!》
「私は、君をそんなふうに、呪いの道具として使う気はない。正式に、補佐として君に使い魔となって欲しい。なんなら、誓約書だって書いていい」
 エレナの言葉に、アトリックはかなり心を動かされたようだ。しかし、まだもごもごと何かを言っている。
《でも、ご主人様との契約が……》
「君とそのご主人の契約、正式なもの? かなりあくどい方法でつかまったんじゃない?」
 もしそうならば、契約は不完全なはず。つけいるスキなどいくらでもある。
「それに、君のご主人が外道呪術師ならば君の証言で呪術師としての資格を破棄、魔力を封印することが出来る。そうすれば、なんの問題もないでしょう?」
 呪術師には組合があって、厳しい規律が決められている。外道呪術師は捕まると、一生呪術師としての力を封じられるのだ。
《……本当に、補佐としてだけですか?》
「約束するわ。あなたみたいな、優秀な補佐がほしいの!」
 しばらく迷うそぶりを見せた後、アトリックはすがるように言ってきた。
《なら僕は……あなたの使い魔になりたいです!! もう、あんな命令をされるのはいやだ》
「――仮契約、成立ね」
 ……この時エレナは、呪術師らしく毅然とふるまいながらも、心の中では晴れ晴れしいまでの笑顔でこう思ってたという。
 ――ラッキー。いい拾いモンしちゃったわ。

 後に、とある外道呪術師が、エレナの活躍と、かつての使い魔であるアトリックの証言で組合に拘束され、資格を剥奪された。そして完全に自由になったアトリックは呪術師エレナの補佐使い魔として、契約をしなおした。


 ――後世の文献には、伝説の呪術師エレナの隣には、穏やかな物腰の使い魔の姿が常にあったと、そう伝わっている。

  ――終――


アトガキ
たまっていたキリリク第二弾。
箔白様のリクで、お題は『ドジな魔物とそれに憑かれた女性』でした。
こ、これって……ドジ? マヌケの間違いじゃなくて?(汗)
なんだか微妙に違う作品になってしまたかもしれませんが、箔白様どうかお受け取り下さい。
  
2004,01,26



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