「メモリー “E”side」 (エンポリオ&アナキス)
僕がみなしごだと話したら、徐倫・・・アイリンお姉ちゃんは僕をとても心配してくれて、自分のお父さんに僕がカルフォルニアの住民カードを取れる手配をしてくれるよう頼んでみると言ってくれた。
手続きが済むまで一緒に住もうとまで言ってくれて、
お姉ちゃんはいつも、いつでも、とても優しい。
僕がお姉ちゃんと住む事についてはアナスイ(正しくはアナキス)が異議を唱えたので結局僕はアナスイの家に行く事になった。
アナスイはとても不満そうにしていたけれど。
 
僕はこっそり心の中ではアイリンお姉ちゃんを「徐倫おねえちゃん」、アナキスを「アナスイ」、お姉ちゃんのお父さんを「承太郎さん」と呼んでいた。
皆もうあの日々の記憶はなくて違う人生を歩んできた「別人」なんだけれど。僕の中ではやっぱり「徐倫お姉ちゃん達」だった。
 
新しい世界の皆の中で、一番前と違っていたのはアナスイだと思った。
元の彼は・・・特に徐倫お姉ちゃんと出会う前の彼は本当に恐ろしくて、僕はずっとアナスイのそばに近寄れなかった。
けれど今の彼は殺人鬼ではないし、物をいじるのは好きみたいだけれど分解魔でもない。
あの頃と同じなのは、お姉ちゃんを大好きだ、という事だけだ。
 
一緒に暮らす事になって、食事作りは僕の当番になったみたいなのでアナスイが帰ってくる頃に合わせてテーブルにお皿を並べる。
アナスイはサラダにトマトが入っているのが気に入らないみたいだったけれど
「美容にいいよ」
と言うと渋々口に運んでいた。
容姿を気にかけているのは今も同じみたいだ。
寝る場所に関して「ソファーでいいだろ」と言われたのはピアノの中でしか休んだ経験のない僕には嬉しいことだった。
けれどアナスイは僕の反応が意外だったようで、少しの間の後
「俺の寝室の空いてる方のベッドを使っても構わない」
と、付け足してきた。
「いびきをかいたり寝相がひどかったりしたら叩き出す」
と言いながらパジャマのない僕に古着でいらない物だからと、自分のシャツも貸してくれた。
・・・すごく驚いた。
 
夜になってベッドの中から横目でアナスイを見るともう寝てしまったようだった。
アナスイの寝顔を見るなんて前はなかった事だからとても不思議な感じがした。
ここは刑務所じゃないし音楽室の幽霊の中でもない。
新しい、全く違う世界であの時間に戻る事は二度とない。
そう考えると胸の奥がひどく痛くなってくる。
決して良い思い出が多くあるわけじゃなかった。
顔もおぼろげな母親は気が付いたら手の平に収まるくらいの小さな骨になっていた。
「ホワイト・スネイク」の影におびえながら刑務所の壁の隙間の空間に隠れて暮らした。
毎日何の変化もない、灰色に染まった時間の繰り返しだった。
それでも「ウェザー・リポート」と「アナスイ」は言葉を交わすことのできる只二人の「人間」だった。−徐倫お姉ちゃんが来るまでは。
 
『アナスイ・・・アナスイが、徐倫お姉ちゃんが、皆がいたから僕は生きてるんだよ』
『皆が僕を逃がしてくれたから神父と戦えたんだよ』
僕はアナスイに、徐倫お姉ちゃん達にずっとそう言いたかった。
 
 
漆黒の世界がぐるぐると回る。
生きている者を置き去りにして時間が狂った速さで流れていく。
<神の意志だ>と言いながら神父が皆を・・・徐倫お姉ちゃん達を殺してゆく。
生命を失い、「物」と化した皆の体が時の流れの中で崩れて・・・消えてゆく。
 
 
僕は叫んでいたのかもしれない。
目を開けると「アナスイ」が僕の顔を覗き込んでいた。
よかった。全ては夢だったんだ。皆、生きているんだ。
そう安堵した瞬間
「エンポリオ?」
と、いぶかしげな相手の表情にハッとする。同時にここが刑務所でも宇宙センターでもないことに気付く。
僕がしがみついていたのは「アナスイ」じゃない。
そうわかった途端涙が止められずに目から落ちる。
「悪い夢でも見たか」
そう聞いてくるアナキスの言葉に答えられずに僕はただ首を横に振った。
 
僕が泣き止むまでアナキスはそばにいてくれた。
・・・いてくれたと思ったのは僕が彼の服の袖を握りしめていたせいだったかもしれないけれど。
アナキスは黙ってそのままでいてくれた。
窓の外には新月が浮かんでいた。
夜風に流れた彼の髪は、あの時海に出ろと叫んだ彼と同じ匂いがした。
 
次の日の朝、アナスイ・・・アナキスはいつもより遅く起きてくると朝食の乗ったテーブルに目を向ける。サラダの中身に眉をひそめた後。僕の方を見て何か言いたそうにしながら黙ってイスに座った。
 
朝食の後、彼は鏡をのぞき髪を整えながら僕に
「出かける用意をしろ」
と言ってきた。
何の事かと思っていると今日はアイリンお姉ちゃんのお父さんが顧問をしている水族館に行く予定なのだと言う。
「僕も一緒に行っていいの?」
と聞くと
「お前がいなくちゃ意味がねえんだよ。
彼女と彼女の親父さんに俺とお前が上手くやってるって、ちゃんとアピールしてくれよ?」
と、にやりと笑って僕の肩をポンと叩いてきた。
 
車でお姉ちゃんの家に着くとアイリンお姉ちゃんが優しい笑顔で出迎えてくれた。
僕も笑って手を振りながら、ふと思う。
 
いつか・・・いつか僕の中で、徐倫お姉ちゃんやアナスイが今のお姉ちゃん達ともっともっと重なって、心の中でも「アイリンお姉ちゃん」、「アナキス」ってもっと自然に言える日が来たら、
前の世界の出来事を皆に話す事が出来るかもしれない。
 
遠い思い出のように。
刑務所での出会いの事を。
皆で過ごした不思議な日々の事を。
 
 
                      終

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