家に帰ると最近一緒に住む事になった同居人
−『エンポリオ』が出迎える。
「夕飯出来てるけど・・・どうする?」
伺うように言ってくる。
あの日逆ヒッチハイクで拾った少年は孤児だった。
俺の恋人アイリンは何故だかひどく少年に思い入れて彼女と同棲するために近所へ引っ越そうと考えていた俺に
「しばらく面倒を見てあげて」
と、頼んできた。
冗談じゃないと即座に断ろうと思ったが運悪く彼女の親父さんの前だった。
・・・心象を悪くしたくないあまり「OK」と言ってしまった自分が憎い。
「自分の事は自分でやれ。家の掃除、朝食と夕食の支度はお前の仕事だ。」
少々荒く接すれば早々にこの家から出たくなるだろうと思っていたら嫌な顔もしない少年の態度に、こちらの方が調子を狂わせられる。
俺がイスに座るとテーブルには既に食事が並べてある。
サラダに入っているトマトに顔をしかめると
「あのね、トマト嫌いかもしれないけれど美容にいいんだよ」
と、エンポリオが先手を打つようにすすめてくる。
・・・・なんでコイツ俺の好き嫌いを知っているんだ。
夜になり俺が寝室に横になると隣のベッドにエンポリオも入ってきて端に丸くなる。
当初は「手厳しく」ソファーにでも寝かせるつもりだったが
「ソファーで寝て良いの?とピアノの中でしか寝たことなかったんだ」
などと逆に嬉しそうにするので反応に困ってしまった。
今までどんな生活をしてきたのか。
深夜、声の気配で目を覚ますとエンポリオがうなされていた。
毎晩何か悪夢を見ているようだったが今夜は特にひどいようだ。汗をかき、涙をにじませている。
さすがに起こした方がいいかと思い彼の肩を揺さぶった途端、突然エンポリオが飛び起き俺にしがみついてきた。
「アナスイ・・・!!
良かった・・生きていたんだ!!!」
「エンポリオ?何を言ってるんだ?」
声をかけると少年は我にかえったようで、改めて俺と部屋の中を交互に見渡すと
「う・・・う・・・っ」
と、嗚咽を漏らして泣き出した。
「なんだよ、悪い夢でも見たのか」
話しかけてもエンポリオはただ首を横に振るだけだった。
<アナスイ>
少年が呼んだ名前を心の中で繰り返してみる。
どこかで聞いた様な、微妙に俺とは違う「名前」。
目の前で泣きじゃくる少年に視線を落とす。
彼は初めて会った日も泣いていた。
俺や、アイリンの顔を見て。
エンポリオが俺のシャツの袖をつかんだまま泣き続けるので横になるわけにもいかず、俺はベッドに背を預け窓の外を見上げた。
(・・・ああ、今夜は新月だったな)
そう、俺はいつだったか「月の時」を追いかけていた。
誰だったか、大事な仲間たちと一緒に。
その記憶はいつも形を作る前に溶けて消えるのだ。
<・・・エンポリオ、お前はどこから来たんだ。>
ふと、そんな言葉が頭をよぎる。
月は細い輪郭を夜の闇に浮かべながら、ただ静かに光り続けていた。
朝になると何事もなかったかのように少年は朝食の準備をしていて、俺が起きる頃にはテーブルにサラダと卵が並べられていた。
当然のように皿に鎮座するトマトに抗議をしたくなるが、多分また言いくるめられるので黙ってイスに座る。
何故だかコイツは俺のペースを読んでくるのだ。
サラダの中身をかき回しながら、目の前の小さな背中を見つめる。
少年が見た昨夜の夢の事を聞いてみたいと思ったが、こちらから尋ねるのは多分良くない事だと何故か漠然と思う。俺の中の何かがそう言っている気がして。
そういえば今日は休日だった。アイリンをデートに誘おう。
約束は取り付けていないが「エンポリオが会いたがっている」といえば彼女は多分断らない。
お荷物も考えようによっては使えるものだ。
この調子でアイリンの親父さんへの点数も稼げないものか。
そう考えながら俺はフォークでトマトを突き刺した。
終
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