「トラフィック」その5&6 (アイリンの独り言、交差点)
■■■その5(アイリンの小さな愚痴)
 
昼過ぎの商店街。
あたしは親友と夕方の準備のために買い物に来ている。
<激安>
の札と群がる集団。
あのフルーツ、彼が好きだったっけ。
近寄ろうとしや瞬間に後ろからオバさんに突き飛ばされた。
腕で押しのけられ体制を崩す瞬間に足を引っ掛け返す。
あたしの横を斜めに飛んだ相手はそのまま売り場の人だかりに突っ込んでいった。
将棋倒しで大騒ぎになっている黒山の端から目当ての品をつかんで親友に投げれば彼女もウインクを返してくれる。
 
そういえば、休日に彼と出かけていないなんて久しぶり。
「本当は今日、何処へ行く予定だったんだ?」
親友が横目であたしを見るので
「遊園地」
と答えるけれど彼とのデートは正直微妙。
 
美術館だって映画だって。展示物や映像よりあたしの方を見てる。
この前ひどく泣ける映画を観て、
「感動したわね」
って涙ぐんだら
「オレもすげえ感動したぜ。泣いている君が綺麗でさ・・・」
なんて言うし、美術館で古代の壷の展示が長蛇の列で
「凄いわね」
と驚いたら
「でもあれレプリカだぜ?皆気付かねえのかなぁ。
まさか展示してる側から騙されてるって事、ないよな?」
と気分を台無しにする。
 
そのくせ別れ際にいつも
「今日はすげえ楽しかったぜ」
なんてニコニコしてるから
じゃあ、何処に行ったって何見たって、二人ならイイって事?と聞いてみたら
「何処でもいい。みたいなデートだったら、君が楽しくないだろ?」
・・・と、返してくる。
 
町を彼と歩けば
「ほらあいつ、ずっと君をみているぜ。
君が魅力的なんで気になってやがんだ。ふてぇ野郎だぜ」
なんて囁いてくる。
でも、本当は、注目を集めてたのは彼の方。
彼の綺麗な顔はすごく人目を引く。
 
父さんもよく女の人に騒がれていたっけ。
父さんの後を付いて回りながら、あたしはいつも誇らしくて
少し、寂しかった。
 
アナキス。
あたしを女神みたいに扱う人。
最初に出会った時不思議な感じがした。
何か、この人に言わなきゃいけない事があるような。
あたしが彼に少し甘えれば彼は泣きそうに顔を歪めて
「俺、いつ死んでもいい」
って笑う。
その言葉が嫌いで。あたしは彼にいつも意地悪をしてしまう。
 
鍵をなくした金庫を開けたり、車の修理は出来るけれど、芸術はわからないって言う人。
あたしをすぐに怒らせるけど。あたしを叱ってはくれない人。
あたしを誰よりも当惑させて・・・誰よりも優しくしてくれる人。
 
「さっきからメール確認ばかりしているけど、気になるならもう許して連絡してやれば?」
親友があきれたように背中を叩くからあたしは弾みで赤くなる。
「ち、違うのよ、えっとさ、あいつメール魔だったから・・・」
 
以前なら喧嘩をすれば10分おき位に
『まだ怒ってる?』
だの
『あやまる』
だの連送してきたのに。
きっと父さんの所に行っているのだろう。
彼と父さんを会わせてから。アナキスが必死になっている事。
 
海に近い市場はいつも潮の香りがする。
公園に続く階段の手すりにもたれて親友は両手の人差し指と親指で「□」の形を作りながら呟いた。
「大きな空を見上げるとさぁ、なんか枠で囲いたくならねぇ?
あたし達・・・そんな形の空を眺めてたような気分になるんだよな」
彼女はあたしの方に向き直ると真剣な顔で言葉を続ける。
 
「“あたし達”・・・ってさ、
もう一人・・・いなかったっけ?」
 
あたしは
うん。
と呟いて空を見上げる。
あの頃あたし達、いつも一緒に切り取られた空を見ていた。
 
あの人もあの頃みたいに、時々はあたしを強引に抱き寄せたりしてくれても良いのに。
顔に手を寄せて
<愛してるぜ>
って言ってくれた時みたいに。
 
 
 
・・・・・・・・・・・・?
 
それって、
いつの、話だっけ?
 
 
 
■■■その6 (トラフィックス)
 
電話をしていたアナキスが受話器を置くなり上着をはおって僕の背中を掴み上げる。
 
アナキスはものすごい早足で駅の方角に急いでいて、掴まれたままの僕の体は半分宙に浮いていた。
道の途中でシャンパンを買い、電車に飛び乗る。
「ど、どこにいくの?」
と聞けたのは電車が走り出してからだった。
 
「決まってるだろ、彼女の家さ」
アナキスは襟を直したりしながら
「親父さんへのプレゼントが効いたな・・・」
とか、ブツブツ独り言を言っているけれど、僕には何の事かわからない。
でも彼女=アイリンお姉ちゃんの家へ向かっているという事は仲直りができたんだろう。
お姉ちゃんは優しいから僕も呼んでくれたのかもしれない。
・・・僕がいて邪魔じゃないのかな?
 
「どうして車じゃなくて電車でいくの?」
と訊ねると
「さあなあ。なんか、新作披露パーティーをするとか何とか言ってたな?」
アナキスは上機嫌だ。
 
外は日が落ちて暗くなって来ていた。
1度乗り変えて7つ目の駅。
ドアが開いた瞬間痩せた男の人がアナキスにぶつかってホームを駆け下りていく。
男の人がアナキスの背中を押しのけた時、アナキスの上着から財布を抜くのが見えて僕は声を上げる。
「ア、アナキス、財布をすられちゃったよ」
慌てて見上げれば、アナキスがすられた筈の自分の財布と、見たことのない別の財布を持って中身を確認している。
 
「あんまり入ってねえなあ」
そんな事を呟く彼のセリフで状況をやっと理解する。
「い、いけ・・・」
いけないことなんでは、と言おうとするけれど
「戻ってきたら返してやっても良いけどな。
お前が声を挙げたせいで大慌てになっていたからな。
まだ逃げていて気がつかねぇんじゃないかなぁ。」
アナキスは軽く口笛を吹きながらつばの広い帽子を被りなおす。
 
「・・・・・・・・・・・」
一体どんな手さばきなんだろう。
あっけにとられていると、アナキスはどんどん先に行ってしまうので僕は急いで彼の後を追う。
 
一番星が輝きだした頃、お姉ちゃんの家に着く。
アナキスがドアの前に立って呼び鈴を鳴らそうとした時、中から
『で、来るって言ったか?』
『一応・・・留守電には入れておいたけど、わかんないわ』
といった話し声が聞こえる。
「あのやたらうるさい女も来てるのか・・・」
アナキスが肩をすくめてベルを押すと
「早かったのね」
とお姉ちゃんがドアを開けてくれる。
 
「アイリン!」
アナキスがお姉ちゃんに抱きついてキスをしようとする。
ばつが悪くなって二人に背を向けるとエルメェス(今は名前が違うけど)と目が合った。
エルメェスは両手を軽く上げながら挨拶をしてくれた。
 
「皆の前でしょ・・・!」
アナキスに訴えるお姉ちゃんの小声を後にして、僕はエルメェスと一緒にリビングに向かう。
テーブルの上には真っ赤な円柱が置いてあった。
「アイリンの新作菓子なんだけどな、他にも食うもんあるから、お前好きなのとって良いからな。」
エルメェスが玄関の方をちらりと見てから僕に耳打ちをする。
あ、これ、パイだったんだ・・・
 
お姉ちゃんの新作イチゴパイはアナキスがほとんど食べてしまった。
「すげえ上手いぜ」
って大喜びだったけど、アナキスはお姉ちゃんの作るものならなんでも
「美味しい」
って言うから、作る側としたらどうなんだろうと感じるときもある。
でもアナキスもこの間とか異臭がするお姉ちゃん作の
『お父さんの生まれ故郷のお国料理』
を全部食べた後、腹痛と発熱で2日間寝込んでしまったのに
「何が原因だろうな?」
って首をかしげていたからバランスが取れているのかもしれない。
 
他にもいろいろエルメェスとお姉ちゃんが作った料理が出てくるみたいなので、
「車でなく電車」
を提案したのは万が一の事を考えてのエルメェスのアイデアだったのかもしれない。
ちらりとお姉ちゃんたちを見上げると、アイリンお姉ちゃんは僕がまだ心配をしてると思ったみたいで
「喧嘩なんて初めからしてないのよ。騒がせてごめんね」
と僕の頭をなでながら微笑んでくれた。
 
シャンパンを開けた時、玄関の窓越しに大きな影が動いてベルが鳴る。
お姉ちゃんがドアを開けると承太郎さん・・・アイリンお姉ちゃんのお父さんが帽子を目深に被って立っていた。
「来てくれるなんて思わなかったわ」
お姉ちゃんは嬉しそうだった。
アナキスは真っ赤になった口や指を慌ててナプキンにこすり付けている。
 
「やれやれだぜ・・・」
承太郎さんが溜息がちに言うと、抱えられていた鉢植えの青い花が小さく揺れた。
 
 
 
完 (2004.9.2/10.18)

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