「トラフィック」その3&4(アナキス、花屋、海洋学者)
■■■その3(アナキス花屋にて)
 
<ウェザー・リポート>
と看板に書かれた花屋にアナキスは入る。
店にはいつも女性が一人。
すぐに奥から飛び出してきて「何かお探しですか?」などと言って来ない店の雰囲気が気に入って、車で近くまで来た際にはここで花束を買う事に決めている。
 
彼女の夫(?)は常日頃、旅に出かけているらしい。
写真家なのだ、とか、旅行記を書いている冒険家なのだ、とか噂はいろいろだ。
男の方が不在がちなのはアナキスにとっては好都合だった。
男は、アナキスが恋人アイリンと義父に会いにいくドライブの途中、ヒッチハイクで車に乗り込んできた人物だ。
寡黙で深い色の瞳を持つその男性を、アナキスは少々苦手だと思っていた。
 
 
昔、遠い街から彼女はその男と二人でここにやってきたのだそうだ。
両親に反対され、逃避行をしてきたのだと。
 
真意の程はわからない。
花屋の近くに住むおしゃべり好きの老婆が話していた事だ。
 
店の奥では女性が切花を整えながらアナキスと目が合えば軽く会釈をしてくる。
『御用ができたら、言って下さいね』
といった感じに。
 
自分よりも年上だろうが、少女のような雰囲気の女性だ。
あまり他人に関心を持たないアナキスも「かけおち」という言葉には少なからず興味が湧く。
最近その事でアイリンと気まずくなったからだ。
 
店の壁にはどちらの家族のものか、初老の男女の写真が飾られている。
更にカウンターの写真立てには聖職者の服を着た男性。
 
ふいに、微かな風が吹いた。
店先の花が軽く揺れる。まるで会釈をするように。
途端彼女が顔を上げ、表情がほころぶ。
『あの人が帰ってきた』
と、輝く瞳が言っている。
 
他人と己を比べるつもりはないが、恋をする女性とはこういうものかと漠然とアナキスは思う。
視線を感じたのか、女性は頬を赤らめ
「もし、彼女への花をお探しでしたら、綺麗なものがありますよ」
と、微笑んだ。
 
いや、自分が今探しているのは男性に贈る花で、ゆえに決めかねているのだ、
と、心の中で思いつつ後ろを見れば、いつの間にか背の高い男が立っている。
浅黒く日焼けをした灰色の髪の男。
彼は女性に微笑みかけながら、店の隅に視線を流す。
 
男の視線の先を何気なく追うと、小さな鉢植えが置かれていた。
花弁の形が、贈りたい相手・・・アイリンの父をどことなくイメージさせる青い花だった。
 
鉢植えを手に取りアナキスは早々に店を出ようとする。
狭い店の中、男の近くに立つのが何となく癪にさわるからだ。
 
外へ出ようとした時、男が独り言のように呟く
 
「昼すぎから雨が降る。・・・注意した方がいい」
 
女性の傍らに立つ男を横目で見て、アナキスは無言で帽子を目深に被りなおした。
 
 
花屋<ウェザー・リポート>はいつもそよ風と、春の日差しの香りがしていた。
 
 
 
 
■■■その4(憮然とした海洋学者)
 
“彼”が来た事は研究所内の空気が、特に女性職員の雰囲気が急に華やぐのですぐにわかる。
憂鬱な瞬間だと、研究室の主の男は思う。
 
青年は週に1、2度自分に会うため此処へ足を破婚で来る。
自分の娘との結婚の許しを請うためだ。
 
自分の顔を覗きこまれた拍子に青年の長い髪がこちらの顔に当たった事があった。
顔をしかめると青年は
 
「そうですよね。鬱陶しいですよね。」
 
と、いきなり机の上にあったハサミを手に取り髪を切り出した。
 
驚いた自分がハサミを取り上げようと彼の腕を掴み上げる形になり、
丁度お茶を出すため部屋に入ってきた女性職員は悲鳴を上げるしで大騒ぎになってしまった。
 
「そんなに結婚に反対だったら
そこの断崖から飛び降りたら娘をやる、と言ってみろよ」
 
と、昔馴染みが妙な助言をくれた事があったが
きっと冗談にならないだろう。
 
そんな彼の訪問に居留守を使う自分を周囲はもう少し理解してくれても良い筈だ。
 
「少し変わっているけれど、大目に見てあげて欲しいの」と、娘は言うが
少し、どころなものかと深いため息が出る。
 
博士、可哀そうですよ。もう1時間も待たれてるんですよ。
女性職員達が口々に自分の背を押すようにせかす。
 
水族館に隣接した研究センターに不釣合いな風貌の青年は何故か女性職員の情を引くらしい。
 
青年に会うことをためらう理由はもう一つあった。
彼の瞳を見ると頭痛がするのだ。
海と、空と、透明な色。
自分はどこかで、そんな景色の下、同じ瞳を見た・・・
 
それは鈍い、棘のような波と共に押し寄せてくる既視感だった。
ひどく辛いような、それでいて痛む程懐かしい奇妙な感覚だ。
 
目の前の青年に口をついて尋ねてしまいそうになる。
記憶の底にこごる何かを彼も共有しているのかと。
他人に言えば一笑されるような衝動だと男は自分を制す。
 
研究所の空気に重い腰を上げ、エントランスに向かう。
階段を途中まで下りたところで前庭を望む窓から車が走っていくのが見えた。
 
今お帰りになりました。また出直しますって。
受付女性職員のどことなく責めるような表情に男は居心地を悪くする。
 
これ、博士へ御土産ですって。風鈴草ですよ。
そう言って職員が渡してくれた鉢植えは青い花弁を揺らしていた。
何故自分に花なのかと鉢を抱えて沈黙していると
博士の好きな星型ですね。
と職員達が花の形に興味を示す。
 
カンパニュラ
 
花の持つ別の名前を考えれば、青年の面影の方が似合うようなと男は息をついた。
 
 
<続く>        (2004.7.15 /8.8)

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