メンタルリハーサル
 
いまやあらゆる競技においてメンタルリハーサルはトレーニングや競技会での一般的なツールとなっている。多くの射手が射撃場で弾を出すことだけで技術トレーニングを構成しているが、確かに実射はマイナス要素も含めトレーニング効果が最も高く、また楽しいものである。しかしトレーニングとは、特にアマチュアの射手にとっては実射練習だけではなく、自宅での据銃・空撃ち練習も有効でしかも重要である。自宅での空撃ちは実射の要素のうち大きなパートを占める“反動”がないので効果が低いと思っている射手がいるとするならば、その射手はあまりにも愚かである。もし効果が無いとすると、方法を間違えているか、やる気が無いのに義務感でやっている場合である。
射場をはなれたトレーニングのうち、もうひとつ何時でも何処でも、銃を使わず、意思力があれば空いた時間に練習できるのがメンタルリハーサル(以後リハーサル)である。リハーサルは考えていることの主題や頭で映像化されたことが潜在意識に伝わりファイルされることを利用して、頭の中で自分が射撃しているところを鮮明に描き、正しい動作を頭の中で実行し、それを潜在意識に記憶させることである。実際には射撃を行っていないにもかかわらず実射に近い効果を、或いは実射の補助トレーニングとしての効果を得る方法である。射撃に限らず、陸上、水泳、体操、ゴルフ等でもリハーサルは一流選手にとって常識的な手段である。
射撃における一般向けの具体例としては以下のようなものであろう。
@       自分が非常に良い射撃を行っているところを想像する
A       良い射撃を行っている“自分”をより鮮明に映像化し、その“自分”にゆっくり近づいてゆく
B       “自分”の良い技術をより良く観察できるように“自分”のすぐそばで据銃・照準・撃発・フォロースルーを確認する
C       理想的な射撃を行っている“自分”の体の中に入りこんでいる感覚を得、想像ではなく実際に10点を撃ち続けているフィーリングを得る
@からCまでのステップを行うためには初心者には技術的裏付けに乏しいかもしれないが、リハーサル自体が集中へのトレーニングでもあるので最後まで持続させる努力が必要である。上級者にあっても@からCに到達するのに5〜10分程度必要であろう。
リハーサルを行うには場所を選ばない。通勤・通学の電車の中でも或いは就寝前のベッドの中でも行える。自分自身で頭の中に射撃場をつくり、そこで頭の中の映像を射撃で満たすことができれば周囲のことは気にならなくなるし、そういう状態を作ることが目的のひとつでもある。換言すればいわゆる集中力のトレーニングになる。映画を見たり小説を読んだりする際、面白い場面や悲しい場面でストーリーに完全に引き込まれ、あたかも自分がその場面にいるかのような錯覚に陥ってしまう場合があるが、リハーサルの訓練は自分を意図的にそういう状態にする訓練でもある。頭の中の情景に集中できれば実際に射場に行かなくても射撃場にいるような感覚になれる。そして最も求めていることだが、ひとつひとつの動作をできるだけ鮮明に映像化することによって、大量の好ましいデータを潜在意識に送ることができる。リハーサルは一般に言われるメンタルトレーニングではなく、むしろ技術系のトレーニングの一種であると表現して過言ではない。
このリハーサルを行うことによって、実際には射場に行ってトレーニングする時間が週に5時間しかなくとも、空いている時間を利用して週あたりの練習効果率を何倍にも上げることが可能である。勿論実射に近いトレーニング効果を持ったリハーサルを行うには、リハーサル自体のトレーニング期間を経た上で、頭に描く映像を完全に射撃のことだけにできる集中力を得る努力をすることなしには不可能である。それは一流になるための代価であるかもしれない。
リハーサルは実射練習の補助トレーニングと位置付けられるが、他にも重要な役割がある。それは試合直前に質の高いリハーサルを行うことによって自分の興奮レベルを最適化してゆくことである。試合でプレッシャーを感じたとき、ほとんどのケースで成績は練習時より低い。プレッシャーは感じることはできても、プレッシャーが標的までの距離を50mから60mにするわけでもない。また試合のときだけ自分の技術が低下するわけでもない。プレッシャーには実体が無く、射手の頭の中で創造されたものである。多くの射手はプレッシャーのマイナス要因に頭を悩ませているが、プレッシャーを感じたときにはいくつかの射撃にとってプラスになる状況も同時に作り出されている。人が興奮すると、反射が速くなり、視力も向上する。本来射撃競技の成績に関しては、練習中の得点はその射手の最高能力よりは低い。なぜなら練習中のリラックスした状態では最高の実行を行うには通常興奮度が不足しているからである。
試合でプレッシャーを感じていることを自覚したとき、それは最高のパーフォーマンスを引き出すには興奮度が高すぎることを意味する。そのような際にはリハーサルを行い自分の興奮度を射撃にとって最良のレベルに低下させることができる。なぜならリハーサルでは自分の技術を最良の状態で繰り返す“自分”に集中できるからである。さらに意識は一度にひとつのことしか集中できないのでプレッシャーを感じさせる何かの映像は頭の中で徐々にそのコントラストを下げてくる。そのためには各自が実験を通じてリハーサルの利用を研究する必要があるが、プレッシャーに慣れるまで何年も試合を無駄にすることはない。経験を積むことによりプレッシャーに慣れる方法はあまりにも成功率が低く、結局は淘汰に任せる方法で多くの場合何年経っても問題は解決しない。
リハーサルはセルフイメージをトレーニングする手段のひとつとして利用することができる。セルフイメージはコンフォートゾーンを形成するが、100点を撃ったことのない射手にとって100点をコンフォートゾーンに入れることは困難である。人によってはリハーサルは自分をだます非常に効果的な方法で、しかもそのだまし方を自らコントロールできる点に注目する必要がある。ある意味では宗教は歴史が作り上げた大量の人間の心を一つにする高度なリハーサルを応用した人間の行動規範であるかもしれない。子供の頃から何万回とうそを聞かされると、そのうそはその人にとって真理となる。しかしそのうそを一度も聞くことなく成人した異教徒には、うそは真理とはなり得ず争いを避けるためにお互いに認め合う行動をとる。競技を行うものにとって自分を自分のコントロールの下でだませるものは一流の素質を持っていると思われる。リハーサルを実施することで100点は1日何回でも記録できる。100点をコンフォートゾーンに入れることは100点を撃つための出発点であり、10発目の10点は1日何発でもリハーサルできることに注目しなければならない。自分をだます能力に欠けるものは、実際に100点を撃つ技術に集中するしか方法はないが、これも正しい方法のひとつであろう。
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