停滞する中級者へ
 
いずれのスポーツにおける技術指導でも、最も厄介な対象は中級レベルを長期間経験した人々である。中級者の射撃の動作は概ね良好に実施されるものの、多くの改善点を残し、しかもバラエティー豊かなエラーを重ね、なまじ(偶然性によるもの)大当たりしたことがあるので、現在自分の実行していることが正しいと信じて疑わない。進歩しつつある射手の『中級レベル』は技術的発展のステップであり問題ないが、『中級者』で1-2年停滞している人々のトレーニングには工夫が必要である。そのままでは20年間中級者である。
それらの多くの射手に共通する特徴は
@ 試合で失敗してしまうのは精神的な問題が全てであると信じて疑っていないが、一方精神的技術の習得にたいしては決して積極的ではない。
@ ときたま高得点を記録するので現在の技術が上級者に繋がっているものであると思い込んだまま数年経過している。
@ “現在のままでは進歩しない”ことを薄々感じながらも、“現在行っていること”に変化を加えることに抵抗があり、更には“この程度のものかな”と心の片隅で自分を評価している。
といったところであろう。勿論これらは至って健全な思考であり、ある面では積極性も残ってはいようが、選手として更に向上を目指す人にとって、停滞しているならば射撃そのものの方法やトレーニングには工夫が必要である。

1  試合に出てみたら『何でこうなるの?』という経験は誰にでもあるであろう。中級者ともなればその状況下でかなりの対処をしているつもりであるが、試合を終えてみると結局パニックに陥ってしまっていたことに気付く。少々経験を積んだ中級者はその原因を特定してみたりもする。難しい風、精度の悪い弾、競技運営の不手際等々…。そして多くの場合到達する結論は“精神的なもろさ”という一般論で、いくつかの8点や7点はメンタル面での失敗であると納得する。私を始め日本のコーチはメンタルの話が大好きである。射手はそれに輪をかけて好きである…。
多くの中級者は実際メンタル面で問題を抱えながらその解決にはあまり努力を傾けない。同じような失敗を繰り返しながら突然変異の到来をただひたすら待ち望む。試合に参加し続けていればそのうち試合巧者になれると淡い期待を抱いている。あまりそのことばかりにこだわると技術的に危険であり注意は必要であるが、競技状況下での中級者の心理状態は概してトレーニング時と大きく違う。勿論本人はそれを強く認識しているであろうが、なんとかしようという意思にもかかわらず、実態はほとんど何も解決し得てないのが現状であろう。
かなり厳しい基準でそれを定義したとしても、上級者と呼ばれる人は日本にも10人以上いる。彼らのたどってきたトレーニングの歴史の中で、メンタルトレーニングの占める割合は一般の人が想像するほど大きくないし、『そんなあほくさいものやったこともない』と言うものもいるであろう。報道の取材を受けたときに一番困る質問は『射撃は集中力の戦いと想像しますが合宿ではどのような精神面のトレーニングをするのですか?』といった類のものである。適当にはぐらかすのが常であるが(ホラもふけるが)実際メンタルトレーニングを集団で実施することは妥当とは言いがたい。自分で自分をコントロールする(マネージメントする)能力は射撃競技では必須要件のひとつではあるが、その能力に乏しい選手はある意味では素質の一部門が不足しているのであるから、技術としての自己コントロール能力をもつ必要がある。
上級者がメンタル面でピンチに陥った場合のリカバリーの成功率は50%をはるかに超えるであろう。技量レベルは別として試合での自己運営の成功率の差は上級と中級を区別する一因であることは疑い様がない。中級の中ではそれが上位と下位を分ける決定要因かもしれない。メンタルトレーニングの実際については専門家に任せるとして、ここでは上級者の多くに見られる性格や思考方法を整理してみる。これらのキャラクターはどのように射撃中の自分を運営してゆけば成功率が高いかということを示唆してくれる。
上級者の多くに共通する内面的特徴は
A 射撃そのものが攻撃的である
B 物事に対して肯定的である
C 競技生活の中で目標がはっきりしている
D 意識が支配する射撃が台頭してきたときの対処法が身についている
E 自分の能力にたいしてあきらめることが少ない
F 頑固で自分勝手である
といったところであろう。
上級者とはいえ全てが完璧であるはずはない。しかし彼らはこれらの多くの部分で平均的な射手よりはるかに強固なものをもっていることは事実である。これらの一般的特性は中級レベルから脱却すべくもくろむ平均的な素質を持つ射手にとっては、何とか射撃中における自分の射撃性格=演技技術としての態度や考え方を身に付けるための目標のひとつにはなり得るであろう。
射撃性格を強化すべきメンタルトレーニングの代表的なものを項目別にまとめると、
A 攻撃的射撃;メンタルプログラム、イメージトレーニング
B 肯定的取り組み;自己改善法各種、会話内容の管理、イメージトレーニング
C 目標管理;アファメーション、イメージトレーニング
D 危機対処;メンタルプログラム、イメージトレーニング、リラクセーション、自律訓練法
E 能力への自己信頼;自己改善法各種、イメージトレーニング
F 頑固さ;アファメーション、イメージトレーニング
 
 練習ではあたるのに試合ではなかなかうまくいかないというのも中級者に共通した悩みであろう。また練習中でも得点にばらつきがあり、うまくいくのもせいぜい1〜2シリーズで後は平凡な弾着であるといった状況も多くの中級者に見られることである。“良い射撃”を追及することはトレーニングの基本姿勢であるが、時々しか“良い射撃”が長続きしない中級者にとって自己の射撃技術の再評価はトレーニングの技術的目標を決定するに不可欠である。自分に定着した技術に対する考察は、年間トレーニング計画の作成の基本であるし、少なくとも得点を上げるために何を強化するべきであるかを決定できなければ、その効果を期待するのは偶然に任せるしかない。
射撃の技術的要素の代表的なものには、
A 据銃能力
B 撃発技術
C 照準完成時の集中力
D 良い状態を維持する能力
といったことが挙げられる。当然であるが、それらはメンタル要素とあいまってその完成度が決定されるが、ここでは純粋なテクニックとしての技術要素を検討してみたい。
A 据銃能力
銃を静止させる能力、あるいはコントロールされた銃の緩慢な動き具合を据銃能力と表現するが、多くの中級者は自己の据銃能力を過大に評価している傾向がある。ノプテルがあれば瞭然であるのである。上級者の銃は一見中級者の動きと大差ないように見えるが、実は多くの中級者の想像をはるかに越えた安定性を持つ。立射で何秒間も10点の中に銃口を留めることができる上級者もいる。中級者と上級者の基本的な差異は、動きの質と速度、自然狙点の変化の有無に大きく表れる。
立射や膝射での上級者の銃口の動きはゆっくりとしており、特に特徴的なことは小振れ(周波数の高い小さいがたがたの動き)が小さいことである。エアー・ライフルでは多くの場合10点に銃を持っていくことができるし、銃口は常に10点を指向しているようにも見える。レーザーアナライザーで観察すると、中級者のレーザースポットは常に小さくがたついており、10点に近づいてもその周りを生き物のようにスポットが動きたがっているように見える。10点に落ち着くときもいつそこから飛び出すかわからない。中級者のトレーニングでは据銃能力の向上を特にトレーニングの初期段階では重点に置くべきであるし、リラックスした状態を維持したまま銃をコントロールするという大原則を意識すべきである。銃口だけを止めようとしてもそれだけでは高得点を安定して記録し続けることは困難である。銃と体は2つで一体の射撃構造物であるという射撃の技術概念を意識し、2つのパーツの連結関係をコントロールする必要の少ない姿勢の改善を留意してもらいたい。
上級者の伏射では銃口はほぼ完全に10点円内(10圏内ではない)に静止している。心臓から来るパルス動は10点圏の25%以下の幅である。疲労しない範囲での時間内では、例えば7-8秒間は銃口の方向は10点から外れることはない。したがって上級者の伏射では銃を10点に置いておくことに苦労することはない。590台を記録しながら懸命に10点を狙わないと銃口が10点圏からずれるような射手は、実は上級ではない。そのような射手は据銃能力以外の技術に秀でたものがあり、据銃要素を向上させれば600点に近づくので将来有望な選手といえる。上級者は正照準後目を閉じて5秒後に発射する射撃を繰り返しても98点以上記録するであろう。中級者の射撃は銃を静止させることはできるが銃口を10点圏内に維持することにはかなりの集中を要する。その集中の中で同時にトリガーコントロールを実行するのであるから大変である。大脳生理学的には不可能に近い行為に挑戦しているのである。照準かトリガーコントロールはどちらかが完全に自動化されていないと射撃方法の確立は不可能であるが、そのことさえも据銃能力がほぼ完璧であることが必要条件となる。本来は照準に集中のピークを持っていきたいわけであるから、据銃行為は完璧にかつ簡単に行うことが可能にならなければ上級者への道程は遠いし、風を見ながら射撃することなど非常に困難である。
中級者は今一度自己の据銃能力のレベルを検討し、仮に上級者と技術的な差異があるとすれば、それを埋める努力をしないと追いつくことはない(偶然勝つことはあるかもしれない)というあたりまえのことに目をつぶらないで欲しい。
(ノプテルのある人は伏射の上級者の銃口の動きは直前値=?1秒前平均でX-YDEV.が0.20以下、COGが10.7以上と記憶されたい)
 
B 撃発技術
撃発は呼吸、フォロースルーの段階も含め1発の射撃行為の良否を計るバロメーターである。『撃発が良かった』という表現には、据銃が安定していた、反動が良かった、精神的に安定した試合運びができた、等数多くの要素が包含されているがここでは外から見えるトリガーコントロールとしての撃発技術を取り上げたい。
撃発行為については一般にはメンタル技術の集大成として捉えられるが、技術トレーニングを考察する場合、『据銃技術の良否を計るもの』と割り切ってよい。
言うまでも無く、がく引きの癖を排除するためにトリガーコントロールの瞬間(引き金の引き方)のみを考察しても意味がない。トリガーコントロールの瞬間は、初心者を除けば、その前段階の状態の結果であり、その前段階の状態の改良無くしてトリガーコントロールの瞬間の状態を向上させることは不可能である。前段階である据銃状態がそれぞれのレベルで概ね良い場合はトリガーコントロールとの強調に問題があることを意味しており、白紙標的でトレーニングする。中級者以上にあっても射撃の基礎理論を理解していればこの場合の白紙標的への射撃の目的と内容が理解できるであろう。
射撃競技は、@銃と体の構築物を安定させ、Aその安定した構築物を決められた方向に向け、B安定性を維持したままボタンを押す、競争である。1,2,3は技術の流れであり、Bに注目したトレーニングのなかに白紙と黒点があるのである。各技術のレベルに対する要求に照らし合わせて、白紙標的射撃ではほぼ満足の行く撃発が続く状態でなければ黒点を狙っても基本技術やコーディネーションを破壊する危険性が高い。自分自身の技術を良く観察して合理的なトレーニングを実行してもらいたい。
 
C 照準完成時の集中力
中級者にとって自己記録を樹立したときの射撃は、後で考えるとほとんどの場合非常に容易であったことが多い。570点のレベルのものが580点を記録するのは“楽”である。楽に射撃が遂行できなければ新記録の達成は困難であろう。彼が550点台の射撃をしてしまった場合は、それ以上考えられないほどの努力をしたか、投げ出してしまったかのどちらかであろう。上級者でも8点を時には記録する。しかしなんとか上級レベルの得点にまとめ上げているのが通常である。同様に中級者も7点を撃ってしまう場合がある、そんな日の中級者は多くの場合初心者よりは少しましといった程度の成績しかあげられない。このことは一般的にはセルフイメージのなせる技と言えるが、反面技術面では、1発単位の集中能力の有無が評価ファクターのひとつとして考えられる。
照準完成時の集中力とは“正照準に関連付けられた脳内の映像”に対する集中の安定性といえる。自動的なアクションが中心となって10点を撃ちつづけているときは自然とその集中対象は一定になっているはずである。(大概の場合センターの映像である)リズムに乗る射撃では撃発瞬間の映像パターンやフィーリングが一定であるはずである。それらの内容は各射手で様々であろうが、中級者はそれらの映像やフィーリングを自ら創造できる力を訓練する必要がある。このことをメンタルトレーニングの範疇に収めてしまう人も多いが、私は技術練習時にやるべきことと考えている。すなわち撃発の準備のための集中の確認作業は純粋に射撃技術のなかに含まれると認識するのである。
黒点を狙ってグルーピング射撃をしたり採点射撃をするときには、据銃前1発ごとに最終照準時の映像やイメージをリハーサルし、実行時には集中してそれを追い求める練習を実施してもらいたい。メンタルプログラムと呼ばれる集中の切り替えとアクションの一体化は重要であり、メンタルトレーニングではなく技術トレーニングのなかで訓練されるべきである。実際の試合では順調に推移する限りそれらのうちほとんどのことは省略しても良いが、8点や7点の直後の射撃ではトレーニング効果を実感できると思われるし、リカバリーに失敗したとしてもトレーニング不足であると解釈して欲しい。
 
D 良い状態の維持能力
リズムに乗った射撃を60発続けることは射撃選手の夢であろう。たとえ600点を記録してもその60発の中には何回か危機があると想像する。それは技術的なことかもしれないし、メンタル面でのピンチであるかもしれない。いずれにせよ40発や60発の流れの中にはピンチは必ず到来するものである。
もし中級者がこのことに同意するのであれば、少なくともその状態への対策や訓練は実施しているものと期待するのであるが、実際は放りっぱなしの射手がほとんどである。
中級者はまず“良い状態”の自分なりの定義を持たなければならない。なぜなら、好ましいことではないにもかかわらず、ピンチの時には得てして意識的な撃発を強いられるからである。ピンチの際も潜在意識的行動で撃発できるとするならば、その射手はすでに上級のレベルに到達しているはずである。従来は“意識的行動としての射撃は良くない”で話が終わっていたが、実際その必要がある射手が多いのも事実で対策は必要である。パニックの中でのたった1発の10点からそれ以後は素晴らしい内容に転換した経験は中級者であれば誰しもあるであろう。その転換になる10点を撃つまで、7点を連発するより9点で推移したほうがベターであるという考えが現実的である。
膝への荷重や右肩の上下位置の感覚は意識しなければ認知できない。“良い状態”での内的感覚は良い状態でトレーニングできているときに文字で記録されていなければならない。体の細部にわたる感覚を常時記録する必要はないが、1年後にはノートには“良い状態”の資料が満載されていなければならない。そうした作業を通じて“どこか”に注意すれば良い撃発に至るその“どこか”を決定することができるであろうし、競技中のリカバリー能力が飛躍的に向上する。意識的射撃の台頭の際にはその部位に意識的に集中することにより、照準映像による自動的発射を誘発したり、銃の静止の向上により銃口が10点を指向する時間を延長することが可能になる。
 
 『このままではだめだ』と感じている中級者に対する共通のアドバイスは『別の方法を試してみたら』の一言に尽きる。これは“実施すべきトレーニングのなかで、軽視していたことや後回しになっていることを実行してみる”ことと、“一理あると思うけど私はやらない”と思っていたことを試行してみることを意味する。頑固に物事に変化を加えることが無いために進歩が停滞してしまっている場合も結構目にする。そのような状態は実は選手としては致命的で、ナショナルチームで更なる進歩を要求される選手としては採用しづらい。将来を見た場合に“枠内”での可能性では追いつかないからである。
中級者の多くは試合での結果の鍵を決定的に握るのはメンタル要素と感じているであろ。、それは正しい面もあるのであるが、メンタル要素のなかの多くの部分は技術と一体のものであり、技術訓練と同時に、或いは技術訓練の中で実施すべきものである。換言すれば撃発の1発1発がメンタルトレーニングでなければならないのかもしれない。
ホームルームへ戻る